72 カメリアの謎解き その2
重苦しい沈黙の中、カメリアだけが軽々と言葉をつむいでいく。
「先に金庫の件を片付けましょう。あれはユイちゃん本人です」
「ユイが……」と、フランツが無意識に呟く。対して、ニアはフフッと笑みをこぼしていた。
「ケインさん、鞄を」
ケインが厨房へ行き、すぐに戻ってきた。手には学生鞄があった。
「あの鞄の中に、権利書などを入れて屋敷から持ち出したのです」
カメリアがそう言ってケインへ目配せをする。彼は鞄を開き、紙束を取り出して掲げた。
「それは本物なのか?」
フランツが言った。続けて、
「失礼、確認しても?」と、ヌイが立ちあがりつつ言った。
「どうぞ」
ケインが近付くように促すから、ヌイはケインの前へ行き、紙束を受け取って明かりの傍へ行き、透かしなどを確認していった。
「――本物です、間違いなく」
ヌイがフランツを見やって言った。
彼はうなずいただけで、何も言わなかった。
「へぇ、アイツにしては頭使ったじゃん」
ニアがそう言うと、カメリアはケインと共にマイヤーの傍へ戻って行く。そうして振り返り、
「次にユイさんが全身打撲をした事件…… これは事件と言うよりも、事故と言うか…… 正確に言えば自演でしょうね」
「自演?」
マイヤーが尋ねるように言った。カメリアは彼に対してうなずき、
「先程から言っているように、髭男は存在しません。ですから、彼女への傷害事件は、単なる不注意の事故に変わります。こうなる理由は、結局のところ髭男を考慮から外すことで、物事が一気に単純化するからです」
「ユイさんも髭男を利用していたと?」
「結果的にはそうなりましたね。ただ、この出来事は私達に大きな示唆を与えてくれましたよ」
「え? 示唆?」
カメリアが、ヌイを含めた関係者の怪訝な顔を一瞥してから、口を開いた。
「二つ目の事件…… これこそがもっとも本題となる事件です」
「なんだ? 本題というは……」
フランツが目を細めて言った。
ニアもジッと彼女を見つめている。
「まずはそう…… ニアさんが襲われた事件からいきましょう。
ニアさんはある方から手紙を受け取り、そのために演奏会場へ行きました」
「ちょっと待て、なんの手紙だ?」
フランツがすぐさま横槍を入れる。
「アタシの思い人よ」
ニアも横槍を入れたから、フランツが歯ぎしりしつつ、
「お前……! この後におよんでアイツから――!」
「黙ってくださいッ! フランツさんッ!」
マイヤーがフランツを睨みつつ制し、
「あとでいくらでも言い合いをしてください。今は黙って」と言った。
ニアがクスクス笑い、フランツはそっぽを向いて両腕両足を組んでからカメリアへ、
「さっさと終わらせろ……!」と言った。
「ええ、なるべくそうしたいですね。
――とにかくニアさんは、演奏会場へ向かいました。でも、実際にはもっと早くに演奏会場へ行っています」
「は?」とニアが言った。「何言ってるの?」
「あなたは、私が演奏会場へ向かう遙か前から、すでに演奏会場に到着していた」
「それだったら、係員に顔が割れるでしょ? あたしも髭付けて行ったって言うの?」
薄ら笑いつつニアが言う。
カメリアは至って普通に、
「道端の草むらに捨てられてあった眼鏡は掛けていったかもしれませんね。あと、黒い地味な服と大きめの手提げ鞄、それらに合うような地味めの靴……」
ニアから笑みが消える。
「そういう人が、厠を貸してほしいと言ってきたと、準備をしていた女性が言っていたそうですよ」
「昨日の夕方、確認をしました」
補足するようにマイヤーが言った。続けてまたカメリアが話す。
「まず、あなたは部屋で着替えて窓から出て行きましたね? そうして演奏会場に到着したあと、厠を貸りて、準備をしてから屋敷に戻った」
「そうか……!」ケインの表情が明るくなる。「その靴のまま部屋へ戻って、そこで履き替えたから床や絨毯に土が残ったんだ!」
カメリアがうなずき、「その上にガラスの破片が落ちたんですよ。だから大小様々な破片が、土の上に被さったような状態になったのです。
