28.ユニコーンを怒らせるのは
館に戻るとマルガが文字通り飛び回っていた。地面から5cmほど浮き上がった状態で歩く速度の倍くらいのスピードで移動している。
「空気を利用した生活魔法の一つです。近い距離を移動する場合は馬よりも勝手がいいですから」
クリスティアーネの姉、クレメンティーネと面会することになったせいで、それにふさわしい私の衣装やら持参する手土産を急遽用意しなくてはいけなくなってしまった。王太子妃(予定)とはいえ、同窓生だし、面会の場所も学校の茶話会室だし気楽な感じでと思っていたのだけれど、そうはいかないらしい。クレメンティーネ本人よりも、王宮からやってくる従者の目が恐ろしいのだという。まあそれはそうかもしれない。
私のちょっとした思い付きが大事になってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていたが、マルガは腕を振るう機会を得られてむしろ楽しいと言ってくれて本当にありがたい。
「リア様、オニキス様が研究室まで来てくださいとのことです」
研究室の応接スペースに行くと珍しくケヴィンがおらずオニキス様一人だった。ケヴィンもクレメンティーネとの面会のために奔走してくれているという。
「これを渡しておこう」
手を出すとピンク色の魔石を指輪に加工したものだった。指輪のプレゼントなんて……と一瞬ときめきかけたが案の定そういう話ではなさそうだ。
「別の形にも加工できるがこの形が着脱には便利だろう」
「これはもしかして、先日私を攻撃した守護精霊の……魔力ですか?」
「ああ、魔力と呼んでいいかはわからないが。気休め程度だが、精霊の攻撃を逸らすことができる……はずだ」
「はず」
「検証ができていないからな。ところで、召喚獣の育成はどうなっている?」
そういえばオニキス様に育成のためのレポートを貸してもらっていたのだった。私が仮説を立てたような、討伐した魔物の種類によって召喚獣の形態が変わるということはなかった。シュパーゲル狩り用に召喚したミミズたちはあのまま大きくなってしまった。この子たちは農業用に利用できなくなると不便なので小さめの蛇くらいのサイズにとどめてある。召喚獣の種類は石の持つ属性と詠唱時のイメージで決定されるということで、新しく追加した魔石では騎士団に提供することも考慮して犬の形にした。
「キティはオニキス様のケルベロスくらいの大きさになりました。あとは、ヘルハウンドを20頭ほど育てていてこちらはまだ普通の犬くらいの大きさです」
「ヘルハウンドか、悪くはない。リアの召喚する魔物はケルベロスといい禍々しいものが多いな」
「詠唱するときの呪文の『冥府』のイメージがどうしてもぬぐえないのです。魔石も黒いのでそのイメージがあって」
ふむ、と立ち上がってオニキス様が研究室へ向かう。平べったい形の箱を両手で水平に持って戻って来た。覗き込むと鉱石のコレクションボックスのような大量の仕切りのあるケースに様々な色の魔石が60個ほど納められていた。
「何か育てたい召喚獣はいるか?」
急にそう言われても困ってしまう。モフモフの猫ちゃんはキティがいるし……。
「馬はどうだ。以前、用意してやると言ってそのままになっていたな」
「馬の召喚獣? 憧れます。ユニコーンとか。でも私に上手く乗りこなせるでしょうか……」
オニキス様は乳白色の魔石を一つ取り出し、外へ行こうと扉を示した。たしかに室内で馬を召喚するわけにはいかないだろう。
「しかし、ユニコーンか」
「ユニコーンはまずいですか? だったらほかの……」
そう言いかけたタイミングで、後ろからふいに抱きすくめられた。
「ユニコーンの背に乗れるのは乙女だけだ。まさかリアはいつまでも乙女でいるつもりではあるまいな」
耳元でぞくりとするような低音の美声で囁かれ、心臓が早鐘を打つ。
「オ、オニキス、様……?」
とても長い沈黙があった。私の心臓の音だけが部屋に響いているような気がした。
おそるおそるオニキス様の様子を伺うと、なぜか甘さの欠片もない厳しい目で外の気配を伺うようにドアを見やり耳をそばだてている。
「ま、まさか……」
「指輪の効果があったようだな」
ピンク色の魔石の指輪がはまった私の左手ををかざすように持ち上げる。やけに楽しそうな声のオニキス様に怒りがこみ上げてきた。
「検証したんですね!?」
オニキス様の腕から逃れようと足をバタつかせているとそのまま抱き上げられた。お姫様抱っこの姿勢のままオニキス様はソファに勢いよく腰を沈める。
うう。こんな目にあわされたのに抱っこが嬉しい。でもこんなのって、こんなのって……。
「オニキス様! こんな風に乙女心をもてあそんで絶対ゆるしませんからね」
「そうか。それにしてもリアは随分軽いのだな。学園では食事をきちんと摂れているのか?」
全く私の怒りが通じていない。抱っこしてもらって嬉しい私の気持ちを完全に読まれている。餌付けをして抱っこすれば機嫌がよくなるチョロい猫か何かだと思われているに違いない。
でも、ゆっくりとした鼓動と体温に包まれている心地良さに抗えない。少なくともこの世界に来て4年間こんな風に誰かと触れ合うことはなかった。
……もしかして、オニキス様も? しかもそれは私よりもずっと長い期間だったのではないだろうか。なにしろ一番近い存在はケヴィンだったはずだし。いや、でも学生の頃には言い寄るご令嬢とそれなりに何かあった可能性もある――?
「さあ、姫、お詫びのしるしにお好きな馬を召喚しましょう。ペガサスはどこへ行くのも便利ですよ。ケルピーも涼し気でこれからの季節にはお勧めです。ユニコーンはいけませんが漆黒のバイコーンは姫の黒髪によく似合いましょう」
考え込んでいた私の機嫌を取るためか、やけにおどけた口調で問われる。せっかく一度治まったからかわれて悔しい気持ちがまたこみ上げてきてしまった。
だから私はオニキス様の右手を取り、宝物を扱うように両手を添える。
「ユニコーンを怒らせるのはオニキス様ですものね」
手の甲にそっと口付けると、オニキス様の鼓動がすこしだけ早くなった気がした。