76 釣果(ちょうか)
「ターザリオン……?」
茫然自失なケインが、ターザリオンをしばらく見つめてから、ポツリと言った。
「やっぱりケインか。埠頭の亡霊でも見つけちゃったのかと思ったよ……」
「亡霊、か……」
ケインが意味深に言うから、ターザリオンが何かに気付いたように、
「ま、まさか、本当に亡霊を見たとか?」
「いや、そうじゃない……」
そう言って、ケインが持っていた紙をターザリオンへ渡す。
彼はそれを見つつ、
「ははぁ~…… なるほど、やっぱりそうか」と言った。
「クソったれッ……!!」
ケインが悔しそうに言うと、不意にターザリオンの言葉が蘇って、我に返った。
「おい、何が『やっぱり』なんだ?」
「そりゃ、ユイちゃんがここにいた理由だよ」
「え……」
「あっ、そういうことか」
ターザリオンがやっと納得したと言うように、右の小指球を左手の平へ打った。
「ひょっとしてさ、ケインってユイちゃん捜してた?」
沈黙が流れる。
「やっぱりそうなのか」
「そうかって…… どういう意味だ?」
ケインが目を丸くして尋ねる。
ターザリオンは笑みをこぼしながら、
「釣りをしに来たら、ユイちゃんがさっきの君みたいに佇んでいたんでね。怪しいから捕まえて、港湾の事務所へ連れて行ったよ」
「じゃあ…… あいつはまだ生きてるんだな?」
「やっぱりそう言うこと企んでたんだね。靴とかその辺にあるの?」
「すぐそこだ……」
ケインがそう言って指差す。
「ああ、そんなところに。綺麗に並べてあるねぇ…… やっぱり飛び込むつもりだったか」
「ひとまず、ユイさんのところへ連れて行ってくれよ」
「了解。僕もきな臭いと思ってたから、何を言われても外へ出さないでって職員に言って、閉じ込めてあるよ」
「助かる。――いや、本当に助かった」
「まさかの一本釣りだったね。今日は大物が釣れたよ」
ターザリオンがそう言って、冗談っぽく笑った。
その後、ケインは遺書になる予定だった紙を思いっきり破り捨てて、ターザリオンに、港湾の事務所へ案内してもらう。
無論、靴はちゃんと回収してである。
石造りの建物の外付け階段を登り、二階にある小屋みたいな事務所へあがると、そこには男性職員とユイが座っていた。
彼女はケインの姿を見つけると、少し驚いた顔をしていたが、やがて彼から目をそらした。
ケインの方は、ターザリオンに中央港へ行って、アシュリーに言付けするよう依頼し、男性職員にしばらく二人きりにしてほしいと頼んだ。
だから、今はケインとアシュリーの二人だけである。
ケインは靴を彼女の足下へ置き、男性職員が座っていた椅子へ腰を下ろし、正対するようにユイを見やる。
彼女はまだ、目をそむけたままだった。
「――怒ってないの?」
ユイがおもむろに尋ねる。
「いや、怒ってるぞ。当然だろ?」
「じゃあ、なぐったり罵ったりしたらいいのに。男の人って、立場の弱い女の子をイジめるの好きなんでしょ?」
「そんなことで喜ぶ趣味は無いし、なんなら反吐が出るくらいに嫌いだ」
「変わってるね、ケインさん」
「そうじゃないと思いたいところだな。むしろ、そっちの方が少数派にしてもらいたいもんだ」
「へぇ~…… ケインさんが大多数なんだ。そうは思えないけど」
「とにかく無事で良かった。今はそっちの気持ちの方が大きいんだよ…… だから怒ってるけど、ホッとしてる」
少し間があく。
気まずい雰囲気ではなかったから、ケインは自然と、自分から話し出した。
「やっぱりここに来ていたんだな」
「よく分かったよね、ケインさん」
ユイは目をそらしたままであった。負い目というか、後ろめたさを感じているらしい。
「悪いと思ってるなら、まず言うことがあるだろ?」
「何?」
「今のお前、母親みたいになってるぞ?」
また沈黙が訪れた。
ユイはケインを見やり、頭を下げる。
「ゴメンなさい……」
「その言葉、他のみんなにもちゃんと言うんだぞ?」
「分かってるよ……」
ケインは満足したらしく、話を別の話題へ切り替えようと、
「病室で話してくれた、階段から落ちた件……」と言い出した。「あれ、嘘言ってただろ?」
「…………」
「珍しく衝動的になって、屋上へ行った…… でも鍵が無くてあかないから、仕方なくあそこから転んだってわけだ」
