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24.はじめてのキスは指先に

 

「呪文の詠唱の省略か……」


 夏の庭を臨むバルコニーでオニキス様はしばし考え込んでいた。今日のランチは景色を楽しむために、向かい合わせではなく九十度に座るようにセッティングがされている。


 お料理のメインは仔牛の肉を薄く叩いてフライにしたシュニッツェルという料理だった。細かいパン粉をまぶし黄金色にカリっと揚げたものに荒く潰したトマトのソースが添えられている。そして、飲み物はなんとビール。通常のビールよりもフルーティーで苦みが少なく白ビールに近い。レモンジュースが少しはいっているのかもしれない。あまりの飲みやすさに、オニキス様が呪文の話に気を取られている隙にグラスの2/3を空けてしまった。


「オニキス様が二年生の頃に研究なさっていたって聞きました」


「目的がはっきりしている道具にあらかじめ呪文を刻んでおいて、魔力を供給すれば発動する魔道具の開発をしたのだが」


 そう言うと小さいランタンのような形をした魔道具にそっと火をつけて見せてくれた。芯のないガラスの器のなかに炎が浮かんでいる。


「油に火をつけるランタンの方がよほど汎用的だし、あらかじめ魔術を刻んでおくなら魔法陣で事足りる」


 そうか、スイッチのように発動させるなら魔法陣という手があった。呪文にばかり意識が行っていてすっかり忘れていた。


「召喚スピードをあげたかったのですが……」


 召喚獣の育成について、仮説をたててまとめていたレポートをオニキス様に渡して見てもらう。


「なるほど。リアも同じことを考えたか」


 ()


「オニキス様、もしかしてすでに研究されたことがあるのですか?」

「ああ、学園の課題でな。あとで結果をまとめたものを持って来てやろう」


「せっかく、いいアイデアを思い付いたと思ったんですけど……」

「そうか。まあ、十分に育てた召喚獣なら、二十体も献上すれば女男爵(バロネス)くらいは賜れるのではないか?」


 魔法の研究で筆頭宮廷魔術師様を出し抜けると思ったのが間違いだった。


「これも、せっかく作ってみたのですが、魔法陣で事足りましたね」


 百科事典棒をヒントに作った召喚スティックをスッと振る。目の前に、掌にあまるくらいのサイズに成長したラベンダー色のミニケルベロスが姿をあらわした。


「これは、街で見つけた魔石から育てた召喚獣か。大分大きくなったな。しかし、そのハニースターラーは一体……?」


 金属製のハチミツを混ぜる棒(ハニースターラー)をアレンジして作った召喚スティックをオニキス様に渡す。ハチミツを絡めるためのらせん状の部分に召喚魔石を固定した手作りの棒だ。魔石はスライムのゼリーを硬化させた透明な素材でコーティングして外れないように加工してある。持ち手の棒の部分には召喚呪文を数値化した位置をマークした。


「百科事典棒という理論上の遊びがあってそれをヒントに作ってみたのです」

「百科事典棒?」


「えーと、呪文を数値に変換してその位置情報を棒に刻んで……」

「すまん、何を言っているのかよく理解できないのだが」


 うーん。私も自分ではわかっているつもりなのだけど、ふわっとした理解なので、人に説明となるとなかなか難しい。


「このアイデアの元になった本があるのですけど……」

「文献があるのか? ぜひ読んでみたいものだが」


「その、この世界の本じゃなくて、私の夢の世界にあった本なのです……。オニキス様だったら読めるかなって思って」


 オニキス様が怪訝な顔をする。視線の先には、背の高くくびれたヴァイツェングラスがあった。さっき残りの1/3も飲み切ってしまってすっかり空になっている。


「だって前に間接キスをすれば読めるんじゃないかなって、言われて……、ん? 言われてはなかった……、あっ、フォークを共有するなんて失礼ですよね……」


「いったん落ち着きなさい。また飲みすぎているだろう。この前までは私に感情を読まれまいと必死に魔力制御をしていたのが、どうした急に」


「あっ……」


 今のいままで完全に忘れていたのに、指摘されてまた思い出してしまった。


 オニキス様が、すっと手を伸ばして私の右手を取る。美しい指先が嫌でも目に入ってしまう。


 この手でまた髪をなでて欲しい。頬に触れて欲しい……。


 目を反らすこともできず、関係ないことを考えようとすればするほど意識してしまう。スローモーションのようにゆっくりと私の手にオニキス様の顔が近づく。いたずらっぽい光を浮かべた瞳で、楽しそうに私を覗き込む。


 唇が私の薬指の指先にそっと触れた。


 それは一瞬のことだったのに、体中を甘い快感が駆け抜けたように感じた。私の指先はまだオニキス様の手の中にある。


 今、私の感情を読まれたら絶対にオニキス様に軽蔑されてしまう……!

 慌てて手を引っ込めようとするけれど振りほどけず逆に指先を引き寄せられた。


「リア、その……、君の心配していることは全部顔にでている」

「えっ……?」


「あとでいくらでも触ってあげるから、今はその呪文の数値化について知っていることを全て思い出してみなさい」


 えっ? は? 後で?


 何を言われたかうまく処理できないまま茫然としていると、今度は私の人差し指の爪にオニキス様がキスをする。癖のない黒髪がさらりと揺れて私の手首にかかる。香油の香りが辺りに漂った。


 こ、こんなの絶対だめなやつです、オニキス様……!


 どうしようもなく湧き上がる甘い空想を頭から追いやるために、ただもうひたすらに呪文の数値化についてありったけの知識を思い浮かべることに集中した。数値化……呪文の数値化、ハッシュ化も数値化だっけでも復号ができないからアスキーコード変換でいいのか……あれ、そういえばbitに変換するのって何か意味があったんだっけでも2進数よくわかんない……位置情報だからそれは関係ないか? あっ、棒に刻むためには1以下の小数点にしないとだめって言ったっけ……?


 どれくらいの時間が経っただろう。とても長い時間だったような気もするけれど3秒くらいだったかもしれない。オニキス様の表情をそおっと盗み見る。


 以前私が「髪を伸ばす研究をして欲しい」とお願いをした時と同じ顔になってしまっていた。


「申し訳ない、リア。デザートまでゆっくり楽しんでくれ。……それにしても、君はすこし無防備すぎるな」


 それだけを言い残すとさっさと席を立ってしまう。


 ……人をこんな気持ちにさせておいて、ここで放置なのですか!?


 その日は晩の食事にもダンスのレッスンにもオニキス様は現れず、私はひたすらケヴィンに平謝りをした。でもこれ、私が悪いんでしたっけ……?


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