58 不在証明(アリバイ)の調査 ~フランツ、ヌイ編~
カメリアと相談した結果、ケインはベティと料理人、フランツとヌイを担当することになった。
彼女と別れ、長い廊下を歩いてフランツとヌイがいる部屋へ向かう。
「すみません、ケインです」
そう言いながらノックをすると、フランツの声が聞こえてきた。
『なんの用だ?』
「昨日の夜から今日の朝方に掛けてのお話が訊きたくて。ちょっとよろしでしょうか?」
『もう話すべきことは話した。そいつらに訊いてくれ』
「二、三ほど追加でお尋ねしたいことがありましてね。申し訳ありませんが、ヌイさんと一緒にお話を聞かせてください」
しばらく待ったが、返事が無い。
ケインは作戦を変更した。
「ユイさんに昨日、手紙を渡しましたよね?」
返事が無い。
「なぜ、あの時宜に手紙を渡したのですか? それに昨日の晩、ユイさんの部屋へ行ったという話があります。何をしに行きましたか? そのことはちゃんと他の捜査員に話したんでしょうね?」
扉が突然、パッと開かれる。
フランツだった。
彼は半袖姿で、左上腕には包帯が巻かれてある。
その表情を見るに、怒っているようだった。が、ケインはお構いなしに、
「全てお話をして頂かないと、あなたが疑われることになるんですよ? フランツさん」
「そうだな…… 確かにそうだ、分かった…… 中へ入れ」
「恐縮です」
ケインはそう言って、部屋の中へと入った。
「ヌイさん、お早うございます」
椅子に座っていたヌイが、立ちあがってお辞儀をした。
「ああ、座っていてください。簡単にお話を伺うだけですので」
「それで?」
扉を閉めたフランツが言った。
「私になんの用だね?」
「先程も言った通り、あなたの昨日の晩から今日の朝までの行動をお聞かせください。無論、ユイさんの部屋へ行った理由などもお願いします。あとで彼女から話を聞き、裏付けを取る必要がありますので」
「やれやれ……! いったい、いつまで我々を縛り付けているつもりだ! そもそも君があのとき、逮捕していればこうはなっていなかったんだッ!」
「そのときのことを悔やんでも、犯人は逮捕されません。どうかご協力ください」
「フランツさん」と、ヌイが言った。「彼の言う通りです。ここは協力するのが筋と言うモノです」
「では、先にヌイさんからお聞きしても?」
「ええ。警備兵にもお見せしましたが、昨日と今日の行動をメモしてあります。ご覧ください」
そう言って、彼は手帳を持ってケインの前まで来た。
ケインは差し出されてある手帳を手に取り、
「かなり細かく書いてくださっていますね?」
「ええ。ただし、その手帳は私の仕事道具ですので、持ち出すのはご遠慮願います。書き写すなら構いませんが」
「ありがとうございます。おそらく他の警備兵が書き写しているでしょうし、確認だけに留めますね」
そう言い終えると、ケインは黙読し始めた。
「――厠へ行くために、一度、部屋を出たんですね?」
「そうです。ただ、怪しい物音などはしませんでした」
「他の誰かと鉢合わせたりしませんでしたか?」
「いえ、特に…… 部屋の前の廊下を監視している警備兵に、裏付けをおこなってください。彼に頼んで、一緒に行ってもらいましたから」
「分かりました、ありがとうございます」
手帳を返したケインは、次に扉の側に立っているフランツへ目を向けた。
「今度は私かね?」
「ええ、お願いします」
「昨日の晩は、ヌイさんと執務室にいた。むしろ、夕方くらいからずっといた。そこにはベルさんもいて、時々、ベティさんがお茶を持ってきたりした。途中からマイケルさんも来たかな、確か」
「ニアさんへの襲撃を聞いたとき、あなたはヌイさんと一緒に執務室で待機していたはずですよね?」
「昨日、話したはずだが?」
「ええ、もちろん知っています。
いても立ってもいられず、ヌイさんに言付けて勝手に外出した。しかも、窓をあけてこっそりと。あのとき、結構な数の警備兵が向かって行ったはずなんですが、よく見つからなかったなと」
「無論、道中で会ったさ。呼び出されたからと言ってたら、すんなり見逃してくれたぞ?」
「彼らはまだ、事情をよく飲み込めてなかったですからね。とにかく、あなたは襲われて、怪我の治療をし、我々と一緒に屋敷へと戻りましたよね?」
「君の知っている通りだろ?」
「ヌイさんの手帳では、夕飯を食堂で頂いたそうですが、合っていますか?」
「警備兵に監視されながらね。全く、囚人じゃないんだぞ……」
「夕飯は当然、料理人に作らせたんですよね?」
「彼は随分と無愛想でいけ好かないが…… 腕前だけは良いと思ったよ」
「給仕も料理人が?」
「そうだが、一点だけ思い出したことがある」
「なんです?」
「夕飯を待っているあいだ、途中で飲み物がほしくなったから、ヌイさんの分と合わせて取りに行った。無論、調理中の彼を邪魔しないよう注意してだがね」
ケインがヌイを見やる。彼はしっかりとうなずいて肯定していた。
