29 ニアとカメリアの会話
ケインが船上でユイと話している頃、カメリアはベルやマイケルと話を終わらせて、ちょうどベルの執務室から出て行こうとしていた。
カメリアが両扉の前で振り返り、
「それじゃあ、仔細はまた後日と言うことで。ケインさんが帰ってきたら、またこっちに来ますよ」
「ええ、ありがとう」とベル。「マイケルさんも、急なことで申し訳ありませんでした」
「いやぁ、いいんじゃよ。むしろこんな話に発展していたとは、思っていなくてな。――あとはこの家のことだけか」
「あっ、そうそう、忘れるところでしたよ」
カメリアがそう言って、ベルを見やった。
「ちょっとゴメンなさいね、ベル。――マイケルさん、あなたにずっと訊きたいことがあったんです」
「儂にか?」
「ええ…… 実はケインさんがね、昨日、北突堤であなたとベルさんが二人きりで話をしていたのを見たって言ってたの。珍しい組み合わせだから、私も気になりましてね」
「あぁ」とマイケルが苦笑う。「確かにおりましたな」
「何かあったの?」
「ニア達が戻ってきたという話をね」
「ベティさんもニアさんのことをご存じとか?」
「いや、全く。だから、儂のところへ来たんだ。あの人はどういう人なんだって」
「なるほどねぇ…… 使用人たちも、突然のことで驚いたのね?」
「みたいじゃな。一応、好みの食べ物を教えてはおいたが…… あまり意味は無かったみたいだ」
「大変ですよね、ホント…… あぁ、ベル。ベティさんを呼ばなくても大丈夫。一人で帰りますから」
暖炉側にある呼び鈴用の紐のところへ歩いていたベルを呼び止め、カメリアが今度こそ両扉を開く。
「あら……」
少し先の方に、ベティがいた。彼女はお茶の食器を乗せた盆を持っていて、
「すみません、お茶が間に合わなかったようで……」
「いえいえ、そんなお気になさらず。
私はこのあと、演奏会のための準備をしなくちゃいけませんからね。これで失礼します」
そう言って、カメリアがマイケルの方を向いた。
「せっかくですし、マイケルさんはお茶でも頂いて帰ったらどうです? ベルも午後は特に予定が無さそうだし」
「そうですな。夜のカメリアさんの演奏会まで、ゆっくりさせて頂いても?」
マイケルがベルへ尋ねると、「そうですね、昔話でもしましょうかね」と、少し笑みを浮かべて言った。
ベティがお運び致しますと言って、そのまま書斎の方へと入っていき、マイケルが別れを告げて扉を閉める。
カメリアは返事をしてから玄関へ歩いて行った。
長い廊下を歩いて玄関広間まで来ると、反対側からニアが歩いて来ているのが見えた。
カメリアが軽く会釈して玄関の扉の方へ行くと、
「なんの話、してたの?」
呼び止めるようにニアが声を張った。
カメリアは仕方なさそうに足を止め、振り返る。
少しして、廊下からニアが現れた。右手から手紙らしき物がぶら下がっている。
「友人として、色々とお話を聞いてあげたのよ」とカメリア。
「フ~ン……」
彼女は両腕を組んだ。その仕草がどこか、ユイと似ている。
「カメリアさんってさ、法定管理人になるんだよね?」
「あら? どうして?」
「惚けないでよ、なるんでしょ?」
「なるとしたら、どうするの?」
「やっぱり……」
「仮定の話よ? ひょっとして遺産のことで揉めてるの?」
「そうね、揉めることになるかしら」
そう言ってから、片方の口角をグッとあげ、
「でも、勝つのはあたしだけどね」と言った。
「どうしてそこまでして悪態を付くの? 昔はまだ素直だったと思うけれど……」
「アンタに関係ある?」
「なんにも。
だけど、友達はそれで困っているから知りたいの。よければ教えてくれないかしら? あなたが悪態を付く理由。お母様が嫌いだから?」
「いいえ、嫌いじゃなかったわよ」
「じゃなかった……?」
「今朝方、嫌いになった」
「今朝に?」
「あたしを相続人から外すんだって。あんまりじゃない? 実の娘に対して」
「そうかしら? 仕方ないと思いますよ」
「どうして?」
「若い頃から散々、わがまま言ってきて、実の娘を放置した挙げ句、今度は別の男性に乗り換えるなんてことをしていたら、見限られるのも仕方ありませんよ」
「へぇ~、どうして乗り換えまで知ってるの?」
「旦那を実家に泊めてあげないのが一つ。もう一つは、そんな旦那と実家に帰ってきていることかしら。
離婚のことでアレコレ話を付けるために、一緒に戻ってきたんじゃないの? 例えば『親権』とか」
「フ~ン…… やっぱりお母様が言ってた通りだ」
「?」
「謎解き…… っていうか、余計な詮索が上手なんでしょ? 若い頃のおば様は、少し憧れもあったけど、今は単なるお節介ババアだし、そうはなりたくないわね」
「誰にでも老いはきますよ。あなたにもね」
「当たり前のこと、カッコ付けて言わないでくれない? 恥ずかしい人……」
「悪態を付くために、私を呼び止めたの? それならもう行きますよ?」
「これ」と言って、彼女は持っていた手紙を差し出した。「扉の前で見つけたんだけど…… あなたの飼い犬の男と一緒に解いてみせてよ。犯人を見つけたら連れてきて」
女王気取りに、無造作に渡してくるふてぶてしさがあったものの、カメリアは手紙の内容が気になって、受け取ってしまう。
「誰からなの?」
「さぁ? あなたが見つけてくれるんでしょ?」
「見つけるかどうかは、物によりますよ。大したものじゃないなら、治安維持隊へ渡しておきます」
「ええ、ご自由に」
と言って、ニアがきびすを返すから、
「どこへ行くの?」とカメリアが尋ねる。
「自室。そこが一番、安全だから」
妙なことを言い残して、ニアが立ち去る。
カメリアは手紙の封があいていることに気付き、懐から眼鏡を取り出すと、中にある手紙を抜き取って読んだ。
「――なんてこと」
カメリアが驚いた顔で呟くと、急いでニアのあとを追った。
彼女の背中は、もうすっかり遠くに離れていて、廊下の曲がり角を曲がるところであった。
「ニアさんッ!」
呼び掛けても、彼女は曲がり角を曲がってしまう。
カメリアはどうしようか悩んだ。
悩んで、ハッとして、また玄関の方へ移動した。
今度は扉をあけて、その周辺を見やる。
彼女の視線は前方ではなく、下の方――主に地面へ向いていた。
「無くなってる……?」
置いてあったはずの荒縄が無くなっていた。
「どういうことかしら……」
玄関の扉をあけっ放しにしたまま、しばらく立ちすくんで考えを巡らせる。
「わざわざ取りに……?」
手紙と合わせ、『なんのために?』と彼女は自問していた。




