25 リエッジ家の相続事情
「カメリアさん」
廊下を歩いている最中に、ケインが言った。
「フランツさんが言っていた蛇ってなんのことですか?」
「おそらくニアさんじゃないかしら」
「ニアさん?」
「今は不機嫌で毒づいてるってことかもしれませんね」
「あ、そういう……」
つまり面倒くさい女になっているということか……
ケインは先程のフランツの件もあって、少々、面倒事に引け目を感じていた。だから、たとえ会ったとしても喋らないようにしておこうと心に決める。
しばらく行くと、一際、大きな両扉があって、それをあけると眼鏡を掛けたベルがいた。
革張りの椅子に座っている彼女は、執務机を前にして、手紙を封じているところであった。
「お早う、ベル」
「ええ、お早う」
ベルはそう言って、封をしていた書類を手元に置いた。そうして眼鏡を取り外し、
「そこの椅子に、自由に座ってください。私もそこへ行きます」と言った。
彼女が言う椅子は、執務机から見て右斜め向こうにあるソファであった。
ケインとカメリアは、彼女がソファの方へ移動する頃合いを見計らって、着席をした。
両隣の二人と、小さな卓を挟んで対面するように、ベルが座る。
「疲れてない? ベル」
カメリアが、ベルの顔色を見逃さずに言った。
ベルは空元気の笑顔を浮かべ、
「朝からちょっと、色々あって」
「何があったの?」
「あなたなら、その原因も分かると思う。だから、まずは話を聞いて頂戴ね」
何やら意味深だなとケインは思った。
ベルは一息入れてから、半紙ほどの大きさの紙束と、持っていた封筒を二通、卓上へ差し出すように置いた。
「まずは、こちらの封筒をケインさんへ」
「依頼書ですか?」
「ええ、そうです。警備兵の方へ直接、渡すのは規則違反でしょうけれど……」
「別に違反ではありません。受け取れる状況なら受け取りますので。とりあえず、こちらの封筒はお預かりしても?」
「ええ、お願いします。内容は、他の業務が存在しない時間帯に、私の警護をしてもらうというものにしてあります」
「分かりました」
「あと、こちらも」
「これは?」
「個人的な依頼として、あなたとカメリアにお願いしたいことです」
「と、申しますと?」
「遺産相続に関するお話です」
キョトンとしたあとに、ケインとカメリアが互いを見合った。そうしてまた、ベルの方を見やる。
彼女は変わらずに真剣な眼差し――むしろ業務に従事しているときのような顔をしていた。
「遺産相続って、どういうこと?」とカメリア。心配そうな顔をしている。
「実は、今の今まで遺言状を作ってこなかったの。必要ないと思って……」
「随分と急ね……?」
「ええ、まぁ…… ああいうことがあってはね」
《ああいうこと》とは、おそらく昨日のお騒がせ夫婦と娘のやり取りだろうとケインは思った。
「それで」とカメリア。「私達はどうすればいいの?」
「法定管理人になってほしいの。これによる損害や支払いなんかは一切発生しないし、資産管理をするなんて面倒な仕事もない…… 詳しくは弁護士と役場からもらった、この資料を見てほしいけれど、とにかく立会人だと思ってくれたらいいわ。
これにまつわる報酬は当然あるし、遺産の極々一部ですけれど、それも報酬として差しあげるようにしています」
しばし、沈黙が流れた。
雲の晴れ間から朝陽が現れたのか、窓から光の帯が差し込んで、薄暗かった卓上を照らし出す。
二通の封筒と半紙の書類束が、明るく色付いた。
「それってつまり……」
おもむろにカメリアが言った。
「ユイちゃんに相続させるってこと?」
「元々そのつもりだったの。
だけど、あの子はまだ未成年だし、成人するまでに数年は掛かるでしょ? そのあいだに何かあったらいけないと思って」
「縁起でもない。ユイちゃんには話したの?」
「いいえ。ただ今朝方、ニアとフランツさんには言っておきました」
なるほど、それでニアが毒蛇になっているのかとケインは思った。
「どうだったの?」とカメリア。「失礼な話だけれど、ニアさんが簡単に引き下がるとは思えませんよ」
「最初はごねていたけど、最終的にはなんとか…… フランツさんがいてくれて良かった。本当なら、あの人がユイの引受人になってくれたらいいのだけれど……」
「引受人?」
「どうやらね、離婚するみたいなのよ、あの二人」
「離婚…… そうなの、離婚してしまうのね」
「ええ。やっぱりと言うべきか……」
「これからユイにも色々と話すけれど、また一悶着、起こるでしょうねぇ」
「どうして? 遺産相続は彼女一人に絞ってるのでしょう?」
「そうだけど、何もかも全てを、というわけにはいかなくってね……」
「あぁ」と、唐突にカメリアが納得した声をあげる。「この家のこと?」
ベルがうなずく。
「家は相続しないのですか?」とケイン。
「実家に関しては、その土地も含めて、伴侶の配偶者と実子がそれぞれ相続するか否かを決められるの。そのとき、相続に関わる諸経費は全部タダで、原則、遺言の適用外となるの」
「つまり~…… ニアさんが相続したいと言えば、相続するってことに?」
「まぁ、仲裁審議会に異議申し立てをすれば、第三者機関が調査して、相続の無効化ができたりしますけれどね。正直、重罪でもしてない限りは無効化はされないでしょうねぇ」
「しかも、相手はニアですから」