「なんにせよ、食事にありつけてよかったですよ。何も食べられないと、腹がすいて死んでしまいますから」
「襲われたあとなのに食事を取れるなんて、素晴らしい胆力ですね。逆にニアさんなんかは、昨日から一口も食べられていないんじゃないですか?」
フランツが笑った。自然な笑いではなく、明らかに嘲笑を含んでいた。
「あの女が、そんなことでヘコたれるわけないでしょう? あいつは戦闘中であっても携帯食を平らげ、次に備えようとする悪女ですよ。自室に食事を持って来させて、何か食べてますって。賭けてもいい」
「それは後々、確認させてもらいます。――では、次にユイさんの件をお聞かせください」
「ユイの件? なんだ?」
「昨日の晩、彼女の部屋へ行きましたか?」
「…………」
「行きましたよね?」
「誰から聞いたんだ? それ」
「ベルさんです」
「お義母さんから……?」と、彼は大袈裟なくらい驚く。「ユイは何を話していたんだ?」
「それはさしあたって、問題ではありません。今はあなたが、彼女の部屋へ何をしに言ったのか、それが問題です」
「話だよ…… 彼女から話をしたいという手紙をもらってね。うちは今、色々と立て込んでいるんだ」
「手紙とは?」
「話があるから来て欲しいと書いてあった。だからユイの部屋へ行ったんだ」
「どんな話をしたんです?」
「君には無関係だ。事件とも無関係だし、そこまで話す必要はない」
「当ててみましょうか?」
「何?」
「あなたはユイさんに、自分の娘になってほしいと伝え、その返事がもらえると思って彼女の部屋へ行ったのでは?」
当たりだった。
フランツは明らかに驚いた顔で、硬直してケインを見ていた。
「――ヌイさん」
「は、はい!」と、ビクつくヌイ。
「手帳には書いていませんでしたよね? フランツさんが部屋から出て行ったことを。本当に知らなかったのですか?」
「え、ええ…… 色々とあったでしょう? そのせいで、夕食をもらったあとに眠気が…… でも、厠へ出たときには確かに彼はいましたよ?」
「分かりました…… では、ユイさんの話に戻します」
そう言って、ケインが視線をフランツへ戻す。
彼は警戒心を持った目でケインを眺めていた。
「昨日、マイケルさんの家にヌイさんを使いとして出しましたよね?」
「ああ」マイケルが口角をあげた。「それで君は知ったわけか……」
「どうして、あのとき手紙なんて出したんです?」
「率直に言って、彼女の父親になりたかったからだ」
「それは父親としての自覚からですか? それとも遺産が入ってくるからですか?」
「どういう意味だ……?」
「ベルさんから詳細を聞かされていて、ユイさんの遺産は自動的にベラーチェスの法律に従って処理される可能性が濃厚ですので…… そうすると、フランツさんかニアさんに遺産が渡ることになるでしょう?」
フランツの視線が、ケインから逸れて、後方にいるヌイへ移った。
ヌイは首を縦に動かす。
「なるほど……」
そう言って、フランツがケインに視線を戻して、話し始めた。
「それは副次的なものだ。
現に今、お義母さんは遺産を全て寄付すると言ってる。その上で、親権は譲らないと駄々をこねている。
私としては、リエッジ家の遺産は副次的なものでしかない。本筋は、彼女を私の家系…… マロウ家に迎え入れたいんだ」
「どうしてです?」
「私は結婚生活をうまくやりくりできる男ではなかった。だが…… いや、むしろその罪滅ぼしに、ユイを育てたい。彼女を立派な淑女にしたいんだ。
正直な話、ムズリアのこんな片田舎にうずめておくには惜しい…… それくらいの素晴らしい娘だ」
よくもいけしゃあしゃあと、こんな二枚目染みた台詞を吐けるものだ……
ユイに渡した手紙は回りくどいが、明らかに親権をこちらにゆだねてほしいという催促だったくせに。
ケインは反吐が出る思いで、イライラしていた。
「そうだ」とフランツ。「君に依頼をしたい。ユイを説得してくれないか?」
「説得?」
フランツがうなずく。
「彼女はもちろん、戸惑っているだろう。だからこそ、私の誠意をしっかり伝えたい。君は割と気に入られてるみたいだし、人の懐に入るのが得意だと思う。どうだろう? 報酬は弾む」
ケインはフランツを睨み付け、
「どれだけ嫌われても、正面に立って自分から子供と話をしていくのが、育ての親のあるべき姿では? 嫌われて困るようなことでもあるんですか?」
「いや…… 嫌われては私のところに来たくなくなるだろう?」
「俺は忙しいんで、他の連中を当たってください。今度こそ、髭の男を捕まえなきゃならないし、権利書が戻ってこないと、遺産は誰の物にもならなくなりますからね。――では、これで。ご協力のほど感謝します」
ケインはそう言って軽い会釈をし、憤慨した気持ちを持ったまま部屋を急いで出ていった。
他にも聞くことがあったかもしれない……
だが、ユイのことを聞けば聞くほど、腹が立って仕方が無い。
喧嘩になる前に出ていくのが、今一番、求められる行動だとケインは思った。




