17.シガールーム
食事の後はダンスの練習の予定だったけれど、ディナーの反省点があまりにも多くダンスは来週の課題となった。マルガとケヴィンにかわるがわる注意を受けている私を労って、オニキス様がシガールームに案内してくれた。初夏の庭園を一望できる大きな窓に面した部屋に座り心地のよさそうなソファとローテーブルが配置されている。
少し待っているようにと言われ、バルコニーで涼んでいると、ピンク色の液体のはいったフルートグラスを二つもったオニキス様が戻って来た。上衣を脱いで大分リラックスした格好だ。隣に座るように促されてソファに腰を沈める。
「リア嬢の奮闘に乾杯」
グラスを重ねると澄んだ音がした。口に含むと果実の甘い香りが広がる。ぶどう酒を薄めたもののようだった。
「さくらんぼのお酒ではないのですね」
「今年のものはまだ漬けている最中だからな」
フルートグラスを傾けながらオニキス様の横顔を盗み見る。ちょうどこちらを見たオニキス様と目があって、オニキス様がふわりと笑う。
「それにしても、若い嫁のために菓子を作らせていた子供が、その若い嫁になるとは。いや、もともとは若い嫁当人だったのか……」
さらりと「嫁」などと言われてドキッとしてしまう。オニキス様が全く意識してなさそうなのが妙に悔しい。
「でも……、オニキス様はまだ私のことを子供だとか菓子職人見習いだと思ってらっしゃるでしょう」
「そうだな……。魔力制御が完璧にできないうちはまだまだ子供でいて欲しいものだ」
私はピンク色の液体をまた一口飲み込んだ。涼しい風が庭を抜ける。こんな時間がずっと続けばいいとオニキス様も思っていてくれるならそれはとても嬉しいことのような気がした。
「ところで、子ど……いや、リア嬢。スターリングの課題はどうする。なにか策はあるのか」
「そうですね……。図書館で資料に当たっているところです。この世界で皆が欲しているのにまだないものを探しているのですがなかなかみつかりません」
そう。ここがもともとはゲームの世界だからなのか、巷にオーパーツが溢れかえっている。技術的課題が魔法や精霊の加護でクリアされてしまっているのだ。たとえば、この薄く透明なフルートグラスとか。
私の頭にあるレベルの現代知識では無双する隙がない。ゲーム内ではヒロインが開発することになっていたマヨネーズなどは出回っていないようだったが、私がマヨネーズを普及させるには卵の衛生状態に懸念があった。
「そうか……。学園には教会があっただろう」
「はい。以前オニキス様が討伐に出向いたところですよね」
スターリングが婚約者候補の見定めのためだけにアンデッド騒動を起こしたあの教会だ。
「あそこの地下はアンデッドがいくらでも狩れる。2年も鍛錬すればリア嬢でも騎士爵を賜れるくらいにはなるのではないか?」
「そうでしょうか……? 騎士団で功績をあげるようなことは……私には、厳しいように思います」
「こればかりは向き不向きもあるからな」
「そもそも地下にアンデッドを狩りに行ってそのまま帰ってこられなくなりそうです。ミイラ取りがミイラになってしまいます」
ミイラ、の単語を聞いてオニキス様が首を傾げた。ミイラの概念はこのファンタジー世界にはなかったようだ。アンデッドはいるのになんだか不思議だ。
「ミイラというのは、高貴な方などの遺体を保存したものです。遺体の内臓を抜いて塩漬けにしてから乾燥させて、腐らないように油を塗った後布をまいて棺に納めたもの……です。確か」
「なぜそこまでして遺体を保存する必要があるのだ?」
「うろ覚えですけれど、死んだ人間は死者の国で生きるので肉体が必要になるからだとか」
「リア嬢の頭の中に本当に別の世界があるようだな……」
「ふふ。私の想像力がものすごく逞しいのかもしれませんよ」
何やら考え事が始まってしまったらしく、オニキス様が黙り込んでしまった。私も手持ち無沙汰になってちびちびとお酒を飲んでいるうちにグラスが空になってしまった。オニキス様の目の前で手のひらをふるふるとかざすとようやく我に返ってくれる。
「時に、キメラの育成はどうなっている?」
「はい? ああ、お見せします。大分大きくなったのですよ」
召喚の呪文を詠唱してキメラを呼び出す。子猫くらいの大きさから、成猫くらいの大きさには育っている。
「随分頑張ったようだな。この倍ほどのサイズになったら、これを教会に連れて行くといい。あそこのアンデッドなど、こいつがいくらでも狩ってくれるぞ」
「そんなに強くなるのですか?」
「そうだな。毎日たゆまず魔力を注ぎ、アンデッドを狩らせ続ければ2年もすれば災害級の魔物くらいには育つのではないか」
「育てて……どうするのですか……?」
オニキス様がそこでニヤリとわらう。
「大公を脅せばいい。爵位を寄越さねば王宮にこれを放つぞ、と」
「ええっ? オニキス様、それは……」
「もちろん冗談だ」
「もう。私、もうこの子に名前まで付けて可愛がっているのですよ。そんなひどいことには使いません。ね、キティ」
キティ、と名をよぶとトトトトと走って来て私の膝にのり、喉をなでてあげると頭を手のひらにすりよせてくる。オニキス様があっけにとられていた。
「キメラだぞこれは。キティとはずいぶん可愛らしい名をつけたものだ……」