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五 高校生の放課後

 朝通った時には気が付かなかったが、俺達が通う蔡銭高等学校から駅までの間の道のりには、かなりたくさんの店があるようだった。


「ここのパン屋のカツサンドが美味しいんだよね。ああ、あっちのラーメン屋、学生ラーメンめっちゃ安いし、替え玉一回無料だからおすすめだよ」

「さっきから食い物の話ばっかりだな」

「だってお腹へってんだもの。しょうがないじゃん」


 並んで歩いている妻崎が、目についた店について色々話してくれるのはありがたい。

 だが、通り過ぎた場所の中には、大きなショッピングモールやら、本屋やらもちゃんとあったのだ。

 そこに対して一切触れなかったのは、案内としていかがなものだろうか。


 こいつ、普段からどんだけ買い食いしてんだよ。と、思わざるを得ない。


「それで? 近頃の高校生ってのは、どこで、何して遊ぶもんなんだ?」

「あはは、実はあたしもよく知らないんだよねえ。放課後も土日も基本部活ばっかだし」

「おい。話が違うぞ」


 少しグルメから離れようと話を振ったら、あっけらかんと笑い飛ばされてしまった。

 昼間の頼もしさはなんだったんだ。


「まあ、そう怒りなさんなって。カラオケとか、ゲーセンとかならあっちの方にあるよ。なんか飲み屋さんとかも多いみたい。あたしはあんまり近づかないけど、どうする? 行ってみる?」


 言って、妻崎は駅に向かう道から外れた方角を指す。

 あっち、というと、南の方になるのか。

 駅前の通りよりも、少しごちゃごちゃとした街並みになっているみたいだ。

 繁華街、というやつだろう。


「いや、今日はいいかな。いきなり行くにはハードルが高そうだ」


 カラオケで歌ったり、ゲームセンターで遊んだりする自分の姿を思い浮かべ、ないな、と首を振る。

 流行りの歌なんて知らないし、昔はよく遊んだゲームに対しても驚くほど興味が湧かなかった。

 妻崎がそういうところに詳しいのならついていくのも面白いんだろうが、あんまり近づかないと自分で言っちまったしな。こいつ。


 今日は、行かない。

 俺一人でも行かない。

 つまり今後行くことはない。そんな予感がする。


「うーん、どうしよっかなあ。久郎、何食べたい?」

「いきなり聞かれてもなあ」


 そもそも何か食べに行くのは決定していることなんだな。

 遊びの意味を広くとらえるなら、一緒に食事というのも、まあ、セーフか。


「…………ハンバーガー、とか、駄目か?」


 しばらく考えて、最初に思いついた答えを口にする。


「お、いいじゃん。駅の中にあるしね。行こ行こ、がっつり食べよう」


 あまりにもオーソドックスな提案だと思ったのだが、妻崎は乗り気のようだった。

 嫌そうな顔をするでもなく、なんだったら少し嬉しそうな顔で鼻歌交じりに歩き出す。


 お前、食い物だったら何でもいいんだろ。

 試しに言ってみたら、長い脚で尻を蹴られた。

 口は災いの門、俺の自業自得だ。



 駅についた俺達は、ハンバーガーショップに入った。

 日本全国どこにでもあるチェーン店だ。

 小学生でも自分たちだけで利用したことがあるだろう。

 ここなら俺も全く抵抗がない。


「いい匂いだ。腹減ったな」

「だねえ」


 カウンターの向こうから漂ってくる、油の独特な匂いに懐かしさを感じる。

 間違いなく体に良くない影響を及ぼすのは分かっているんだが、美味しさを本能が理解してしまっている。

 そんな匂いだ。


「チーズバーガーのLセットで。ドリンクはオレンジジュース。あと、ナゲットもお願いします」

「お前……大丈夫か? 太るぞ」


 何の躊躇いもなく注文した妻崎に、小声で忠告する。

 今だって決して細くはないんだから、少々心配だ。


「いいの! 食べた分、明日二倍動くから平気」


 その二倍理論に対する信頼感はどこからくるんだ?

