68 小瓶(こびん)の鑑定
早歩きで病院をあとにしたケインは、混乱していた。
リエッジ家の屋敷へ初日に訪れた、あのあとなら、髭男も裏口から小瓶を忍ばせることは可能だ。裏口は台所につながっているのだから。
無論、内部の人間も忍ばせる機会が充分にある。
料理人でもベティでも、マイケルでもフランツでも、ニアでも可能だ。
――いや、これが毒なのかどうか、まだ確定してはいない。
ネズミや虫の駆除薬かもしれないし、それなら食器棚に忘れて置いてあっても不思議ではない。
ケインは、はやる気持ちに突き動かされるように、馬車をまた借りて乗り込んで、その馬車が港にある本署に到着するのをジッと、耐えるように待った。
四〇分ほどの待ち時間は、このときのケインにとっては永遠に等しかった。
そのせいか、額が熱くなるほど考え込んでいて、馭者が到着したことを告げるまで、馬車が停車したことに気付かなかった。
降車した彼は走った。
走って、本署の鑑定員がいる部屋へと駆け込んだ。
「すみません!」
「な、なんだ?」と、室内にいた男性が驚いていた。
「今すぐ鑑定してほしいものがあるんです! お願いします!」
「ケイン……?」
奥から、何事だと言う風にターザリオンがやって来ていた。
ケインは彼のところまでズカズカと近付き、
「これ、調べてくれ」
そう言って、彼は鞄から細長い小瓶を取り出し、それをターザリオンへ差し出す。
さすがに彼は戸惑った様子で、
「ちょっと待って、落ち着いてよケイン」と制した。
「なんで学生鞄を持っているのかとか、その小瓶が何かとか、色々と気になるよ」
「この中に権利書があって、この小瓶は毒かもしれないってことなんだよッ!」
「えっ……」
「ほら、とにかく調べてくれ! 調べてるあいだに、俺が知ってることを話してやるから!」
「わ、分かった。――ねぇ、今は検査所って誰か使ってるの?」
ターザリオンは、さきほど驚いていた男性に向けて言った。彼は首を横へ振りつつ、
「いや、今は誰も使ってないはずだ」と答えた。
だから二人は、すぐに検査所へと向かった。
検査所は屋上の一画にあって、野営用の大型テントみたいなところに、調合台や検査薬などが所狭しと並べられている。
「今回は特別だし、何か特別な毒で、それが原因で死んじゃっても責任は取らないからね?」
一緒に入ってきたケインへ、ターザリオンが言った。二人とも布製のマスクをしている。
ケインはうなずきながら、「カメリアさんが予想する犯人像なら、あけただけで死ぬような毒じゃないだろうさ」と言った。
「自信あるね?」
「計画犯罪だろうし、あけて死ぬような毒なら、ベルさんが入りそうにない台所へ置いておかないだろ? きっと食事や飲料水に混ぜるつもりだったんだ」
「――君、捜査課の人みたいになってきたね」
「カメリアさんの悪癖がうつってきたんだよ。それより、早く分析してくれ」
「もう始めてるよ」
ターザリオンはガラスの箱に入れてあった小瓶を取り出す。
「ふむ…… 揮発系じゃないね。じゃあ、遠慮なくご開帳っと」
ターザリオンは革の手袋を填めた手で、小瓶のコルク栓を抜いた。
「コレ? 覚えてる?」
ターザリオンが紫色の紙片をピンセットで持ちあげて、見せてきた。
「なんだ、それ」
「前に僕が取って来た、紫色の野菜とかで作ったヤツ。酸塩基を判別する用紙だよ」
「ああ…… 食器を洗えるかどうか分かるヤツな」
「アルカリ性ね」
「そんなもので何が分かるんだよ」
「アルカリ性か酸性か、はたまた中性かが分かるんだよ」
「毒かどうか分かるんじゃないのか?」
「生き物で判断できない以上、段階を経ながら判別する必要があるからね」
そう言って、彼は用紙に水滴を垂らした。
みるみるうちに、色が緑っぽくなった。正確には濃い緑青色である。
「うっそ…… 本当にアルカリ性だ」
「ってことは、本当に洗剤か?」
「アルカリ性のものと酸性のものを混ぜたら、毒ガスが出るね」
「じゃあ、犯人はそれを狙ったのか?!」
「いや…… 酸性の洗剤って言うなら、水垢用で考えられるけどさ…… アルカリ性だからね、コレ」
「な、なんだよ…… それだと具合が悪いのか?」
「水垢用ならこの量でもあり得そうだけど、食器洗剤なら全然足らないでしょ? ってこと…… 植物系の毒だったらあるいは……」
そう言って次に、彼は様々な粉を白磁器の乳鉢と乳棒へ入れ、砕くように混ぜ合わせ、あぶったり透明色の液体を入れたりして、真っ黒な物を薄く引き延ばしていった。
「なんだそれ?」
