77 始めての笑顔
リエッジ家の事件から一週間後の夕方前。
少し着飾った私服姿のケインが、独身寮の玄関から出てくる。
空の光がまぶしく感じた彼は、フッと上を見やった。
晴れ渡った透明な空は、にわかに赤っぽくなりつつあって、白い鳥が数羽飛んでいる。
「やっと来た」
私服のユイが、そう言って立っていた。普段よりは少し整えられた服装である。
「こんな格好で大丈夫か?」
ケインが念を押すように尋ねると、彼女はうなずき、
「割と似合ってるね」と言った。
実は、ベルから改めてお礼がしたいと言われており、晩餐会の警備という名目で依頼を受けていた。
本当は制服で行く予定だったが、突然、迎えに来たユイが私服で来いと言った。だからケインは、整えた私服で出てきたのである。
彼は彼女の傍へ寄ってから、
「ターザリオンは仕事だから、日没くらいに向かうってさ」と告げた。
「アシュリーとカメリアさんは多分、もうカウカ島にいるんじゃないかな?」
「そうか……」
「アシュリーが来てないからって、露骨にガッカリするのやめてよね」
「いや、そういうのじゃないって」
「じゃあ、どういうの?」
「だから…… 俺一人で行けるのに、なんで君が迎えにきてるんだって思って」
「制服で来られると目立つから、私服にしてほしいって伝えに来たのが一つ」
「もう一つは?」
「推理して」
「俺はカメリアさんじゃないから、無理だよ」
ケインが困った顔をしながら言うと、ユイが笑みを浮かべた。
「いいじゃない。独身寮に女の子が来ること、ほとんどないでしょ?」
「あのな…… 絶対、それ他の連中に言うなよ?」
「分かってるよ。ケインさんだから言ったんだし」
「なんか引っ掛かるな、その言い方……」
「ほらほら、行こう。窓から見られてるから恥ずかしいし」
ユイがそう言って独身寮の方を見やるから、ケインも振り返って眺める。
確かに、一階の窓の向こうから、チラホラと同僚の顔がある。
「そ、そうだな。さっさと行こう」
ケインは面倒なことになる前に、立ち去ろうと考えて言った。
それから乗合馬車で行こうか尋ねると、ユイが歩いて行きたいと言うから、二人で歩いて港を目指す。
「じきに夕方なのに、今日も浜辺に人が来てるね」とユイ。
「まぁな」
適当な会話をしながら、ブラブラと歩いて港にたどり着く。
じきにカウカ島行きの船が出るところだったから、ケインとユイはさっさと乗船した。
しばらく甲板の上で揺られながら、二人でたわいない話をしていると、
「あのさ、ケインさん」
と言って、ユイがケインの袖を引っ張る。
彼女は妙に改まった様子だった。
「なんだよ? 急に」
「一週間前、メオ港であたしが言ったこと覚えてる?」
「え? 港で……?」――マズイ、すっかり忘れてる。
「きっと忘れてるだろうから、もう一度言うね?」
ケインは見透かされていたことに少々腹が立ったけど、それ以上に、事実だったことを悟られるのが嫌だから、
「どうぞ」と答えておいた。
「あたしが相談したいことがあったとき、ケインさんは『しばらく聞いてやる』って、言ってくれたよね?」
「言ったと思う」
「思うじゃなくて、言ったからね?」
「じゃあ、言った」
「それでさ…… ケインさんは分かった? あたしが『ずっと』にしてほしいって言ってる理由……」
はっきり言うと、分からない。
恋愛的なものでないなら、どういう意味で言っているのか、とんと見当が付かぬ。
だけど、それを正直に言っていいものか、ケインは悩んだ。
そもそも、らしくないくらいにユイが、いじらしいと言うか健気と言うか、妙にモジモジしているから、何を言えば正解なのか分からなかった。
カウカ島の港がハッキリ視認できるところまで来ていたし、そろそろ到着してしまう。
とにかく答えようと思って、
「さっきも言ったけど、俺はカメリアさんと違って、謎解きは得意じゃない。君が望む答えが分からないよ……」
「すぐ分かるよ。だって、あたしは恋愛感情が無いけど、ケインさんが好きなんだよ?」
「それが分からない…… 好きだけど恋愛でもないってどういうことだ?」
「男の人は鈍感なのかなぁ…… ケインさんが特別って感じもするけど、それだとアシュリー攻略は大変そうだなぁ」
「なんでアシュリーさんが関係あるんだよ……」
「今後のためにも当ててみてよ。ね? あたしも手伝ってあげるよ? アシュリーの攻略」
「なんだよ、攻略って……」
いったい何が狙いなのか……
しかし、ケインは気になって仕方なくなったから、アシュリーのことは脇に置いておいて、当てにいった。
「――男友達か?」
「それなら学校にもいる」
「先輩」
「似たようなものでしょ?」
「分からないな…… 同僚ってワケでもないし、依頼主のベルさんのお孫さん…… ってワケでもないだろうし」
「もう答え、言おうか?」
「ま、待ってくれ。ここまで来たら気になる」
ケインは制するように手を出して言って、いくつか気になったことを尋ねる。
そうすると、ますます分からなくなってきた。
彼女はその都度、示唆を与える。
それが妙に褒められてばかりな感じでムズ痒く、こそばゆい感じがしてくる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……!」