 サボリの分も含めたら、単純計算で四倍だぞ。

 かける対象が動きの速さなのか、時間なのかも曖昧だし。


「それに、久郎、これ好きだったでしょ? 分けたげるよ」


 にこやかに笑う店員さんが持ってきたチキンナゲットの箱をつんつんと突く妻崎。

 そう言われてしまうと、俺としてはこれ以上苦言を呈することができなくなる。


 それに、よく覚えてたなこいつ。

 確かに俺は昔からポテトより、ナゲットの方が好きだったのだ。

 俺も妻崎と同じものをMサイズで注文した。

 渡されたトレーを持って俺達は店内をしばしうろつき、やがて見つけた二人掛けの席に向かい合って腰を下ろす。


 やっぱり、学生が多いせいで混んでるな。

 周りを見回して、当たり前のような事実に新鮮さを感じる。


「よし、食べよ! いただきます」

「いただきます」


 律儀に手を合わせた妻崎に続いて、俺もチーズバーガーの包み紙を開ける。


 かぶりつくと、口いっぱいに肉とチーズの旨味、ケチャップの酸味が勢いよく広がった。

 噛めば噛むほどに舌がこれでもかとばかりに鮮明な味を訴えかけてくる。


「美味いな。そう言えば、こんな味だった」


 この安っぽくてわかりやすい味を恋しく思った日があった。

 こっちに戻ってきて、もう一度食べたい物リストのトップに挙げていただけのことはある。


「いや、どんだけ感動してんのさ」


 チーズバーガーを見つめてしみじみと息を吐く俺を、妻崎が笑う。

 話しながらもぱくぱくとポテトを口に運ぶ手を止めないのは流石だ。

 ただ、その仕草に行儀の悪さは感じない。


「……まあ、久しぶりだからな」

「ふうん」


 つぶやいて、また一口チーズバーガーをかじる。

 やっぱりわかりやすく美味い。

 妻崎はストローでオレンジジュースを一口飲んでから、


「ね、その、嫌だったら、答えなくてもいいんだけどさ」


 どこか歯切れ悪い口調で言った。


「今まで、どこで何してたの?」


 訊くかどうか相当迷ったらしい。

 露骨に視線が泳いでいるし、声ももにょもにょと小さい。


 こんな質問がくることは分かっていた。

 昼間の釘原とかいう女とは違って、妻崎は昔からの付き合いで、今でも友達だと言ってもいい相手だと実感できた。


 どう答えたもんかなあ。

 どこまで教えるか、どこまではぐらかすか。

 とても難しい線引きだ。


「どこで……ってのは、実は俺もよくわからないんだ。ただ、日本じゃなかった」


 これは全て本当のことだ。

 だが、こういう言い方をすれば、妻崎は俺が海外のどこかにいたのだと勘違いをするだろう。


 それでいい。

 本当のことを言って、ほら吹き野郎だと思われたくない。


「やってたことといったら、そうだなあ。毎日、ずーっと歩きっぱなしだったり、体を動かして働いたり、ちょっと危ないことがあったり、まあ、そんな感じだ」


 これもまた、真実だ。

 でも、何のためにそんなことをしていたのかは言わない。

 そして、俺が5年間やってきたことも曖昧にしておく。

 言わないんじゃなくて、言えないからだ。


「そう、だったんだ……」


 物を食べる手を止めた妻崎の頭の中では今、どんな想像がされているんだろうか。

 神妙な面持ちで黙り込んでしまったところを見ると、決して明るい場面ではなさそうだが。


「少なくとも勉強は全然しなかったな。あと、ハンバーガーやポテトもなかった」

「大好きなチキンナゲットは?」

「もちろん、なしだ」

「じゃあ、これ、あげる」


 重くなりかけた空気を振り払うために言った軽口に、妻崎も快く乗ってくれた。

 差し出された箱の中には、ナゲットが五つ。

 俺はその中の一つをつまみ、どっぷりとソースに浸してから口に放り込む。


「そう、これだよ。この味が恋しかったんだ」

「なら良かった。安上がりで助かるよ、ほんと」


 さっきよりだいぶ柔らかい表情になった妻崎も、ナゲットをつまんで半分かじる。


「やっぱりさ、しんどかった?」

「ん? ああ、そりゃきつかったこともあったよ。けど、楽しいこともちゃんとあった」


 頭をよぎる記憶は暗くて、思い出したくもないことばかりだ。

 死ぬかも、ではなく、ここで死ぬんだと恐怖したことは一度や二度じゃない。


 それでもだ。


「いい人たちにも、出会えたしな」


 忘れたくない大切な思い出を作ってくれた人達の顔が、自然と浮かんでくる。

 その人達に教わったことも、言われた言葉も、離れてしまった今だからこそ、かけがえのない俺の一部だと思うことができる。


「いい人たち、ねえ。もしかして可愛い子もいた?」

「え? ああ、いたよ。まあ、年上の女の人の方が多かったから、美人って感じだったけど」


 可愛いという仲間分けに入るのは、姉弟子くらいのもんか?