「違うし……」
「まぁ、別にいいよ。重傷にならず無事だったし、もう済んだことだ。それよりどうやって港の中に?」
「あたし、アシュリーと違って品性とかないから…… 壁をよじ登るなり、馬車の荷物に紛れるなり、色々できる」
「確かに、彼女には逆立ちしても出来そうにないことだけど…… だからこそ彼女は、そんな君にひかれてるんだろうな」
「何? アシュリーのこと、もう分かった感じ?」
「別にそうは言ってないだろ……」
「あたし、天邪鬼だもん」
「そんなヤツは、律儀にあんな遺書を残したりしない」
また静けさが漂った。
「あれさ」とユイ。「まだ持ってるの?」
「いいや」
「あれ? そうなんだ……」
「速攻で破って、海に捨ててやった」
「うへぇ……」と苦笑うユイ。「ケインさんって、物凄い直情型だよね」
「そうだな…… 確かにそうだ」
「しかも頑固そう」
「だと思う」
「あなたのお友達…… ターザリオンさんだっけ? あの人とは正反対に見える」
「まぁ…… あいつは頭いい分、自由人なところがあるから」
「自由過ぎるよ、あの人…… だって、あたしに釣り針を投げて引っ掛けてきたんだよ? あり得なくない?」
ユイがそう言って、投げ釣りで針を飛ばし、竿を引くときの物真似をした。
「いきなり『大物が釣れた~』って。人の柔肌と服に穴あけてさ…… あの人、本当に治安維持隊に所属してるのかなって思うくらいビックリした」
「引き留めるのに丁度よかったんじゃないか? 声を掛けにいって、飛び込まれたら大変だからな。――それより、傷はちゃんと消毒したのか?」
「してもらった。すごく染みて、痛かった」
「じゃあ良かった。生きてるって証拠だな」
「生きてて、どうするの?」
やっと、ユイがケインの目を見た。ジッと見ている。
ケインはその視線を受け止めながら、
「それを考えていけばいいだろ? 今から」
「お祖母様が亡くなったら、あたし、一人だよ?」
「アシュリーさんがいるだろ?」
「そうだけど…… アシュリーは友達だもん。いつか結婚して家庭を持つし…… そうなったら、そっち優先しなきゃ。そもそも、ケインさんってアシュリーのこと好きでしょ?」
ケインの眉がピクリと動く。しかしすぐに、
「君だって好きな人の一人や二人、捜せばいいだろ?」
と返した。
「誰が結婚してくれるの? あたし、こういう性格なんだよ?」
「それが原因で結婚しないってヤツがいるなら、そこが好きで結婚したいっていうヤツもいるよ」
「それ、フランツみたいなヤツってことでしょ?」
「君が、あんなヤツを好きになるとは思えない」
「よく分かってるじゃん……」
「まぁ、お互いに変わり者って言うのがお似合いかもな」
「ケインさんってさ、結構、適当なこと言うよね。そういうところ良くないよ」
「あのな…… 君はまだ高校生だろ? もう少し遊んでてもいいじゃないか」
「まぁ、計らずともお金はたくさんある状態になったもんね」
「それも含めて考えたらいい。相談したいことがあるなら、しばらくは俺も聞いてやるからさ」
「しばらく、なんだ」
「ずっとがいいのか?」
「うん、ずっとがいい」
「なんだ? 俺のこと好きなのか?」
以前、船の上で言われたことを思い出したケインが、そのまま仕返すように茶化して言うと、ユイは笑みをこぼし、
「残念、恋愛感情は無いんだよね」と答えた。
「じゃあ…… どういう感情なんだ?」
ユイが横目となった。少し紅潮している。
「なんだよ?」
「当ててみてよ。推理、少しは得意になったんじゃないの?」
「なんだそれ……」
ケインが微笑した。
ユイはなおも視線をそらしたままである。
そこへ、アシュリーが入室してきた。
彼女は、ターザリオンが祖母とベルへ知らせにいくと言っていたから、ここで待ちましょうと言った。
ケインが了解すると、アシュリーは彼女の前へ行き、しばらく見つめたあと、ポロポロと涙を流し始めた。
安堵して泣いてしまった彼女を、ユイは謝りながら慰める。
その後は当然、アシュリーが叱るように怒った。まるで母親みたいだった。
ユイは何も言い返さず、反省しきっている様子であった。




