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1.失われた黒髪

 

「お義姉様! お義姉様のこぼしたワインで私のドレスに染みが! どうしてくれるの?」


 相変わらず憎々し気な顔でリーゼが勝ち誇ったように私を怒鳴りつけた。レディにあるまじき大声だったけれど舞踏会の喧騒にまぎれその無作法に目を向ける者はだれもいない。


 そもそも私はワインなどこぼしていない。けれども下手になにかを言って、家に帰ってお義母様にいいつけられると100倍面倒なことになるのは目に見えているので、メイドを伴って控室に連れていく。


 学園の卒業記念の舞踏会とはいえ、第一王子主催のため、下級貴族の私達にまで控室が用意されているほど贅沢なイベントになっていた。


「リーゼ、ワインの染みなんてほとんど目立たないじゃない、早くもどりましょう」


 このあと舞踏会会場では悪役令嬢、もとい侯爵令嬢の断罪イベントが発生する予定なのだ。なぜそんなことを私が知っているかと言えば、ここは生前の私がプレイしていた乙女ゲーム「溺愛ロイヤルミッション ~精霊の愛し子~」の世界だからだ。

 こういう場合、悪役令嬢かヒロインに転生するのがセオリーだと思うのだが、なぜか私は存在していたことすら思い出せないモブ令嬢だった。おかげで、攻略対象ともほとんどかかわることがなくリアル乙女ゲーの世界を思う存分堪能できたのがささやかな幸せだった。


「あら、お義姉様ったら、嫁ぎ先が決まったばかりだというのに、まだ男漁りをなさるおつもりなの?」


 リーゼはお義母様の連れ子で私とは全く血の繋がりのない妹だ。先妻の娘の私はなにかにつけリーゼから目の敵にされていた。お義母様の連れて来たメイドと結託して私の食事に虫をいれるとか、真冬に寝台を水浸しにされるとか、まあその程度の嫌がらせは日常茶飯事だった。


 だからお父様が学園卒業後に嫁ぎ先を見つけて来てくださったときは心の底からホッとした。針の(むしろ)のような実家を出られるなら、どんな結婚相手だろうと上手くやっていけると思う。たぶん。


「それにしても、婚約者の卒業舞踏会に一人で出ろだなんて、お義姉様ったらよっぽど嫌われているのねぇ」


 そう。たとえ婚約が決まった後一度も顔合わせを行わず、卒業記念の舞踏会のエスコートを申し出てくれないような相手であろうとも。


「だいたい、グラウヴァイン伯爵家にお嫁入だなんてお義姉様には分不相応だわ。しかも筆頭宮廷魔術師だなんて。お父様ったらいったい何を考えているのかしら。私の方がよっぽど相応(ふさわ)しいのに。ねえエマ、あなたもそう思うでしょう?」


 そう言ってリーゼがメイドのエマに目くばせをすると、彼女は優雅な動きで控室の両開きの扉を閉め、内側から鍵をかける。


「リーゼ? エマ? あなたたち、一体何を?」


 身構える間もなくエマが私の背後に回り、羽交い絞めにされる。抵抗をしてみるけれど女性にしては体格のいいエマを振りほどけない。洋裁用の大きな鋏を手にしたリーザが私に迫っている。


 ――刺し殺される!


 そう思って思わず目を閉じたが、痛みはやってこなかった。


 かわりに耳元でジャキンと音がして、私の唯一のチャームポイントである漆黒の髪がみつあみの根本からばっさり切り落とされていた。


「……なっ!?」


 口を開きかけた私の顔にリーゼの持っていたワインがぶち撒けられる。


「そうそう。お母様から言付かっていたんだけど、グラウヴァイン伯爵様は舞踏会には遅れていらっしゃるんですって。でもお義姉様はもう会場には戻れないわねえ。私が立派にパートナーを務めるから、安心してこちらで休んでいらして?」


 そう告げるリーゼの瞳の底には勝ち誇ったような笑みがにじんでいた。追い打ちをかけるように手にしたグラスを床に落ちた私の黒髪の上にたたきつける。繊細なグラスが砕けて黒髪の上でキラキラとその欠片を瞬かせた。


 リーゼはハーフアップにしたブルーグレイの髪を見せつけるようになびかせると、扉を閉めもせずに部屋をでていく。通りがかった使用人が何事かとこちらを覗いて慌てたようにどこかへ走っていくのが見えた。どうしたらいいかもわからずただ茫然と立ち尽くしているとノックの音がした。扉は開いているのに随分と礼儀正しい。


「……どなたですか。申し訳ありませんが、あの、今大変取り込んでおりまして」

「失礼いたします。不躾とは思いましたが、大きな音がいたしましたのでなにかお困りごとがあるかと思いまして」


 落ち着いた男性の声だった。先ほどの使用人が呼んでくれたのだろうか。開け放たれた扉に目をやると、こちらを遠慮がちに伺っている。


 だれかの従者だろうか。このままここでリーゼが戻ってくるのを待っていてもさらにひどい言葉をかけられるだけだろう。すこし迷ったが手を借りることにした。


「お見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありません。お言葉に甘えさせていただいて……」


 私は人目に触れられず帰るためにベールがあれば貸して欲しいと頼んだ。


 初老の従者は床にちらかった私の無惨に切り取られた髪と、砕けたワイングラス、汚されたドレスをみて会得したように頷いた。人を呼んで何事か言づけ、手際よく散らかったこの場を片付けさせる。


「この髪は、いかがいたしましょう」

「申し訳ありません、わたくしにはどうにもできないので処分をお願いできますか」

「しかし、魔力を帯びた髪は大変価値のあるものですよ」

「……はい。でも、もう、見ているだけでも辛いので……」

「……承知いたしました」


 彼はベールだけではなくドレスを覆う外套までどこからか調達し、さらに馬車の手配までしてくれていた。


「ブライトナー男爵邸まで」


 そう御者に告げる。私が誰だか知っていたようだった。


 私の婚約はどうなるのだろうか。揺れる馬車のなかで遠ざかる宮殿の明かりを眺めながら考えを巡らせる。リーゼのあの口ぶりだとお義母様と結託して私の嫁入りを邪魔していたようにも思える。相手の情報がほとんど伝えられなかったのも二人の策略だったのかもしれない。


「……筆頭宮廷魔術師」


 今日リーゼの口から出たその言葉がひっかかっていた。ゲームにその役職のキャラは居ただろうか。見覚えがある気がするけれども全く思い出せない。


 馬車を降り際に御者から白い布の包みを渡された。それに気を取られて、馬車についていた家紋を確認しなかったことをお義母様にひどく叱られる。


 自室に戻り包みを開けてみると、切り取られた私の髪だった。


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