ケインが赤面しつつ言った。
「なんでそこまで俺を褒める?」
「褒めてないよ? あたしがそう思ってるだけ。ケインさんは頼りない感じがするけど、やっぱり頼りになるんだなぁって……」
ケインはそっぽを向いて、表情をできるだけ見られないように努めた。
クスクスとユイが笑い出す。
「じゃあさ、ケインさん。じきに着くし、カメリアさんに答え教えてもらおうか?」
「えっ?」
ケインが驚くと、ユイがニンマリと意地悪そうな顔をしていた。
それから間も無く船が止まる。
港の中にある待合所の長椅子に、カメリアとアシュリーが座っていたから、下船した二人が近付く。
ユイがお待たせと言いながら、カメリアに謎々があると告げる。
当然のように、カメリアは興味津々で、どんな謎々なのか尋ねると、ユイがケインに話していた内容を伝え、答えるように促した。
そうすると、アシュリーもカメリアも驚いた様子で、ユイとケインを交互に見やっている。
「あの…… なんですか?」
ケインは妙に緊張してきて、肩肘の張った様子で返事をする。
「まぁ、普通は気付きませんよねぇ」と、カメリアが笑っている。
「ええ、まぁ…… 正直に言って、分かりません」
「ユイちゃんはね、ケインさん。あなたが『お兄さん』に見えて仕方ないんですよ」
「おにい…… えっ?」
ケインがユイを見やる。
彼女はニッコリしていた。
ケインはすぐカメリアへ視線を戻し、
「は? え? どういう意味です?」
「できることなら、あなたとこれからも交友を持ちたいと思っている、ということです。妹のような存在としてね」
ケインはしばらく惚けていた。
そして今度は、ゆっくりとユイへ視線を向ける。
彼女はやっぱり少し紅潮していて、
「あたしの家、親戚とかもいないしさ…… 良かったら、適当な妹と思って扱ってくれない?」
「いや、でもそう言うのは、どっちかが養子にならないといけないって言うかさ……!」
「じゃあ、あたしが養子に行きますって言ったら…… ケインさん、ご両親に掛け合ってくれるの?」
「そ、そういう問題でもないだろぉ? ベルさんどうするんだよ!」
すっかり困り果てた顔でケインが言うと、
「大袈裟ですよ、ケインさん」
微笑んでいたアシュリーが、思わず言った。
「兄のような、そういう年上の先輩…… ただ、それだけでもいいのではありませんか?」
「えっ…… ひょっとして君も俺のこと、そう思って……?」
急にユイが、ケインの腕を引っ張って、カメリアとアシュリーから遠ざけた。
そうして耳元へ手をやって語りかける。
(アシュリーは全ッ然、そんなこと思ってないから)
(な、なんだよ急に……!)
(ひとまずここは、適当に合わせておいてよ。悪いようにはしないから…… ね?)
――冷静に考えてみれば、慕ってくれることに対して悪い気はしない。
ユイが自分をそうやって慕ってくれるなら、必然的にアシュリーとも会う機会も多くなるだろう。
逆に、ケインにとっては願ってもない状況である。
(まぁ…… アシュリーさんはいいとして、君が慕ってくれるってのは…… その、悪い気はしない)
ユイがフッとケインから離れた。
両腕を後ろへ回し、前屈みになって、はにかんでいる。
「じゃあ、お兄ちゃん。あたしのことは君とかさん付けじゃなくて、『お前呼び』と『ちゃん付け』で呼んでね?」
「えっ……」
「そっちの方がらしいし、あたしもなるべくカワイイ妹でいたいからさ」
「お、おう。じゃあ、そうしようか……?」
「悪巧みはまとまりましたか? お二人とも」
カメリアが言うと、ユイが白い歯を見せる、笑顔のピースサインを出していた。
「あぁ~…… 結局、向こうの作戦勝ちってことか……」
ケインがそう言って頭をかく。
「さっそく」とユイ。「お兄ちゃんに何か、おごってもらおうか!」
「は? なんでだよ!」
「いいじゃん、別に。この状況になったらおごるしかないでしょ?」
「お前……! 最初から……!」
ユイがアシュリーの方へ逃げる。そうして、彼女を引っ張って立たせると、そのまま港の外へ連れて行く。
「さぁさ、お兄さん」と、カメリアが立ちあがった。「私もお腹がすきました。何か軽食でも頂きに行きましょうかね」
「あいつ、普通に悪女になりそうですよ……!」
「いいえ、ケインさん。あれは天真爛漫…… あの子の持ち味ですよ」
そう言って、カメリアが歩き出す。
ケインもすぐにあとを追う。
港の外はすっかりいつも通りの日常を取り戻していた。
賑わっているわけではなかったけれど、ここで育った少女の元気な笑い声が響いて、澄んだ空と海に吸い込まれていくように思える。
ケインはようやく、彼女の本当の笑顔を見た気がした。
――――了
本編は以上です。
なお、オマケとして日常系の短編を投稿します。
(短編投稿後、完結とします)
もしお時間があれば、そちらもぜひご覧ください。
なお、予定している短編は過去作『負けヒロインは助けたい!』の内容が関わっておりますので、よろしければ、そちらもご覧頂けると幸いです。
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