 俺より背が低かったの、あの人だけだし。


「へえー、そーなのかあ」

「何だよ、その顔」


 変な質問だとは思ったが、答えたら答えたで妻崎の声色が下がり、じとっとした目で見られる。


「あたしは元からこんな顔だよ。悪かったね」


 言いながら妻崎はナゲットの箱を自分の方に向けて、一気に二個食べてしまう。

 もう俺にはやらんという意思表示だろうか。

 そりゃ、こいつが買ったもんだから構わないが、この険のある感じはなんだろう。


「……そうだ」


 ぶすーっとした顔でナゲットの箱を見ていた妻崎だったが、何か思いついたのか、にやあっとした笑みを浮かべる。

 なんだ、一体どうしちまったんだ。


「な、久郎、このラスイチのナゲット欲しいでしょ? あげるよ」

「ん? ああ、ありがとう」

「たーだーし」


 妻崎は少し意地の悪い表情で最後のナゲットを指先でつまみ、


「ほい。あーん」


 俺に向かって差し出してきた。

 …………なるほど、そういうことしてくるのか。


「んー? どした、久郎? できないなら」

「いや、別にいい」


 からかい交じりな口調の妻崎、その指先のナゲットを俺はお望み通り口でひょいっと奪い取る。


「な……」

「何だよ、くれるって言ったのはお前だろ?」


 一瞬きょとんとした後、妻崎は自分の指先とナゲットを咀嚼する俺の口元を見比べて唇を震わせる。

 大方うろたえる俺を見て笑うつもりだったんだろうが、そうはいかない。


 こちとら年上の女の人に囲まれてきたせいで、そういう辱めには事欠かなかったんだよ。

 対処の仕方も自然と身につくってもんだ。


「いやいやいや! 恥ずかしくないわけ⁉」

「まあ、多少はな」


 ただこういうのは躊躇ったり、恥ずかしがったりしたら負けなのだ。

 色々考えず、勢いで行動するに限る。


「でも、嫌じゃなかった。そんだけだ。ごちそうさん」


 むぐむぐと口の中でナゲットを味わって、飲み込む。

 ソースなしでも十分味ついてるな、これ。


「嫌じゃなかったって、久郎あんた」

「慣れないことはやらない方がいいぞ? このくらいで照れるんなら、なおさらだ」

「このっ……あんた、わかってて!」

「悪い。色々、あったからな」

「くぅ、なんかムカつくんだけど!」


 仕掛けてきたのはお前からだ。

 バツが悪そうに唇を噛む妻崎を見るのは、実に気分が良かった。


 しかし、それも束の間。

 妻崎はすぐ別のことを思いついたらしく、ぱっと顔を上げる。


「ねー、久郎、あんたスマホとかもう持ってるわけ?」

「ああ、持ってるぞ」


 というか、持たされた。

 主に母さんと、姉さんが絶対に必要になるとゴリ押してきたのだ。

 ただ、この半年の間、まともに使った記憶がない。

 外出をほとんどしなかったし、連絡を取り合う友達もいないからだ。


「じゃあさ、連絡先交換しようよ。ほら、その、何かと便利じゃん?」

「そうだな、頼むよ。メールアドレスと、電話番号でいいのか?」

「うーん、いや、それもまあいいんだけどさ。もっとこう手っ取り早いアプリがあって」

「アプリ?」

「いいや、あたしがやったげる。ちょっとスマホ貸して」


 取り出したスマホの画面を見て固まった俺を見かねたのか、妻崎が長い手を差しだしてくる。

 なんだろう、機械に弱いじいさんのように扱われている気分だ。


「お? アプリ自体はもう入れてあるみたいだね。じゃあ、簡単だ…………ほい、できたよ」

「ん、ありがとさん」

「ああ、今見えちゃったんだけど、誰かからメッセージが入ってたみたいだよ」

「そうなのか? 気付いてなかった」


 スマホを返しながら妻崎に指摘され、我ながらたどたどしい手つきで画面を操作する。

 打ち込んだメッセージを連絡先の相手とリアルタイムで交換できる、

 このアプリそのものは5年前にもあった。


 ただいざ自分が使うとなると、どうにも勝手がわからない。

 ボタンなしで直接画面をいじれるとか、仕組みがわからなきゃ魔法と同じだ。


「…………すまん、姉ちゃんからだ。電話しろってさ。ちょっと席外すぞ」

「奈々子先輩からかあ。そりゃ、ちょっとあたしがいないところでの方がありがたいかも」


 姉ちゃんから、と聞いた妻崎が少し困ったような表情を浮かべる。

 こいつがうちの学校のバレー部に入っているなら、二人は同じ部活動の先輩後輩の関係になるはずだ。

 今はもう九月の終わりで、三年の姉さんが引退してることを考えても、気まずさはあるだろう。


 それ抜きにしたって、姉ちゃん、昔っから妻崎に対して厳しかったからな。


「行ってくるよ。荷物、見といてくれ」

「ほいほーい。行ってらー」


 妻崎は小さく手を振ってから、自分のポテトをつまみ始めた。

 俺の様子を気にしているふうでもないな。


 手早く、済ませてしまおう。

 そう思って俺は足早に店を出て、さらに駅の外に向かって歩き出した。

 ちなみに私が高校生だった時の放課後に、女子と二人でどうこうみたいな出来事は皆無でした。

 この話は言ってしまえばファンタジーです。

 よろしくお願いします。

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