16
アシュリーが、風に流れる髪をかきあげた。
当然、岩場から見守られていることに気付いてはいない。
「ケインさん」
と呼び掛けた。
「何?」
ケインが水平線から彼女の方へ視線を向けると、さっきよりも近くにいることに気付いて、彼は少し動揺していた。
「実は、その…… ケインさんにお伝えしたいことがあって……」
「えっ」
ケインの動揺はさらに大きなものとなっていた。若干、顔が紅潮している彼女の目が、何かしら決意を持っているように見えるからだ。
「あの……!」と言って、ポケットをまさぐる。そうして、手の平よりも小さな袋を取り出した。
「こ、これを……!」
ケインが首をかしげる。
アシュリーは、恥ずかしさからなのかうつむいたまま、その小袋を差し出した。
「ユイを助けてくれて、本当にありがとうございます……! 私、ずっとお礼が言いたくて、でも、ユイみたいにハッキリと言えるような性格じゃなくて、その……」
声が震えていて、耳まで真っ赤になっている。顔はまだあがっていないから、表情が読み取れなかった。
「とにかく、これを……」
ケインは驚き固まったままだった。
最初は、まさかまさかの告白かと思っていたけれど、どうやら違うようだと悟るまで少し時間を要したし、差し出された小さな袋が、贈り物だろうということに気付くまでにも、少し時間が掛かった。
不意に、アシュリーが上目となる。不安そうな顔をしていた。
「あ、ありがとう…… でも、俺なんかにそんな気を遣わなくても……」
とまで言ってから、ケインはこれじゃないと思って咳払いを一つして、
「いや、違うな…… ありがとう、アシュリーさん。ありがたく頂きます」と言って、受け取った。受け取ってすぐ、
「あけてもいいかな?」と尋ねる。
「は、はい。なるべく迷惑にならないような物を選んだつもりです……!」
ケインは、彼女のあまりの初々しさにときめきっぱなしだったが、とにかく中身が気になるから、袋を丁寧にあけた。
すると、中には所謂ミサンガのような、腕に付ける組み紐が入っていた。
織り方は伝統的なムズリア様式で、目立ち過ぎないよう、赤を基調にしつつも落ち着いた色合いの紐で、丁寧に織られている。
「これは……?」
「ケインさん、昨日はなんの日だったか分かりますか?」
「へっ……?」
そう言えばと、ケインは思った。
ユイがそんな問い掛けをしてきていた気がする……
しかし、どうしてアシュリーまで尋ねてくるのか、とんと見当が付かない。
ここで変なことを言ってはいけないと考えたケインが、言いよどみながら、
「特別な日…… だったかな? 確か」と答える。
アシュリーが苦笑って、「忘れているって、素直に言ってくださいよ」と言った。
それでケインが、思わず横目になって、バツが悪そうに頬をかいた。
「ゴメン……」
「いえ、むしろ謝るのは私の方です」
「えっ? なんで?」
「本来なら、昨日のうちに渡すべきだったのに……」
アシュリーが苦笑った。
ケインは意味が分かっていないから、少々うろたえている。
「昨日ってことは…… あの出来事が無かったら、渡せてたってことでいいのかな……?」
「いえ。私が色々ともたついてしまったから、あんなことになったと言うべきでして……」
「でも、なんでそんな――」
と言ってすぐ、
「あっ」
と声をあげる。
唐突に、ケインがあることを思い出したからだ。
「昨日って、俺の誕生日だったか……?」
「そうですよ? まさか覚えていらっしゃらなかったなんて、思わなかったですけれど」
「い、いや、なんて言うか、今の今まで忙しかったし、祝われる相手もいなかったから」
「ターザリオンさんはちゃんと覚えていて、ちゃんと祝っていたと仰ってますよ?」
あいつが教えたのか……
ケインはそう思いながら、「いやぁ…… いつも廊下ですれ違うときとかに言われるくらいだったから、覚えてなかった」と、また頬をかいた。
「それくらいでしたら、仕事にも支障をきたさないでしょうし、よければお使いください」
「使う使う! もう今から身に付けるよ!」
先程からニヤけていたケインが、ついに笑顔を解禁した。満面の笑顔だった。それでアシュリーも、嬉しそうに笑みを浮かべていた。
彼はカラの袋を大切そうにポケットへ仕舞い、持っていた組み紐を腕へ掛けた。
「私が結びます。手首を出してくれますか?」
「え、ああ…… 分かった」
ケインが差し出した右手首に、アシュリーが紐を結び始める。
彼は、ジッと彼女の両手の動きを見ていた。
しっかり固く結んだことを確認したアシュリーが、しばらく彼の手首に付けられた組み紐を見つめ、フッと目を閉じた。
ケインは特に何も考えず、自分の前腕を持つ彼女の両手を見つめている。
風が吹いて、その風が通り過ぎて収まった頃、彼女はケインの腕から手を離した。
「――どうですか? きつくありませんか?」
「ちょうどいいよ」
ケインが顔をあげると、アシュリーも顔をあげたところだった。
「アシュリーさん、本当にありがとう。月並みだけど嬉しいよ。こんな風に贈り物をもらったことなんてなかったから……」
「…………」
「ん? どうしたの?」
「その、良ければなんですけれど…… 『さん付け』を取ってもらえませんか?」
「えっ?」
「ほ、ほら、ユイは妹と言って親しく呼び捨てにしているじゃないですか? 私も一応、ユイと同じ歳で、その…… せっかくですから、お友達みたいな感じで……」
――これは進展したと言うことでいいのだろうか?
ケインは『友達』という言葉にちょっとした引っ掛かりを覚えつつも、この先も友達として会って、好感度をあげていけば、あるいは…… そんな邪な打算が頭の中で芽生えつつあった。
「ケインさん?」とアシュリー。
「あっ! も、もちろんいいよ! って言うか、俺に丁寧な言葉遣いなんてしなくていいから!」
「いえ、さすがにそれは……」
「ユイなんて酷いものだろ? 本当に兄を尊敬しているのか分かったもんじゃないし、君は逆に、もっと俺に甘えてくれてもいいって言うかさ……!」
「じゃあ、港に戻ったら何かおごってね? お兄ちゃん」
「ああ、別に――」
とまで言ったケインが、ハッとして振り返る。
少し離れたところにユイがいた。そこからさらに離れたところにターザリオン、カメリア、アルメリアがいて、こちらに向かって歩いていた。
「ゲッ…… な、なんでお前が……!」
「お兄ちゃんにはまだまだ任せられないかなぁ……」
そう言って、ユイがケインとアシュリーの傍にたどり着く。
「もう少し、あたしが尊敬できるようなお兄ちゃんになってもらわないとね」
「ユイ、何をケインさんに任せるの?」
「え? そりゃあ――」
「ユイ! 朝食できたから呼びに来たんだよな?」
ケインが急に早口となって言った。
「ほ、ほら! 行くぞ!」
そう言って、ケインがユイの腕をつかんで、引っ張るように歩き始める。
「ちょっとお兄ちゃ~ん、アシュリー置いていくの~?」
ケインが立ち止まって振り返り、
「アシュリーも行こう」と呼び掛ける。
キョトンとしていた彼女が、すぐに笑顔となり、「はい!」と言って駆け寄った。
こうして、いきなり王族の行楽に付き合わされたケインの、仕事なのか休暇なのかよく分からない、一泊二日の出来事が終わる。
後日、ケインが右手首の組み紐を見てはニヤつくから、それが気になって仕方が無いとか、まさかひょっとして…… などと言う独身同僚があとを絶たなかったそうである。
――――了