ベルがカメリアの話にかぶせるように、言ってきた。
「あの子は所謂『内弁慶』でしてね、社交界では本当にうまく振る舞いますから、外での評判はそこそこいいんですよ。一方のユイは、父親の血が濃いのか直情型でね…… だから、勝つのは難しいでしょうね」
「なるほど……」と、うなずくケイン。「ニアさんが家をもらうと言えば、ユイさんも彼女と一緒に暮らさざるを得ない…… それで一悶着、ということですか」
「ええ……
私に何かあれば、マイケルさんにユイの面倒をみて頂こうかと考えているのだけれど…… お互いに今後、どうなるか分かりませんからね。
だからこそ、今から家の処分も検討に入れた遺産整理をする予定にしています」
ベルがそう言うと、カメリアが驚いた顔をして、
「本気なの?」と尋ねた。「ここは先祖伝来の、大切な屋敷でしょう?」
「受け継ぐべき意志をしっかり受け継ぐ者がいなければ、なんの価値もありませんよ、こんな家……」
少し寂し気にベルが言うから、カメリアは口を閉じてしまった。
ベルは続けて言った。
「全ては、母としての私の未熟さの結果。しかも、あなた方二人を巻き込む形になってしまって…… 本当に申し訳ないと思っています」
「いえいえ、そんなこと。大切な旧友が困っているなら、協力するのが普通ですからね。私は元々、あなたの悩みを解決するために、この島に来たのだから」
「――あの、一ついいでしょうか?」
ケインが分からないほどひっそりと手をあげつつ言うと、老婆二人が彼に注目した。
「申し訳ありませんが、自分はそれこそ全く無関係と言っても過言ではありません。
もっと信頼のおける方に法定管理人になってもらった方が、色々と安心できると思うのですが…… どうして自分なんかを?」
「あなたが全くの無関係な好青年だからですよ」
ベルが淡々と言った。
「実は元々、マイケルさんとカメリアさんにお願いするつもりで、マイケルさんにはもうすでに話を付けてあるの。
ただ…… 二人とも私とそう年も離れていませんでしょう? どうしても若い人にも法定管理人になって頂きたかったの」
「でも、だからって自分なんかを選ぶのは……」
「色々とあなたも不安かもしれませんけれど、何かの縁だと思って、お願いを引き受けてくれませんか?
隠居した今の私にとって、若い人と知り合う機会なんて滅多にないし、ここまで話をしたりして、信じようと思った結果なのですよ」
ここまで一息に言ってから、彼女はまた話を続けた。
「報酬も、あなたにとっては申し分ない金額になると思っています。受けてもらえませんか?」
ケインは思った。
彼女は所謂、資産家であり実業家だ。それ以前に、島長と呼ばれる存在の末裔である。
カウカ島の土地や漁業権などを含め、相当な額となるだろう。
微量な報酬額と言っても、それは遺産全体から見たものであって、自分達のような薄給者からすれば結構な額だと言える。
だからこそ、ケインも色々と考えが浮かんでいた。
「――結論から言うと」
ケインが決意に満ちた表情で言った。
「このままではお受けできません」
「それは、いったい……?」
「法定管理人になるための報酬はいりません。それは無しで考えてください。それが一つ目の条件です」
そう言って、ケインが右人差し指を一本、立てた。
「二つ目の条件は、自分以外にもう一人、法定管理人を付けさせてください」
と言って、彼は中指を立てた。
「正確に言うと、自分の友人です。そいつは捜査課の鑑定員をしている信頼できる人間ですし、自分よりも経済的に安定している人間なので、そういう意味でも安心できると思います」
「どうしてその方を?」
手を下げて、ケインが話し始めた。
「万が一、若い自分が一人だけとなったら、おそらく色々とやらないといけない手続きがあって、自分の許容量を超えると思うのが一つ。
もう一つは、ニアさんやフランツさんが納得しない可能性があるのと、ユイさんも不安に思うからです。
二人になれば作業量が二倍になるところよりも、半減となる方が多いでしょうし、こちらが無償でやっているなら、あの夫婦も文句は言わないでしょう」
「でもねぇ」と、カメリアが口を出した。「無償というのも、良い考えだとは思いますけど、残念ながらそうはいかないのよ。必ず一定の報酬を用意しなければならない決まりだから」
「じゃあ、最低限でいいです。それか、友人の方へまとめてもいいです」
「あとはその、もう一人のご友人の話…… それはベルが決めた方がいいけれど、どうするの?」
「ケインさんの報酬を二等分にする形でなら可能ね。それに、法定管理人が四人もいれば、不測の事態にも安心できますから、ぜひお願いします」
「穏やかじゃないから、安心はできませんけれどねぇ……」
カメリアが溜息まじりに言った。
「仕方ないですよ、カメリア。私のところは、あなたのところと違ってうまくいかなかった家庭ですから」
「家庭にうまいもマズいもありませんよ、ベル。料理と違って、反省を次の子供でいかすなんて、気安い芸当はできませんからね」
「私はその禁忌を犯してしまったわよ、カメリア……」
どことなく乾いた笑みを浮かべて、ベルが言った。
「あの子に…… 孫娘のユイに対してね……」
ケインはどこか呼吸が苦しい心持ちがして、早く外へ出ていきたいと願った。




