この町は
ピリリ……ピリリ……
眠気が抜けきらないこの街の、何の変哲もない一軒家。
その中で、目覚まし時計の音が響いた。
「ん……分かったよ……今起きるから……」
重い瞼を擦り、目を開ける。
また忙しい一日が、始まった。
水風 青輝は今日もいつもと変わらない一日を迎えた。
そう、何の変哲も無い……
(え、何このナレーション……)
青輝は流れる謎の声に少し困惑しながらも、気のせいということにして毎朝のルーティーンを始めた。
***
僕は水風 青輝。
って言っても、さっきのでもう知ってるかも知れないね。
僕は毎朝起きたらまずは麦茶を一杯飲む。
こうすると、頭がスッキリして”一日が始まったな”って思うんだよね。
その後は普通の人とほぼ変わらないかな。
顔を洗って、朝ごはん食べて、着替えて、学校の準備。
僕は伊塵町の伊塵高等学校に通う高校一年生。
もうすぐ入学して一ヶ月が経つけど、結構楽しい。
なぜなら……この高校は、ちょっと、というか変わってるんだ。
それは後で良いかな。
洗面台で顔を洗うと、ちゃんと目が覚める。
そうだ。
僕は左目が水色なんだよね。
珍しいと思うかも知れないけど、実はそうじゃない。
この街の人は、全員そうだから。
まあそれは良い。
僕は部屋を出てリビングに向かった。
「おはよう、お母さん」
「あら、今日は少し早かったわね。おはよう、はる」
僕は家でお母さんに「はる」と呼ばれている。
別に全然嫌なわけじゃないけど……人前で呼ばれるのはちょっと恥ずかしいかな。
えっと、今日の朝ごはんは……ご飯と味噌汁と、鮭かな?
シンプルで良いね。
ニュースを見ながら黙々とご飯を食べていると、こんなニュースが流れてきた。
『——では、次のニュースです。今日、以前起きた『黒木研究所爆発事故』の発生から丁度十年が経ちました。未だに事故の原因は分かっておらず——』
「お母さん、十年前にこんなことあったの?」
「そういえばそんなこともあったわねぇ……。国立の生物研究所で突然爆発事故が起こって、多くの研究者の方が亡くなったの。事故の原因はまだ分かってなくて、唯一の手がかりとして女の子がその事故の直前に研究所を出て行ったらしいんだけど……その子がまだ見つからないらしいのよ。十年前の事件だし、よっぽどのことがない限り解決しないでしょうねぇ」
「ふうん……そんなことがあったんだ……」
十年前ってそんなことが起こるほど物騒だったのかな……?
まぁいっか。
ご飯を食べ終わり、歯を磨いて、学校に行く準備は整った。
鞄を持って、玄関に向かう。
「あら、もう行くの? 次帰ってくるのはいつ?」
あ、言い忘れてたけど、僕の通う伊塵高校は寮制で、一応家からも通えるけど僕は寮住まい。
一か月に一回家に帰るときがあるんだけど、昨日がまさにその日だった。
「また一か月後。言ってもあっという間だから心配しないで。ちゃんと帰って来るから」
「分かってるわよ。また紫田君と行くの?」
「うん! じゃあ行ってきまーす」
「気をつけるのよ!」
「はいはーい」
お母さんはちょっと過保護な所があるんだよなぁ……
まぁ大事に思ってくれてるってことだから、嬉しいけどね。
「おい、二分三十二秒遅刻だ青輝」
そして、玄関の前で待っていたやたらと細かいことを言ってくる片目が紫色の男の子は、紫田 荘司。
僕の親友で、同じく伊塵高校に入学した同級生でもある。
彼も寮に住んでて、帰省から戻るところだ。
「もー、荘司もそうやってカリカリしない! ほら、行こ!」
荘司の耳元でバカでかい声でこう言っているのは正柑 康資。
こちらも中学校からの友達で、荘司とは対照的な大らか……というか大雑把な性格の元気いっぱいで片目がオレンジ色の男の子だ。
「うるさいな……前に声を出すときは四十五dB以下に抑えろって言っただろ?」
「えー、そんなこと言われても分かんないじゃん。ねぇ、青輝?」
まぁ、普通に考えたらそうだよねぇ……
「うーん、明確に数値を示されても分からないかな。ほら、荘司だって音量計を常に持ち歩いてる訳じゃないでしょ?」
「ん? 持ってるぞ。ほら、これ」
そう言って荘司が差し出したのはオシロスコープ。
うん、一瞬忘れてた。
この人、普通じゃなかった。
「うわっ! ホントに持ってる! 青輝、もう荘司が怖いよ……」
「俺はお前に鼓膜を破られることの方がよっぽど恐ろしいがな」
「ほらほら、行こう。遅刻するよ」
「問題ない。今日は始業が十七分遅れる。今から行っても余裕で間に合う」
「そうなの⁉ やったぁ! 相変わらず便利だね、予知!」
そうはしゃぐ康資の言っている、予知。
これは冗談とかそういうのじゃなくて、本当のことだ。
そう。荘司は、本当に予知ができる。
でも、この街じゃ珍しいことじゃない。
至って普通なんだ。
