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四 新たな出会いは望ましくなく

 昼休みになるとすぐ、俺はデカい弁当箱片手に一人で教室を抜け出した。


 有名人らしい姉ちゃん来訪の恐れがあったから、というのもあるが、やっぱり周りに変な気を遣わせたくなかった。


 三時限目の後、クラスメイトはほとんど俺に近づいてきていない。

 避けられて当然だ。


 俺のせいで、朝感じた教室の温かくて優しい雰囲気を壊したくはなかった。

 教室の中にこびりつく違和感になるくらいなら、居なくなってしまう方がまだマシだろう。


 幸い忍び足も、人気のない場所探しも得意だ。

 俺は誰の目にも止まることなく校舎をぶらぶらと歩き回り、中庭の一角に出たところでおあつらえ向きの場所を見つけた。


 植え込みが作り出す死角の中に、むき出しになったコンクリートの地面。

 ここなら腰を下ろしてもズボンが汚れないし、人目も避けられる。

 今の時間にちょうど、日なたになっているのもありがたい。


 これ幸いと胡坐をかいて弁当箱を置き、目を閉じる。


 顔に当たる柔らかな太陽の光と、風の音。

 少し離れた校舎のどこかでは、他愛もない喧噪が響いている。

 自分がその中に混じる様子は想像もつかないが、外から聞いている分には心地よかった。


 母さん、ごめん。

 弁当ぐらいは残さず食べて帰るから。


 言い訳じみたことを考え、目の前の大きな包みに手をかけた時だった。


「おやおやぁ? こんな所で一人飯なんて、さてはキミぼっちかなあ?」


 こっちに向かって、歩いてくる奴が一人。


 女だ。

 腰か、もしかしたら膝の裏くらいまでありそうな長い黒髪をおさげにしてまとめているのが目につく。

 三つ編みになっている太い毛束を見て、荒縄みたいだなと思った。


「そうじゃなきゃ、厨二病? わかる、わかるよお。教室に一人で居るとさ、それだけでしんどいよねえ。うわあ、アイツ可哀想みたいな視線感じちゃうよねえ。被害妄想がはかどるはかどる」


 タレ目がちな女は、ニヤニヤとしまりのない笑いを浮かべながら、そのまま近づいてくる。

 俺に、話しかけてるんだよな、こいつ。

 だとしても、お喋りの多い奴だ。


「違うっつーの。俺は一人で居るのが好きなんだっつーの。群れたくないんですけどお、みたいな?」


 俺の返事を待たず、女は一人で喋って、一人で盛り上がっている。

 人懐っこいのとは、また違うな。

 こういうのは、馴れ馴れしいと言うんだ。

 口数は多いが、決して社交的ではない。


「あんた、誰?」

「わたしぃ? わたしもねえ、お友達がいない可哀想な子」


 何が楽しいのか、女はキシシシと独特な笑い声をあげる。

 歯の色も並びも綺麗だが、不健康な感じがするのはなんでだろう。


「ねーえ、ここであなたとお話してもいーい? さびしい私を慰めてよお」


 女が遠慮も躊躇もなく俺の隣に腰かけて、顔を近づけてくる。

 悲しそうな声色を作っているのが、抜群にうさんくせえ。


 何なんだ、こいつは。


「質問に、答えろよ。お前は誰だ? どこかで会ったことあったか?」


 作り物なんじゃないかと思ってしまうくらい、白くてつるんとした肌だ。

 そのくせ目の下にだけ濃いクマがくっきりと浮き上がっている。

 顔立ちそのものは整っているはずなのに、締まりのない表情のせいで得体がしれない印象の方が強い。


 姉ちゃんや妻崎と同じ制服を着ているところを見ると、この学校の生徒なんだろうが、サイズがあっていないのかダブついた印象を受ける。

 長い髪に隠れて首元に埋もれてるのは何だ?

 大きな、ヘッドホンか?