――あなたは建物の横の厠へ入ると、大きめの手提げ鞄から可燃性の燃料が入った瓶または革袋と、導火線を取り出し、用具入れの中へ隠しておいた。あとは本番の時間帯に厠へ行くだけ。
その時間帯なら、もう済ませて席に着いている人ばかりでしょうし、席を立つ人も少ない。建物に人が集まらないようにしてあったのも、あなたには運の良かった出来事でしたね? 放り込んだ導火線が外側の方へ出たことも」
「推測だけでよくもまぁ…… ただの状況証拠じゃない」
ニアはそう言ったが、真顔であった。
「ちなみに」カメリアは無視するように言った。「不倫相手の手紙ですけれど、これは当然、偽造です。ある人物が町の誰かへ言って、手紙を渡すよう依頼したのでしょう。あなたは宿の前でそれを受け取ったんでしたよね?」
「そうだったかしら?」
「警備兵が調書に取ってありますし、渡した男性も特定しているそうなので、間違いないですねぇ」
「あっそ……」
「どうして、そんなことを?」突然、ヌイがカメリアへ問うた。「要するにこれは…… 彼女が事件をでっちあげた、と言うわけですよね?」
「ええ」カメリアがうなずいて言った。「逆に、誰がこんなことをやるんです? 私達は料理人も含め、全員、屋敷にいました。例の髭男はいませんし…… 本当の狂人がいるなら、もっと豪快に、確実に殺しにいくし…… 何よりリエッジ家に固執する理由がありません。それこそ標的は島中にいたし、多目的広場だったら屋台があって盛況でしたからねぇ。たくさんの人に襲い掛かれますよ? 自分の命と引き替えに……」
「…………」
「ハッキリ言いますが、今回の事件は『髭男』がいたから複雑でややこしく、不気味だっただけですもの。その謎が剥がれたら、あとに残るのは幼稚で稚拙で…… 衝動的に作られたような計画犯罪だけです」
カメリアはそう言って、ゆっくりとフランツを見やった。
「ねぇ? そうでしょう? フランツさん」
彼は両腕両脚を組み、ふんぞり返るように椅子の背もたれに寄り掛かって、カメリアをジッと眺めていた。観察していると言っていい。
カメリアはなおも続ける。
「あなたの自作自演は全く取るに足りません。
ニアさんの一報が入ってから屋敷を抜け出し、北突堤へ行く。そこでナイフを使って左上腕を傷付け、そのナイフを海へ放り投げる…… あとは叫んでいれば交番にいる人か、外を見張ってる警備兵が来ますよ。屋敷周辺は巡回対象ですもの」
「これまでの話を立証できるのか?」
「――喉、乾いていませんか?」
「なんだって?」
「水をここへ!」
カメリアが叫ぶと、台所への扉から人影が現れる。
人影は帽子にコートを着ていて、眼鏡に髭の付いた人物で、肩幅からするに男性のようだった。
カメリアやマイヤー、ケイン以外が息をのみ、上体を引いて驚き固まっている。
髭男の格好をした人物は、水で満たされたコップを持っていた。そして亡霊のように、ノソノソとフランツへと近付く。
「なんだこの茶番はッ?!」
彼がそう言って立ちあがった瞬間、髭男が彼の目前へコップを突き出した。それでフランツが少し仰け反る。
仰け反った一瞬を見逃さないように、髭男がコップの底を、机へ強く打ち付けるように置いた。
コップに満たされた液体が、大きく揺らめいている。粘り気があるように見えた。
そうして髭男が一歩後ろへ下がり、そのままカメリアの方へ戻っていった。
「フランツ・マロウさん」
カメリアが厳かに、少々、形式張った感じで呼び掛ける。
「それが何か分かりますか?」
「水だ……!」
「そうですね、水です」
「――わざわざ汲んで持ってきたのか?」
「ええ、台所の水瓶から」
「…………」
「フランツ・マロウさん。中世のベラーチェスでおこなわれていた儀式を知っていますか?」
「儀式?」
「『神の名の下において、汝の行動が真の心から出たものであるならば、水は生命あふるる甘きものとなり、偽りならば、死を呼ぶ苦きものとなるであろう』……
あなたが真実を語り、真実の行動を取っているなら、この水は甘いはずです。飲んでみてください」
