7 あの子はいずこへ
広場を出たケインは、役場の隣にある建物の、舞台部屋があるところまで連れられてきた。その部屋の奥には扉があり、そこから舞台へ出ていくことになる。つまり、扉の先は控え室になっている。
カメリアが関係者に、やっと護衛役の人が来てくれたと言って、ケインを控え室へ連れて行く。
ケインはその関係者の人達に、形式的な挨拶をしながらカメリアのあとを付いて歩いていく。
やがて二人は控え室へ入った。
「早速だけど」とカメリア。「依頼書、見せてもらっても?」
ケインは手に持ったままだった依頼書を、カメリアへ差し出した。
「ありがとうね」
「――あの」
「はいはい、なんですか?」
椅子に座って、机に依頼書を広げたばかりのカメリアが、その依頼書を見ながら返事した。
「どうして自分で依頼をしなかったのですか?」
「もちろん、忙しかったからですよ」
「じゃあ、あの子とはいったい、どういったご関係で?」
「あの子?」と、後ろにいるケインを見やるカメリア。「どの子のこと?」
「依頼のための書類を持ってきた少女のことです。てっきりその子が依頼主で、演奏会を開くのかと……」
「ああ、そういうこと」
カメリアは再び書類の方へ目をやった。そうして置いてあった羽根ペンを握る。
「忙しかったですからね、近くにいた手すきの方にお願いしたの。それがたまたま、若い女性だったのね」
「相手を確認せず渡したのですか?」
「とんでもない、今回の演奏会を手伝ってくださっている方ですよ。ただ…… 年を取ると、少々の出来事は頭から抜け落ちてしまうものでしょう?」
「なるほど、なるほど……」
つまり、とケインは思った。
例の少女はこの役場か何かの関係者、もしくはカメリアって人の演奏を手伝う関係者なのだろう。そうするとまだ、会う機会はあるはずだ……
こんな諦めの悪いことを考えるのは、当然、自分のやる気を保つためであった。
「気になりますか?」
不意にカメリアが言うから、ケインは「気にはなりますね」と即答した。
「今回は我々のところへ無事に依頼が来たわけですが、本来なら依頼主自身が来る必要がありますから」
「でも、あなたは依頼主をロクに確認せず引き受けたのでしょう?」
「えっ……」
「あ、いえね、普通は依頼主も警備兵の方も、管理課を通して依頼のやり取りをするわけでしょう?」
そう言ってカメリアが、椅子をズラしながら振り返った。
「でも、あなたの言動は間違いなく、依頼主から手渡されたから出てきた言葉。そう考えれば、あなたが勘違いして若い女性を想像していたのも説明が付きます」
――なんだ、この婆さん。
「それに、本当ならあと二人は来てもらう予定だったのに、到着しているのはあなた一人。依頼書にも一人って書かれてあるけれど…… おかしいわね、三人って書いたはずなのに……」
「な、なら、今から応援を呼んできましょうか?」
「今からじゃ間に合いませんよ。
申し訳ありませんけれど、こちらの手違いのようですからね。頑張って働いてもらえないかしら? 報酬も三人分、お渡ししますから」
カメリアがいったい何を考えているのか、ケインには分からなかった。
老婆特有の陰湿でねちっこい咎めが来るのかと思いきや、報酬を実質、三倍にして渡すと言ってくるなんて……
正直、四人か五人ほど応援を呼んでサボろうかと考えていたけれど、それが許されないかわりに報酬が増える。
三人分の仕事をしないといけないようだが…… できなければゴチャゴチャと文句を言ってきて、誰かと交換しろと言うだけだろう。
だったら……
「すみませんが」とケイン。「その場合は新たに契約を結ぶ必要があります」
「ええ、ええ、そうでしょうとも」
「業務内容が気にくわないと言うことでの、返金や取り消しなどは一切、応じられません。それを許すと取り消しを前提にしたタダ働きをさせる輩がのさばるので」
「もちろん、分かっていますとも。昨日、依頼の注意事項を読んだばかりですもの」
カメリアが立ちあがって、別の机に置いてある鞄から、財布らしきものを取り出していた。
「契約書を書き変えるのも大変だし、二人分は前払いで構わない?」
「えっ?」
妙な沈黙が流れる。
「ま、まぁ…… 別に俺は構いませんけど」
「じゃあ決定。
残りはどこからもらうのか分からないけれど、しかるべき場所から頂いてくださいね」
そう言って彼女は財布から紙幣を取り出し、ケインへ差し出した。
彼は目の前にある紙幣をしばらく見つめ、顔をあげる。
「どうしました?」
「あ、いえ…… やっぱりお金持ちなんだなって」
カメリアは首を横へ振りながら苦笑い、
「今日の演奏の代金を先程、頂いたのですよ」
ケインはなるほど、と思う一方、それを今もらっても大丈夫なのか気になり、
「頂いても大丈夫なんですか?」と尋ねた。「走って駐在所へ行けば、もう一人くらいはギリギリ間に合うと思いますよ?」
「それで間に合わなくなっては本末転倒ですよ。あなたが三人分の仕事をするのかどうかは分かりませんけれど、少なくとも自分一人分くらいはしっかり働いてくれるのでしょう?」
「ええ、それはまぁ…… 当然ですけど……」と頭をかくケイン。
「なら問題ありませんよ。
実は三人だと多すぎるんじゃないかって話になっていたくらいですからね、丁度よくなったというもの。短いあいだですけれど、よろしくお願いしますね」
「分かりました、こちらこそよろしくお願いします」
そう言って、ケインが紙幣を受け取った。
彼の顔は最初の頃と打って変わって、真剣なものとなっている。
最初は三人分の報酬がもらえるから、ある意味で怪我の功名、棚からぼた餅だと思っていたが、ちゃんとやり遂げようと誓うようになっていた。
当然、少女のことはもう頭から消えつつあった。