なぜなら、僕たちも持っているから。
特別な、力を。
「さっきお前も一緒にやっただろ。てかお前居ないと出来ないんだから内容くらいは覚えとけよ……」
荘司の”予知”というのは、本人曰く厳密には予知では無くシミュレーションらしい。
与えられた条件に応じて未来をシミュレーションする疑似的な予知。
それが荘司の力。
この特別な力は、一般的に『特色異』って呼ばれてる。
もちろん、僕たちもその力の持ち主だ。
で、その条件ってのがまた厳しくて、ものすごい量の情報をインプットしなきゃいけないらしい。
そこで出てくるのが、康資の力。
康資の力は、”任意の体細胞を強化する”力。
要は腕を強化したければ腕、足を強化したければ足、脳を強化したければ脳を強化できる。
そして、脳を強化した時の計算能力が軽く下手なスパコンを超える。
だから、荘司のシミュレーションの条件を計算することができるんだって。
……よく分からないけど。
「そろそろ行くぞ」
「うん、行こう」
「行こ行こー!」
僕の家から学校までは歩いて三十分ほど。
この二人の家も僕の家からそう離れていないから、大体同じくらいだ。
だから、家に帰った時は大体一緒に登校する。
ダラダラと雑談しながら歩いていると、学校が見えてくる。
伊塵町はそこまで栄えてるかと聞かれるとそうでもないけど、寂れてはいないという何とも中途半端な中都市だ。
しかもちょっと山奥にあるから観光客とかもほとんど、というか全く来ない。
だけど町人の数は地味に多いので高校もかなり大規模。
そしてやたらと施設の数が多い。
三つの図書館、二つの体育館、五つの訓練場、食堂……
とにかく多いし広い。
まぁこの訓練場やら体育館やらは理由があるんだけど、これはまた後で良いかな。
時計を見ると八時十分。
ギリギリ間に合った。
ホッと息をついていると玄関から担任の先生が出てきた。
「あ、お前達三人やっと来たか。いつも紫田のお陰で遅れてなかったから帰省帰り早々無断欠席かと思ったぞ」
「えー、先生、その言い方だと僕たちだけじゃ遅刻常習犯みたいな意味になりませんかぁ?」
康資が不満そうに申し立てると、
「紫田が居なかったら実際そうなるだろ。特に正柑、お前はな」
「え”っ」
康資は心底ショックという表情をしているが、僕は正直そう言われてもしょうがないと思っている。
康資は元々大雑把で朝寝坊もしょっちゅうだし、僕もお世辞にも朝が強いとは言えない。
荘司は真面目過ぎるほどカッチリしているから、毎日寮から授業に出るときにもなんだかんだお世話になっている。
だからこんな言い方をされても何も言えない。
「さあ、さっさと荷物を寮に……置いたら時間が足りないから荷物ごと教室行ってからホームルームが終わった後に置きに行け」
「「「はーい」」」
なんだかんだ何とかなった。
急いで靴を履き替え教室に入り、席に着く。
すると、いつものメンバーが話しかけて来た。
「おはよー! 遅いよ、全く!」
「お、やっと来たね。もうちょっと時間には気をつけた方が良いんじゃあないかい?」
「おはようございます。遅かったので心配しましたよ」
「あ……やっと来た。とうに時間過ぎてるよ?」
一斉に話しかけてくる四人。
僕たち三人とこの四人を合わせて、七人でグループみたいになっている。
「今日は何でこんなに遅れたの? また康資のせい?」
こうやって無意識のうちに康資を傷つけている緑色の目をした女の子は、波翠 氷月。
元気で活発で……たまに怖いことを言う子。
「そうだろうね。大方、康資が何か騒いで遅れたんじゃあないか?」
こちらの少し大柄で厳格そうな女の子は郡田 美黃。
真面目でかっちりとしている子で、弓道部の部員でもある。
「あの……何でもかんでも康資のせいにするのは少し無理やりなのでは……?」
珍しくまともなことを言っているこの子は、堀井 紅季。
誰に対しても敬語の礼儀正しい子で、何か名家のお嬢様らしい。
「どうせ康資に決まってんだから、熟考する必要なんてない」
そして最後に紅季の慈悲をバッサリと切り捨てたのは蒼来 水都。
丸メガネに伸びた髪、そしてぶっきらぼうな口調。
典型的なガリ勉君。
そしてよくそのことを氷月にイジられている可哀想なキャラでもある。
「ねぇ……みんなさぁ…………何で僕にだけこんな当たり強いのさぁーっ!」
おっと。
黙って聞いていた康資が爆発した。
「わ、私はちゃんと養護しました!」
紅季の必死の弁明は康資の耳に届かず……
「どうせ五分後にはまた戻ってるからほっとけ」
と荘司にぶった切られてこの茶番は終了。
ちゃんちゃん。
そんなことをしていると、担任の先生が教室に入って来た。
「おい、お前らさっさと席につけ。おい、猿野、いい加減に人間に戻れ!」
猿野君……ホームルーム前に人間以外の姿なのはまずい気がするよ?
