16.新しい名前と新しいドレス
スターリングの助手として学園に向かうにあたって、私はユーリア・ブライトナーの名を捨てさせられた。
リア・シュヴァルツマン
それが私の新しく名乗る名前だ。
リアはこの世界では比較的ユニセックスな名前らしい。平民も多く働いている館とは違い、学園には食堂のような一部の場所を除けば髪の短い女性は一人もいない。メイドのようにキャップを被ることもできないため、性別を意識させないようにふるまえとスターリングには言われた。職員用の寮は男女に別れていないし、私は助手の立場なので、誰かに性別を明らかにするような場面もない。学園にいる人間に男だと勝手に誤解をさせれられればいいらしい。
「人前にでるときは認識阻害の魔法を常に自らにかけ続けているように」
完全に気配を消すのではなく認識阻害によって極端に影の薄い存在になれという。
「無形の旋律よ、空気に溶け込みし調べよ、幻惑の網を織りなせ、光を遮りし闇よ、我を包み隠さん」
教えてもらった認識阻害の呪文を詠唱する。キメラの召喚獣の魔石に魔力を絶えず注ぎつつ、人前では認識阻害の魔法を切らさない。学園にいる間も全く気が抜けなそうだった。
おまけに、これから爵位を賜れるほどの功績をあげなければならない。卒業舞踏会の後でヒロインと第一王子と侯爵令嬢がどうなったかの情報収集もしておきたかった。オニキス様が攻略対象だった場合、ヒロインがどう絡んでくるかわからないからだ。
さっそく学園内の噂を拾っていると、2年の教室にリーゼがいるのを見かけた。さらに、不安要素としてゲームのヒロインがリーゼと同じクラスになっていた。リーゼはジェイドの子供を身ごもっているのになぜこんなところでのんきに授業をうけているのだろう。遠目には普段のリーゼと変わらないようには見える。本当は妊娠などしていなかったのではないだろうか。でも、妊娠をしても体調が変わらないタイプもいると聞く。
ヒロインの方にも特に派手な動きもなく、第一王子攻略ルートに入っているのかそうでないのかもはっきりしない。続けて観察が必要だろう。
学生たちが授業の間は学園の図書館に向かう。在学中も多くの時間をここで過ごした。読んだことのない本を棚の端から順番にチェックしていく。何がヒントになるかわからない。それと並行して百科事典を頭から読んでいく。既にこの世界に存在するもの、しないもの。私の持つ日本の知識で何かこの世界にある需要を満たせるものを探す。学園に戻って最初の1週間はそんな風にして過ぎていった。
***
初めての休日、グラウヴァイン家の別邸に戻ると、仲の良かったメイドのマルガが出迎えてくれた。ABCD嬢の滞在のために本邸から来ていた使用人は殆ど戻ってしまったそうだけれど、ケヴィンの計らいでマルガはここに残してもらえたと嬉しそうに話してくれる。私の側仕えのようなことも託されているそうだ。
「さあ、ユー、いえ、リア様。今日はこれから大忙しですよ。覚悟してくださいませ」
ずっと滞在していた客間に案内されたかと思ったら、いきなり湯あみをさせられる。浴室から出てくると、プライベートルームにはエメラルドグリーンの襟ぐりの大きくあいたドレスが用意されていた。これは、もしかしてオニキス様からのプレゼントだったりする……? という私の淡い期待はマルガのセリフにより見事に打ち砕かれた。
「ケヴィンから、この館にいる間はすべて訓練だと思って過ごすように、とのことです。オニキス様のパートナーとして王宮に招かれることもございますのでその時にお困りにならないようにとのご配慮です」
ケヴィンもスターリングに負けず劣らずスパルタ気質な気がする。とはいえ、学園でも最低限のマナーやダンスは学んではいるけれど、場数を踏んでいない分、所作が板についていないとは自分でも思う。
ドレスを着させてもらい、お化粧もしてもらう。ついつい自分でやろうと手を出してしまいそうになり、側仕えが作業をしやすいように呼吸を合わせて体を動かさなくてはいけないと注意をされてしまう。男爵令嬢時代にはなにもかも自分でやるしかなかったのでこの切り替えはなかなか難しい。
「よくお似合いです。お肌の色が白いからドレスの色が良く映えて……! 最初にいらしたときに比べて随分お顔の色もよくなりました。あとはもう少しお肉をつけなくてはいけませんね」
胸の下に詰め物を入れてもらったとはいえ、自分とは思えないほどの仕上がりだった。姿見の前で何度も確認をしてしまう。
「マルガ、本当にありがとう。なんだか私じゃないみたいで……」
「リア様、これからが本番ですよ」
歩き方から注意されながらダイニングに向かう。両開きのドアが開かれる。視界の先には正装のオニキス様がいた。左の耳には大振りの耳飾りが揺れている。パッケージ裏のビジュアルそのもののオニキス様だった。
あまりの美しさにお辞儀をするのもわすれて見入ってしまった。よそゆきの顔をしていたオニキス様だったけれど、固まった私を見て楽しそうな笑顔にかわる。
「やあ、随分化けたじゃないか。どこのお姫様かと思ったぞ」
ケヴィンがオニキス様の横で咳ばらいをしてたしなめる。一つ頷いてオニキス様がこちらへ一歩足を踏み出す。マルガに背中をつつかれて、私もようやく我に返って右手を差し出した。
すこし背をかがめたオニキス様がそっと私の指を握り、手の甲に口付けるような仕草をする。オニキス様のまつげ、長い……。そんなことをぼんやり考えているうちに、いつのまにかエスコートされ席についていた。
「リア嬢、随分上の空のようですね。魔力制御がおろそかになっていますよ」
わざとすました声でそう声をかけたオニキス様をみると、どう見ても笑いをこらえた顔をしている。魔力の制御だけが取り柄の私なのに、こんなことではいけない。気を取り直して魔力を放出しないことだけに集中し、なるべくオニキス様のことは考えないようにしてなんとかデザートまで乗り切ることができた。