 突然話しかけられて驚いたのは今日だけで二回目だが、妻崎の時と違ってこの女には本当に見覚えがない。


「ううん、怖い顔してるねえ。でも、イケメンさんだあ」

「はぐらかすな。おい、顔を近づけてくるなって」


 ぐいぐいと寄ってくる女に、流石に耐え切れなくなった。

 額を押して、引き離す。手の平から伝わってくるのは、ひんやりとした感触だ。


「いやあん、そんなに邪険にしなくてもいいじゃん。転校生の、橋爪久郎くん?」

「お前……っ!」


 女が俺の名前を口にした瞬間、背中にぞわりと寒気を感じた。

 名前を知られていたからじゃない。


 視線を感じたのだ。


 目の前の女ではない誰かがじっとこっちを見ている。

 場所までは特定できないが、気のせいじゃない。

 少し集中すれば、すぐに割り出せるとは思うんだが。


「ねえねえ、こっち見てよ久郎くーん」


 胸元を指で突いてくる目の前の変な女が鬱陶しすぎて、それは難しそうだ。


 ……無関係ってことはないだろうな。

 こいつが囮で、もう一人が物陰から俺の様子を窺う。

 そういう役割分担なんだろう。

 ベタベタと距離が近いのも、それなら納得がいく。


 目的はわからんが、とにかく面倒なことになった。


「なんで俺の名前を知ってるんだ? 同じクラスには居なかったよな」


 とりあえず俺は囮役らしい女に向き直る。

 どこかに隠れている誰かには、気づかないふりだ。


「いやあ、ほら、同じ学年の転校生ってやっぱり気になるでしょ?」

「そうかい。見ての通り、面白みもない、友達もできていないつまらん奴だ。悪いな」

「そーでもないよお? たしかにい? 背はちっちゃいけど、顔かっこいいし。もっと自信持ってっ」

「大きなお世話だ」

「おまけにキミ、中学通ってないんでしょ?」

「……それ、どこで聞いた」


 スッと刃物のように差し込まれてきた言葉に、自然と表情が強張る。

 喋ったのは俺と同じ小学校に通ってた奴だろうか。

 隠し通すのは不可能だろうとは思っていたが、いくらなんでも早すぎる。


 噂話として伝わったのではなく、調べられたと考えておいたほうが良さそうだ。


「んー? 友達の友達から聞いたの。あ、さっき友達いないって言っちゃったからコレ嘘ってばれるね」

「ふざけるな」

「くひひひ、いいね。その目、ゾクゾクしちゃう」


 声色を落として脅したはずなのに、女はかえって喜んでいるように身をくねらせる。


 いよいよ、腹が立ってきたな。


「お前、何なんだよ」

「うひひ、気になっちゃう? 私はただ、興味があるだけだよ、久郎くん」


 すっとぼけたように明後日の方向を見て、口元に手を当ててにやつく女。


「5年も行方不明になってた男子高校生って、こんな感じになっちゃうんだねえ」


 また、いひひひひ。

 その笑い方はなんだ。

 何が可笑しい。見透かしたようなこと言いやがって。

 お前に何がわかる。俺がどんな風に見える?

 傷ついている、歪んでいる、普通じゃない、そんなところか?