「ふざけるなよッ!!」
彼はコップを持ち、カメリアへ投げつけた。しかし、ケインが前へ出て、コップへ左の裏拳をして弾き飛ばす。
逸れたコップが床へ落ちた。
当然、コップは砕けて割れる。
廊下や台所から、警備兵や捜査員が入って来た。
マイヤーが彼らに身振りで伝令を伝える。それで、部下達が留まった。
「なんのマネだ?! ふざけやがってッ!!」
「ふざけるものですか。素直に飲めばいいだけでしょう?」
カメリアは顔色一つ変えずに言った。
あまりにも冷静なその目は、彼の怒りを打ち消すに充分だったようで、彼は怒らせていた肩を徐々に下げていった。
「飲めない理由でもあるのですか?」
「何が理由だッ! なめやがってッ!!」
「フランツさん」
不意に、ケインが言った。いつの間にか、警備兵から手渡されたらしいコップを持っている。その手は水にぬれていて、所々滴っていた。
「重要なことなんで、飲んでください」
「貴様……!!」
ケインが彼の傍まで行く。それに合わせて、廊下側から入った警備兵が彼の退路を断つように、ジリジリと移動する。
彼は背後の警備兵へ目を向けつつ、正面のケインも警戒していた。
そのケインが机の上へコップを置き、彼の前へ差し出すように押し出した。
「ほら、飲んでください」
「なぜ飲む必要があるッ?!」
「儀式ですよ、フランツさん。カメリアさんも言ったでしょう?」
「馬鹿な……! あんな老害の惚けた妄言に付き合う気かッ?!」
そう言って、フランツはヌイへ目をやった。
「おいッ! これは違法捜査だぞッ!!」
「ここはムズリアだッ! ベラーチェスじゃないッ!」
ケインは目を鋭くして強く言った。
「そもそも、アンタが水を飲めない理由はなんだ? 飲めば済む話だろう? 違うか?」
「そうですよ」カメリアが不意に賛同した。「確かフランツさん、昼からずっと水を飲んでいないでしょう? 警護にあたっていた方々からお聞きしましたよ。どうして急に、今日だけ屋敷内の水を飲まないのです? 他に理由があるのですか?」
「毒が入っているんだろう……?!」
「なぜ毒が入るのです? 毒は、ベルとマイケルさんが飲んでいるお茶の器に入っていたんですよ? だからそれを飲んで、二人は死んでしまったのです」
「その器以外にも毒が入っている可能性だってあるだろうッ?!」
「いいえ。朝食、昼食、共に摂取した方々が大勢います。大丈夫だったじゃありませんか。そもそも、茶器以外に毒が入っているなら、他の方々も巻き込まれて死んだ可能性があるじゃないですか。
仮にもしっかり計画を立てている犯人が、そこまで無思慮で無差別で、残虐非道とは思えませんよ。そうじゃありませんこと? 私、何か間違っていますか?」
「言うじゃないか……! まずはお前が飲めよッ! 安全なんだろッ?!」
「論点のすり替えは無しですよ、フランツさん。今、問題なのは…… あなたが水を飲めない理由なのですから」
「飲んで、どうして無罪なんてことになるッ?! 少し考えたら分かることだろッ!!」
「いいえ。どうして水を飲まないのです? 何か理由があるから、飲めないのですか?」
フランツの額には汗が滲んでいた。
カメリアはさらに追及していく。
「その水は、器とは何も関係ないでしょう? 私は単純に、あなたが水を飲むのかどうかの儀式をしているだけです。
神があなたの行動を見て、やましいところ無しと判断するなら…… 甘い水のままですよ。苦くて死ぬなんてこと、あり得ません。そうでしょう?」
「馬鹿な……!」
明らかにフランツは狼狽し、息を荒げていた。
「ほら、早くお飲みになって。あなたに神のご加護があらんことを」
フランツはコップへ目を向けた。
コップの水はなみなみと入っている。
さっきとは打って変わって、水紋ひとつ無い、透明で、澄み切った水……
フランツがわなわなと、ゆっくりコップへ手を伸ばしていく。
そのときだった。
ニアの手が素早く伸びてきて、コップを引ったくったと思ったら、彼女がそのコップに口を付け、喉を動かしていた。




