41 割られた窓ガラス
ベルと話し終えたケインは、そのまま廊下を進んで、ベルの執務室とはほぼ反対側にある、ニアの部屋へと向かった。
正直、ケインにとっては相手にしたくもない女性だったが、ユイの出生についてハッキリさせておきたいと思う心がまさって、
向かっている最中、ケインは頭の中でベルとの会話を反芻していた。
そこへ突然、ガラスの割れるような音が微かに聞こえてきた。
ケインは立ち止まり、耳を澄ます。
(なんだ……?)
ケインはそう思って、急いでニアの部屋へと向かった。
「――ニアさん、警備兵のケインです」
ノックして呼び掛けるが、返事が無い。
「ニアさん?」
何度かノックをすると、
『うるさいッ!』
と、ニアの怒鳴り声がしてきた。
何かあったわけでは無さそうだとケインは思い、安堵の息を吐く。
「ガラスが割れた音がしましたが、そちらは特に何も変わりありませんか?」
返事は無かった。
仕方が無いから、「少々、お話があります。頃合いが良くなったらあけてください」と言った。
これで彼女が出て来なかったら、遺産の話でも切り出せばいいだろうと思いつつ、待つこと十数秒。
扉が解錠される音がして、微かに開いたあいだから、ニアの顔が出てきた。
「こんにちは、ニアさん」
「犯人、見つけたの?」
「先程」と無視するようにケインが言った。「ガラスが割れるような音が聞こえてきましたが……」
「あぁ…… なんてこと無い」
ニアがそう言って扉を開き、暗に部屋へ入るように促す。
彼女は黒のワンピースにショールを着けただけの、かなり簡単な格好をしていた。
ケインは部屋に入りたくは無いという本音を抱えつつ、話のためには仕方が無いと言い聞かせながら入室した。
入室してすぐ、異変に気が付く。
「これは……」
正面奥にある窓が割れているのが見えた。日差しのせいで、絨毯に散らばるガラス片がキラキラと輝いている。
「ついさっき、誰かが石を投げ込んできたみたい」
「失礼」
と言うなり、ケインは窓際へ寄って、外を覗き込んだ。
人影は無い。目立った怪しい痕跡も無い。
次に、床の周りを見渡す。
土や小石が少し散らばっており、ベッドの足の側に、石ころが落ちていた。その石ころには何かが巻き付けられている。
「なんだこれ……」
おそらく食用に切り落とされたであろう『鳥の頭』が、細い紐で括り付けられていた。
血痕はおろか、首から血が流れ落ちていないのを見るに、血抜きでほとんど血液が残っておらず、傷口も血が固まってしまっている、古い頭らしかった。
「何、それ?」とニア。「死体?」
「まぁ、死体と言えば死体です……」
そう言って、ケインが立ちあがった。
「すみませんが、あとでこの部屋を検分しても?」
「嫌よ。他人を部屋へ入れる趣味は無いの。アンタは仕方なく入れてあげてるだけ」
そう言うと思ったと、ケインは溜息をつき、
「事件性があるのに?」
「割れた窓なんか調べても仕方ないじゃん。外を調べなさいよ、外を」
「外も調べますよ。ただ、同じくらい中も大事なので。場合によっては法定で証拠となりますから」
「じゃあ、男以外ね。粗雑なオッサン連中を入れたくないの」
お前は『オバサン』だから釣り合いが取れてるだろうと、ケインは心中で思った。が、
「ご協力感謝します」と言っておいた。
「感謝と誠意が足りないわね」
「ユイさんの出生ですが、どうして海外でご出産を?」
「は……?」
「あなたが受け取った殺害予告、遺産絡みの可能性がありまして…… あなたとフランツさんが呼び出した、ベラーチェスの弁護士ヌイさんに、捜査協力して頂きました」
「何勝手に人の弁護士から話、引き出してるわけ?」
「勝手ではありません。あと、リエッジ家に対する殺害予告ですから、治安維持隊の警護課と捜査課も、今日の夕方以降、ここへ来ることになっております。これは当主であるベルさんからも承諾を頂いた事項ですので、決定事項です。どうかご理解ください」
「一方的に話し進めといて、何がご理解くださいよ」
「しかし、殺害予告をカメリアさんへ渡して、犯人を逮捕しろと言ってきたのはあなたでしょう? 違いますか?」
「あのババアと飼い犬のお前に捜査しろって言ったんだけど?」
「だから、結果的に治安維持隊の警護課と捜査課が出動しました」
ニアが鬼瓦みたいな顔付きでケインを睨んでいた。
「出動して、何か不都合なことがあるんですか? ニアさん」
ケインが淡々とそう言うと、ニアは両腕を組み、
「ええ、あるわね。一日中、家の中をアンタらドブネズミがうろつくんでしょ?」
「うろつくかどうかは、当主のベルさんがどうしたいかで決まります」
「あっそ…… なら、さっさと返すように言っておく」
「そんなことより」と、ケインは話をぶった切って次へ向かった。「殺害予告はどのような状況下で受け取ったのですか?」
「アンタ、あたしのことをなめてる?」
「いいえ。ただ、事件性があるので尋問しています。嘘の証言などは偽証罪に問われますので、ご注意ください。
あと、度重なる暴言は、度が過ぎると我々が判断した場合、侮辱罪を適用し逮捕します。合わせてご注意ください」
実際は尋問でもなんでもなく、単なる任意聴取でしかないが、こういう輩はキツく言っていかないと調子に乗って何も話さないし、付けあがる。
ケインは経験上、それを知っていて、仮に職権乱用だと上に報告されたところで、事情を話せば事足りる…… そう考えていた。
案の定ニアは、
「扉の下にあった」
と、渋々ながら答えてくれた。
「カメリアさんへ渡しましたよね? 手紙を見つけてからすぐに渡したのですか?」
「ちょうど廊下を歩いてたから」
「つまり、手紙を見つけてすぐ、誰かに伝えに行ったと?」
「そうだって分かるでしょ、普通」
「どこの誰に伝えるおつもりでしたか?」
「執務室へ行けば大抵、誰かいるから、そこへ行くつもりだった」
「手紙の内容から、遺産が絡んでいる可能性があります。それについて心当たりはありますか?」
「なんにも」
「本当に?」
「なんで?」
「娘のユイさん、本当はベラーチェスに本籍があるそうですね?」
ニアの表情が、明らかに変わった。少し動揺しているように見える。