何に変わっていたのかは知らないけど。
名前的にサルしか思いつかない。
ホームルームが進み、最後に先生が言った。
「あと、これから『特色異』の授業も始まるからなー。課題出るから真面目にやるように。以上」
やる気のない挨拶のあと、ホームルームは終わった。
「一時限目何だっけ?」
「康資さ、時間割は自分で持ってくるか覚えよ? えーっと……あ、数学」
「げぇ。数学かぁ……」
机に項垂れる康資を見て、ふと疑問が浮かんだ。
「康資さ、特色異で脳細胞強化すればスパコンと同じくらい計算速くなるんでしょ? だったら数学嫌いになる要素は……」
「それは計算の方法が分かるとき。だってさぁ、どんだけ計算が速くてもする計算が分かんなかったらどうしようもないじゃん?」
いや、いかにも「当然でしょ?」みたいに言ってるけど、それ自分で言ってて悲しくないの?
そして何で理系の科を選んだの?
「だって荘司がいたから。荘司がいたら何だって教えてもらえそうじゃん? 入学試験の筆記、全教科満点だったじゃん!」
「いや、あれは……ってかお前、何でか知らないのか? ってか気づいてないのか?」
「え?! なんか裏あったの?! だめだよ、ズルしちゃあ……」
「……ここまで馬鹿だとは」
「ひどっ!」
荘司のシンプルな罵倒が康資を直撃した。
これも日常茶飯事何だけどね。
「え、紫田筆記全教科満点だったの? マジで?」
そう言いながらこちらに寄って来る男子。
誰だっけ?
「お前誰?」
荘司!
それは失礼!
失礼すぎる聞き方だよ!
「ああ、俺は猿野 灸途。よろしくな」
そう言って二カッと笑って片手を差し出す猿野君。
君か。
さっき人間じゃなかったのは。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
荘司!
差し出された手を握らないのは人として駄目だよ!
「おう」
そして猿野君もおおらかだね。
「何でお前はさっきサルの格好してたんだ?」
ダイレクトに聞くなぁ……。
しかもさらっと「お前」呼びだし……。
いや、僕も気になってたけど。
「ああ、あれね。友達にお前の特色異見せてって言われたから。特に理由は無い」
「ほーん……」
荘司!
自分で聞いたのに人が答えてその「興味ないね」みたいな態度はだめだよ!
「でさ、紫田が筆記満点ってマジ?」
「そうだがそれがどうした?」
「マジかよ。いやさ、あれ結構難しかったやん? 誰かが『筆記で二教科以上の満点を叩き出したやつはここ数十年いない』みたいな話してたの聞いたんだけど」
「そうか? 俺にとってはそこまでじゃあ……」
それはクラスの大半を敵に回す発言だよ?
「ふーん……。じゃあ、実技の方は?」
「あー、あれな……」
聞いた途端荘司が遠い目をしだした入試試験の実技。
この時点ですでに少し変わってると思う。
でも、それだけじゃない。
「いやー、マジで何も聞かされずに無人島に放り込まれるとは思わなかったわ」
そう。
試験当日、僕たちは無人島に放り出され、二週間そこで過ごした。
最初は、
『第二試験は実技です。暮らしの中での人間性、環境の変化に対する適応力など、諸スキルや能力を測定します。
持ち物は二週間分の衣服と身を守れる物』
的なことを言われてたから、「身を守れる物」ってとこに引っかかったけど、まぁ合宿でもすんのかなとかって気軽に考えてた。
で、当日蓋を開けてみれば、無人島で二週間過ごせって。
何かのドッキリかと思ったよ。
それでも万が一があるから行ってみたらどうも本物っぽいし。
荘司は「何慌ててんだ」みたいな目で見るし、
康資はキャンプにでも行くかのようなテンションだったし……。
ある意味人生の中で一番疲れた二週間かも知れない。
でも、決して悪いことばかりでもなかった。
なんせ、僕たち三人が氷月達四人に出会って、七人組になったのも、この実技試験だから。
話は今から三ヶ月ほど前に遡る。