 だったら見当違いだ。

 変わってしまった俺の中の何かを正しく言い表すなら、それは。


「おおーい、久郎! やっと見つけた! あんた、なんでこんな所にいんのさ?」


 せり上がってきたどす黒い何かを吐き出す前に、デカい声に耳を貫かれた。


「……ありゃりゃ、タイムアップか。なんかあの人、私の苦手なタイプっぽい」


 俺と目の前の知らない女は、揃って声のした方を向く。

 こっちに小走りでやって来ている背の高い女子を見て、女はちろりといやに赤い舌を出した。


「私の名前は、釘原いろはっていうの。忘れないでね、久郎くん」


 立ち上がった女は勝手に名乗り、俺の返事を待たずに背を向けてスタスタと歩き出す。


「あれ誰? 知り合い?」


 すれ違った釘原の長いおさげを訝し気にふり返りながら、妻崎が訊いてくる。


「いや、初対面。転校生に、興味があったんだとさ」

「ほーん」


 腰に手を当てた妻崎は、座っている俺をじいっと見下ろしてくる。

 やっぱ、背が高いな。

 首が痛くなりそうだったので、視線を合わせるのは諦めた。


「……久郎、なんかあった?」


 何かを察したらしい妻崎がしゃがんで、顔を覗き込んでくる。


「何で?」

「いや、顔がまた、すげえ怖いから」


 また、か。

 教室での一件といい、俺はこんなに顔色を隠すのが下手だっただろうか。


「確かに……ちょっと、イライラはしてたかもしれない」


 息を吐き出しながら、顔に両手を当ててもみほぐす。

 これで少しはマシになってくれればいいんだが。


「どしたん? 言ってみ?」


 ドシン、と決して軽くなさそうな音を立てながら、妻崎は俺の横に胡坐をかいた。

 スカートだろ、お前。と言いかけたが、その様が妙に似合っていたので指摘はしなかった。


 さっきの鬱陶しい女と違って、妻崎は黙って俺の返事を待つことにしたようだ。

 ちゃんとこっちに考える時間を与えてくれる。


 自分が一方的に喋るのではなく、相手に何かを話してもらう。

 そういう態度だ。


 心地よい沈黙のおかげで、自分が話したいこと、そして話してもいいことを整理できた。


「難しいけど、そうだな……色々噛み合ってないというか、自分が浮いてるのが気になってな」

「あー、坂本先生の授業の時のアレ?」

「それだけじゃ、ないんだ」


 顔を上げると、植え込みの木々の向こうに校舎が見えた。

 窓一枚隔てた向こう側に、行きかう生徒たち。

 俺と同じ年か、違っていても二つ。そのはずの人達だ。


「ここに居るのに現実味が薄い、しっくりしない感じが消えない」

「だからこんな人のいないとこでこそこそしてたん?」

「こそこそってお前……まあ、正解だよ」


 自分と比べるものがなければ、少しは気楽になれると思ったんだがな。

 さっきの変な女のせいで、それも台無しだ。


「あ」

「おう? どした、久郎」

「いや、やっぱり何でもない」


 そう言えば釘原が居なくなってから、こっちを盗み見ていた視線も消えた。

 予想通り、あいつとグルだったみたいだな。

 気を逸らす相手が居なくなってバレるのを避けたのかもしれない。


 念のために俺は周囲に意識を飛ばして、気配を探る。

 これは……うん、本当にいなくなってるな。


「よし、決めた!」


 俺が黙り込んでいる間に、何か心境の変化があったのか。

 隣の妻崎が突如、大きな声をあげた。


「決めたって、何を?」

「あたし、今日、部活休む!」

「部活?」

「うん。あたし、まだバレーボール続けてんだよね。でも、今日は休むわ」


 具合が悪い、わけではなさそうだな。

 こいつの背の高さなら、そりゃバレー部では重宝されるだろうが。


「休むって、何でまた急に」

「決まってんでしょ。遊びに行くんだよ。久郎、放課後付き合って」

「……いいのか? 完全にサボりだろ」

「いいの! 明日二倍頑張るからさ。気にしなくても平気だって!」


 バシンバシンと、スナップを効かせて背中を叩いてくる。

 流石バレー部。普通に痛え。


 遊びに行く、かあ。

 どう考えても、気を遣ってくれてるんだろうな。これは。


「俺、最近の高校生が何して遊ぶかなんて知らないぞ?」

「それを教えに行くんでしょうが! いいからついて来なさいって」


 ポンと、妻崎は自分の大きな胸を叩く。揺れる。

 もう決定事項だと、目が訴えかけてきていた。


 これは、断れない。


「案内は、頼んだからな」

「まかせろ! つうか、あんたの弁当デカくない? 中どうなってんの?」

「今気づいたのかよ……」


 俺の返事を聞いて満足したらしい。妻崎の興味が、母さん特製の弁当に移った。


 その後はまあ、やかましかった。

 だが、久しぶりに楽しかったとも思う。

 二人目のヒロインです。

 今んとこ、可愛い要素ないですね。

 これから魅力を演出していければな、と思います。

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