2.軟禁
夕べは考えることが多すぎて夜半過ぎまでなかなか寝付けなかった。だから、朝のいつもの時間に起きることができなかった。
朝起きると魔法のトレーニングを日課にしていた。私にできることはそれくらいしかなかったから。ゲームに「スタンピード」「ドラゴンの襲撃」があったせいもある。
私の黒い髪は「閉じる」とか「守る」ことに適性があるらしく、なんとなくトレーニングをしていれば何かあっても自分だけはたすかるかな、そんな気持ちだった。
だから髪の手入れも欠かさなかった。それも髪を切られてしまった今となっては無駄な努力になってしまったけれど。
身支度を整えて部屋を出ようとすると、廊下へと続くドアが開かない。外から施錠されているようだった。いつの間に外鍵がつけられたのだろう。
一体、誰が、なぜ、こんなことを? 自問してみるまでもない。お義母様の仕業だろう。
「ユーリア様、お目覚めでいらっしゃいますか」
ドアの外側から声がした。お義母様がこの家にやってくる前から働いていた年かさのメイドだ。彼女がいるなら、餓死させられるようなことはないだろうとひとまず安堵する。
「奥様からしばらくお部屋で謹慎するようにと言付かっております」
ドレスを汚したこと、他家の従者の手を煩わせたこと、髪型がみっともないことなどが積み重なって、私はとても人前に出せる娘ではないということらしい。
廊下からはリーゼのはしゃいだ声が聞こえてくる。
「……そう……オニキス様って本当に素敵だったの。ダンスは踊ってくださらなかったけど、ずっとそばにいてくださって……あんなに美しい顔立ちの方、学園にもなかなかいらっしゃらないわ……それに宮廷魔術師の制服が本当に良くお似合いで……優しく私だけに微笑んでくださって……上級生の方だって何度もオニキス様のお顔を見て頬を染めてらしたのよ……」
オニキス様? その名前に心当たりはなかったが、ゲーム中で宝石を連想させる名前の男性キャラはすべて攻略対象だった。漆黒の瑪瑙ということは、テーマカラーは黒。宮廷魔術師ということは髪を伸ばしているはず。そのビジュアルに一人だけ思い当たるキャラがいた。
「パッケージ裏の君……?」
パッケージの裏側には描かれているのにゲーム中には出てこず、ネットの情報ではクリア後の隠しルートに出てくる攻略対象らしい。らしいというのは私もなんとか隠しルートにたどりつこうとゲームをやりこんでいたけれど、結局見つけられず、この世界に転生してしまったから。
「……それでね、お母様にお願いして……そう……お父様にもちゃんとお話ししてくださるって……だから、私が伯爵夫人に……もう、夢みたいで……なの、絶対に……出させないように……」
やはり、昨日からのリーゼの動きは私の縁談を横取りするつもりだったということだろう。ポジティブに考えれば、攻略対象をリーゼに押し付けられたのだからよかったのかもしれない。結婚したあとにヒロインが絡んできて断罪騒ぎになるよりはマシなのだろうと思いたい。
「パッケージ裏の君」はゲームに出てこないのに一部に熱狂的な人気があった。私もそこそこ思い入れのあるキャラだったので、刊行予定のスピンオフ小説の発売日を楽しみにしていたなあ。
「……えっ、お義姉様? さあ、お母様がキュヒラー商会の三男の方を……そう、ええっ? うふっ、嫌だわぁ、お父様くらいのお歳よね……でも私のお嫁入り支度も大変だから仕方ないわよね……」
それにしてもリーゼはこんなに大声で誰と話をしているのだろうか。わざと私に聞こえるように話しているとしか思えなかった。
まあ、リーゼのおしゃべりのおかげでこの家に安穏としてはいられないことがわかった。爵位目当てのお金持ちの中年を私の婿にあてがうという話なのだろう。いかにもお義母様が考えそうなことだった。
こんなこともあろうかと、ずっと本当のお母様の形見を隠してあった。年頃の貴族の女性には絶対見えないショートカットの私なら、平民にまぎれられるだろう。
冬服用のクローゼットの底板を外したところにジュエリーボックスを隠してある。
けれど、クローゼットの扉を開けると、そのがらんとした有様に愕然とした。ドレスもショールもコートもマフも何もかもなくなっていた。シーズンオフなのでメイドが虫干しをしてくれているのかもしれないなどと100%あり得ないことを考えて叫び出したい気持ちを誤魔化しながら底板をはずす。
当然のようにジュエリーボックスはそこになかった。
「 ――!」
絶望や恐怖で動けなくなるまえに、感情のスイッチを切った。前世の社畜時代にはよくやったことだ。やるべきことだけを頭のなかでリスト化して、ひとまずそれだけに集中する。
「夏用のクローゼットの確認、文机の確認……、窓からの脱出経路、魔法がどれくらい使えなくなったかの確認……他には」
お父様が長期に不在になるタイミングを狙って、ここまで用意周到に私の邪魔をしているのだ。私が財産にできるような物品も残されていなかったし、窓側の侵入者防止の結界もご丁寧に外側から強化されていた。
ただ、魔力については威力がなくなった分、格段に制御しやすくなっていた。今までは学園全体を覆う防御陣を5分展開とか、この館全体を覆う防御陣を60分展開するような、大規模魔法を短時間発動させることしかできなかった。髪を失った今は、自分の体にぴったりと張り付く薄い膜のような防御魔法を発動させることができる。
なるほど、騎士志望の男子生徒たちが、強大な魔法を使えるメリットを手放してまで髪を短くしている理由はこれだったのかと実感ができた。集中をしていないと身体意識の薄い耳や足の裏などから効果が薄れてきてしまうが、鍛錬を重ねれば無意識に防御魔法を維持することもできそうだ。
夫となる人の前で防御魔法を発動するなど、感知されれば失礼だと怒られてしまうかもしれないけれど、リーゼの話だと、私の新しい政略結婚相手は平民の商人のようだし、まあ大丈夫だろう。
そもそもゲーム内年齢の私はまだ19歳だけど、中身は社畜OLなのだから、年齢的にはお父様くらいのお相手でもそれほど抵抗はない。生理的に嫌な相手じゃなければ、商会で経理なんかを手伝わせてもらって生きていくのもありかもしれない。
そう気を取り直した矢先だった。グラウヴァイン伯爵家から当家の「娘二人」への呼び出しがかけられた。