9 晩餐(ばんさん)と残業と
聞けば、建物に入りきれないくらい聴衆が集まっていたらしい。
そこまで大きな建物じゃないし、なんなら大きめの一軒家くらいの規模しかないけれど、それでも周りを囲むくらいに来ていたそうだから、歌姫いまだ健在と言うべきかもしれない。
明日は周辺に人が集らないよう対策をすると、ケインは伝えられた。
それから、着替えてすぐに外へ出るのは危ないからと、ある程度、人が減ってから建物を出る。
広場ではまだ屋台をやっているらしく、特殊照明の装置よりは格段に落ちるが、それでも篝火で随分と道が明るい。そうでなくとも、満月に近付いているせいか、月明かりもあって風景が青白く、全てが明るく見える。
カメリアは舞台用の服から普通の服装になっていて、後ろ側にレースが付いた帽子を頭に乗せていた。他には羽根飾りみたいなのも付いている。
ケインはもう少し変装した方がいいのではと言ったが、こっちの方が目立たないから大丈夫と言い、逆にケインに服装を変えるようにと言った。
確かに警備兵の格好で歩いていては、夜道であっても目立ってしまう。
むしろ、人の心理的に夜の方が警備兵などの服は目立つものだ。それはケインが経験上、感じていたことでもあった。
そんなわけで役場の人から舞台衣装用の、少しフォーマルな男装着を借りた。だから、警備兵の服は役場に置いておくことにした。結局は明日、またここで仕事するのだから構わないだろうと、ケインが判断したからだ。
普通にこっちも目立つんじゃないかと思ったけれど、カメリアが言うに、演奏会のあとだし、警備兵の服よりもよっぽど似合っているらしい。
むしろ男前ですよとお世辞を言うものだから、ケインはやめてくださいよと苦笑って答えた。
二人で港の前までやって来る。ランタンが不要なくらい、篝火があって明るかった。
「そう言えば」と、カメリアが言った。「宿は取れているの?」
「ええ、商店街の向こう側にある、北突堤と呼ばれるところの交番に泊まります」
「あら、友達の家の近くね」
「へぇ、あの辺りに住んでいらっしゃるんですね」
「実はそこのご厄介になるつもりでしてね。せっかくだから一緒に来ませんか?」
「えっ? いや、でも~……」
「いいじゃありませんか。明日の演奏会、その友達が来てくれるんですけれどね、せっかくだから、護衛のあなたのことも紹介しておきたくて」
「今日は用事でも?」
「ええ、どうしても外せない用ができたらしいの。それで明日に、ということになったのですよ。――実のところ、私はその友達に歌ってあげたくて、この島まで来たんですから」
「そうでしたか」
「お願いできませんかねぇ?」
料金を三倍もらっているわけだし、断るのも忍びない。
「まぁ、演奏会が終わって帰路につくまでという契約ですから、多少は構いませんけれど…… 正直、自分はそんなに頼りがいのある人間ではありませんよ?」
「頼りがいというのは、人によって目まぐるしく変わるモノですよ。自分の利になることが、仕事だったり家事だったり、単に傍にいてほしいのだって、その人にとっては立派な利につながる行為になるのですから」
「はぁ」
「それに、食事は団欒があった方が美味しくなるものです」
「な、なるほど……?」
――これは一緒に食べろと言っている?
ケインは半信半疑にそう思いつつ、カメリアを見ていた。
「さぁさぁ、行きましょう。こっちですよ」
今日は酒が飲めそうにない。ケインはそう思いながら心中で溜息をついていた。
それからしばらくは、カメリアの話を相鎚を打ちながら聞いていた。この辺りは普通に年寄りな感じだなとケインは思った。
「友達にも孫がいて、うちの孫と同級生なんですよ」
商店街の脇を歩きながら、カメリアが言った。
実際はそこまで多くはないだろうが、小さな村だからこそ、たいした人数でなくても多く感じるものだ。
商店街はまだまだ盛況と言った感じで、その分、なれていない島民に変わって、交番で見掛けた警備兵たちがあれやこれやと馬車の交通整理よろしく、人々の往来や飲食客を制御していた。
「最近、こちらに引っ越してきたばかりなんですけれどね」
カメリアが話していることに気付いたケインが、
「あぁ、はい」と答える。
「友達に似て、とってもいい子なの。うちの孫も打ち解けてくれたし、ありがたいことですよ」
「えっと…… 引っ越してきたのは、お孫さんですか?」
「ええ、そうなんです。私と一緒にね」
「失礼ですが、以前はどちらにお住まいだったのです?」
「私も孫もエルエッサムに。ただ、あの国は雪が降るくらい寒いでしょう? ご存じですか?」
「行ったことはありませんが、友人の一人が研修で行ってて、それで雪のことは聞きました」
「この年で雪国にいるのは辛いですからねぇ…… 昔、過ごしたこの地へ移住してきたのですよ」
「それでお孫さんも一緒に?」
「ええ。一人でエルエッサムの学校にいるのは嫌だと言うものだから…… 学業を考えると、あそこの方が質が高くていいんですけれどね」
確かに、とケインは思った。
エルエッサム公国はこの諸島群の、うんと北の方にある地域で、ベリンガールやアル・ファームと呼ばれる主要国と近いところにある。
話に出てきたエルエッサムの学校は『スーズリオン学園』と呼ばれ、世界最古の教育機関であり、中高大学まで一貫して学べる上、様々な学部が存在する由緒正しき学校である。
自分のような田舎者であっても、アル・ファーム大学と肩を並べる双璧と言われていることは知っている。それほど有名な場所だ。
「でも、あの子の性格を考えると、勉学に励むよりはこっちで色々と経験した方がいいかもしれないから…… これで良かったのかもしれないけど」
「お孫さんが、後悔はしないって覚悟を決めてこちらへ移住してきたのなら、それでいいのでは? 違った場合は、必ず後悔するでしょうけど」
「そうねぇ…… 自分の意志で決めたみたいだけれど、今度、改めて聞いてみようかしらねぇ」
「俺の友達も、エルエッサムの方へ行けばもっと稼げるのに、ここに残るって決めて残っています。決めたからには後悔しても仕方ないから、しないって言ってますし」
「あら、何か理由でもあって?」
「寒いのが嫌いなんです。雪とか見たくもないそうで」
「あらあら、私と同じ理由ですね」とカメリアが笑った。