「簡易的な毒物判定の調合薬。今回は植物性だろうから、蛋白系統か神経系統か…… ひとまずそれだけ判断してみようかなって」
「へぇ~……」
「それよりも話、聞かせてくれよ」
「まずは結果を教えてくれ」
「まだまだ作業が必要だから、暇つぶしに話しててよ」
「あっ! 色が変わったぞ!」
「赤のまだら模様…… ほぼ毒か薬だね」
「やっぱり毒か……!」
「毒か薬って言ったでしょ? まだ薬の可能性があるし、内容をハッキリさせる必要がある。それより話してよ、約束だろ?」
「分かった、分かった…… 話してるから、ササッと頼むよ」
そう言って、ケインは金庫破りがユイの犯行であったことを話した。
「なるほど…… 機転が利くんだね、彼女」
「他言無用は忘れるなよ?」
「もちろん。だってまだ解決してないからね」
「それで…… どんな感じだ?」
「じきに分かる…… なるほど、なるほど」
「なんか、煙が出てないか……?」
「一瞬だけね。毒じゃないから安心して」
「緑色の煙だぞ…… 大丈夫か?」
「鑑定結果を話すね」
そう言って、彼は小瓶に蓋をしつつ言った。
「お、おう。今度こそ分かったんだな?」
椅子に座ったまま、ターザリオンが振り返り、立っている後ろのケインを見上げつつ言った。
「これは間違いなく神経毒で、種子の破片も沈殿していた。その成分はフォミカ系植物であると断定可能。
そこから推察するに、ストリークノス系の毒薬と断定できるね。だから即効性があって、三〇秒ほどで痙攣が始まって、一分くらいで絶命する。――ケインはフォミカって植物は知ってる?」
「いや、全く」
「ムズリア国でも南東の島に自生し、ベラーチェスより南の沿岸部にも自生している低木の植物なんだ。
その昔、僕らのご先祖が珍味な果実を取りつつ、その種から毒矢を作っていた、悪魔の低木だよ」
「種から毒が取れるのか?」
「基本的に、植物の種とキノコは毒だと思っておけばいいよ。食べられる物は畑でちゃんと栽培されて、加工されて、市場に出回ってるものだけ」
「なるほど…… それで、そのフォミカの種っていうのは凄い毒なのか?」
「高濃度を直接投与なら、この小瓶で一〇〇〇人以上は殺せる」
「いっせん……!」と、ケインが息をのんだ。
「低濃度の物は薬用だけど、煮込んでドロドロにしてを繰り返して、それを水に溶かしていけば高濃度になっていく。今回の濃度だとまさに、そういう原始的な製法で作ってそうだね。だから、コレ全部を使っても十数人が関の山かな」
「いや、充分過ぎて引くわ……」
「ただ……」
「なんだ?」
「煮込んで濃度をあげる方法は、誰にでもできる代わりに素材量がいる。一般の人が思っているよりもずっと、凄い量がいるから、どうやって種を入手したのか気になるね。
次にアルカリ性全般に言えるけど、こいつは特に苦いことで有名なんだ。事例としては口に入れた途端に吐かれて、殺人未遂が判明したっていうのもあるくらいに。
当然、そうやって早い段階で吐き出して口内を水洗いするか、嘔吐させれば死ぬことはない。最悪でも腹痛で済む程度で終わるね」
「じゃあ、何かに入れて使うのが普通なのか?」
「まぁね。お茶とか豆茶とか…… あとは濃い味の煮込み料理に混ぜるとか」
「おいおい、台所と相性抜群じゃないか……!」
「そういうこと。昔はネズミ駆除用の他に、夫を殺すために使われることが多かったけど、今は一般流通なんかしてない。要するに、この小瓶が台所に置いてあったってことは、明確に殺意を持った人間がいたって証拠だ」
「さっそく知らせてくるッ!」
「あっ、ちょっと待って!」
テントから出ようとしていたケインが、振り返った。
「これ、持って行きなよ。あとコレも」
そう言って、彼は小瓶と試験紙をケインへ持っていき、
「もう毒が使われてるかもしれないから、これで調べたらいいよ。簡単にしか分からないけど、緑色に近い場合は避けて。青とかだったら、まぁ大丈夫かな。濃くは無いから」
「そっちはいいとして、小瓶の方は証拠品だろ?」
「中身を取り出して、一応、洗浄してある。水でもいれておけば罠に使えるんじゃない?」
「罠……?」
「元の場所に戻しておけば、取りに来るか何かへ入れるか…… そういう妙なことをするんじゃないかな?」
「あっ……!」と言って、ケインはしばらく固まってから、人差し指を立てて、「やっぱりお前、頭いいな!」と明るい顔で言った。
「でしょ? よく言われるんだよね」
ターザリオンが冗談めかして、ニヤリとしながら言った。




