13.オニキス様へのお願い
ケヴィンに取り分けておいてもらったシュパーゲルを焼いたパイは、十分美味しかった。けれども夕食に食べたシュパーゲルに比べると明らかに鮮度が落ちていてシュパーゲル本来の美味しさを引き出せてはいない。そう指摘され、オニキス様に連れられて朝からシュパーゲル狩りに来ていた。
研究室に籠り切りではよくないので、とてもよいことだとケヴィンが大絶賛したことも大きい。
畑に着くと、魔力を放出しないように制御しながら召喚獣を呼び出してみろという無茶を要求される。このスパルタ気質はスターリング先生の教育の賜物だろう。
「うまくできたらなにか褒美をやるぞ」
そうオニキス様に言われて俄然やる気になる。少し前に、リーゼに防御魔法をかけつつ自分の魔力は閉じる、という二つの魔法の使い分けをしたことがあるので、召喚魔法もコツを掴めば簡単だった。黒いミミズの召喚獣もよく見れば可愛い、気がする。
「もうできるようになったのか」
オニキス様が驚いていた。ご褒美よりもなによりも、オニキス様のこんな顔がみたかった。
「何が欲しい? 馬か?」
自分の馬があればもうオニキス様の馬に一緒に乗ることもなくなる。それも仕方がない気はしていた。私は本当は子供ではないのだから。
「髪が……、髪が伸びる魔法を研究してください」
オニキス様の目がギラリと輝いた気がした。マッドサイエンティストのスイッチを入れてしまったかもしれない。ケヴィンが絶望的な顔をする。
「そうか! 子供は早く大人になりたいのか。実は髪を伸ばす研究はもうずっと続けているがなかなか成果がでていない」
「オニキス様、あの研究は一度お休みいただく約束です!」
めずらしくケヴィンが声を荒げる。
「よし、そうと決まれば、もう少し髪の毛を寄越せ。小指の先ほどの長さで良い」
「オニキス様! 子供相手になにをしているのですか」
オニキス様とケヴィンが揉めた結果、1日に決められた時間だけ髪を伸ばす研究に充てていいことになったようだ。日光浴と運動を兼ねたシュパーゲル狩りにも毎日行くことを約束させられている。
私へのご褒美なのになぜか私は髪の毛をまた短くされてしまったが、オニキス様と毎朝出かけられるのは髪を失ってあまりあるほどのご褒美だった。
「シュパーゲルが終わったらキルシュの季節だな」
キルシュ、聞いたことがある。たしかゲーム内のイベントでキルシュというさくらんぼのような果物をたくさん狩ってお菓子をつくるとボーナスポイントがもらえるミニゲームがあった。
……自分がゲームの世界にいるという意識は徐々に薄れつつあった。だからふとしたタイミングで日本のことを思い出すと懐かしいような胸が締め付けられるような気持ちになる。
「子供はそうやって時々遠い目をするな」
オニキス様に声をかけられてハッと我に返る。
「ずっと前に見ていた夢のことを思い出していたのです……」
「そうか。子供の考えていることはさっぱりわからんな」
オニキス様はそう言うと言葉とは裏腹になぜかちょっと嬉しそうに私の頭をなでてくれた。
「そうですよ。だから今日は、メイプルシロップとイチゴでシュパーゲルパイを作ります!」
「それも夢の世界とやらの料理か?」
オニキス様を笑わせたくなってなぜかそんなデタラメなレシピを口にしてしまった。冗談だと言ったのに、絶対に作れといわれてしまい、恐る恐る試したところ思いがけず美味しく出来上がった。味見兼毒見係のケヴィンがおかわりをしたくらいだ。
「食事に頓着のないケヴィンにあのような顔をさせるとは、子供の夢の世界はなかなかすごいな」
「ありがとうございます。でも、旬のシュパーゲルが美味しいからですよ」
「そうか? まあ、また夢の世界の料理を作ってみるがいい」
ごっこ遊びのような感じで私の「夢の世界」の話をすることが多くなっていた。ずっとこんな毎日が続けばいい。けれど、シュパーゲルの季節も、学園の春休みももう終わりが近づいていた。
***
「オニキス様、湖が見たいです」
シュパーゲル狩りの帰りに、ふと思いついてオニキス様にねだってみる。これからがさくらんぼの季節だと言うからには、今は桜の花の見ごろのはずだ。
予想は的中して、湖のまわりに植えられた桜の木は八分咲きと言った開花具合だった。この気温のままなら明日の夜には満開だろうか。
「おお、この時期に湖に来たことはなかったが美しいものだな」
「オニキス様、私の夢の世界では、桜は夜に月明りの下で見るのが一番美しいとされているのですよ。これくらいの箱にご馳走を詰め込んで、夜桜を愛でながらお酒やお料理を楽しむのです」
「それは楽しそうだが、子供には酒はまだ早いぞ」
私はもう子供ではないのだ。夜桜につるされた提灯、まだ肌寒いなかブルーシートの上で飲むお酒。新入社員だからって場所取りをやらされた思い出。
「あのですね、夢の世界では、私はオニキス様と同じ年齢なんですよ」
「それはすごいな?」
オニキス様が楽しそうに笑っている。どうせ子供のたわごとだと思っているんでしょう。
「もう。私の頭の中を割ってみせてさしあげたいくらいです」
パカッと頭を割って見せるふりをする。オニキス様が目をまるくしていた。
「そうだな、もう少し大人になったらな」
今となってはオニキス様のいないあの世界にもう戻りたいとは思わない。でもひどく切なく懐かしい。急にあふれてきた涙をとめることができなかった。オニキス様がめずらしくうろたえている。いつもわざと子供と呼んで、私の名前を聞こうともしない。子ども扱いの振りをして優しく私を拒絶するオニキス様なんてすこしくらい困ればいい。
オニキス様に大人の女性として扱われたい、そんな感情がいつのまにか心を占めるようになっていた。