23 髭(ひげ)男について
ケインが交番の外へと出てくる。遅れてカメリアも出てくる。
「どうしたのです? 急に」
引き戸を閉めながら、カメリアが言った。
「思い出したんですよ、フランツさんが言ってた男のこと……!」
「――とりあえず、北突堤の方へ移動しましょうかね」
「え? どうしてです?」
「十中八九、中の二人が盗み聞きしようとするからですよ。北突堤なら風や波の音で誤魔化せますからね」
「はぁ…… そうですか……?」
そういうわけで、二人は北突堤の方へ向かった。
相変わらず雑木林がそよいで音を立て、波が防波堤に当たって砕けている音がしていた。
二人は雑木林の奥の方を目指して歩きながら、話を再開する。
「確か」とカメリア。「フランツさんが言ってた人相は、冬服みたいな格好に眼鏡、あとは口髭でしたっけ?」
「ええ、そうです。実は俺も、そっくりそのままの人相の男を見てました」
「いつ、どこで見たか分かります?」
「昨日、ユイちゃんが交番で寝泊まりできるようにって、あなたとベルさんの嘆願書を持って駐在所へ行ったでしょう?」
「ええ、行きましたね」
「その帰り道、ベルさんの家から出てくるのを見たんです。挨拶もかわしました」
「ベルの屋敷から出てきたの?」と、喰い気味にカメリアが尋ねた。「本当に?」
「てっきり、客人かと思って。
ほら、マイケルさんとか、近隣の方もベルさんと関わりがあるようでしたし…… あのときは、誰がどういう関係を持ってるか分からなくて」
「そんな奇妙な風貌の男、ベルの知り合いにいませんよ」
「玄関で会ったカメリアさんも、特に何も言及していなかったので、そういう人なのかと…… ただ、ちょっとおかしいですよね?」
「ええ、何もかもおかしいです。
そもそも、その男が誰と会っていたのか…… そのあと、どうしてフランツさんと口論をしたのか、どんな口論をしていたのか…… 不思議に思うことばかりですよ」
「本当に。カメリアさんにも知られずに、誰かと会っていたってことになるわけですもんね?」
「そうですよ。
しかも、女中や料理人、あるいは別の誰かに会っていたわけでしょう? そこが気になります。ひょっとすると、あの手紙の差出人かもしれませんしね」
「あ~…… そういうのもあり得るのか……」
「分かりませんけれど、ひとまず、あなたはその男とフランツさんの会社に関して調べてください。私は女中や料理人に話を聞いてみますから」
「まぁ、調べはしますけどね、カメリアさん……」
「あら? なんですか? その含みのある言い方」
「俺の本来の仕事は、あなたの演奏会の警護であって、探偵の補佐をするわけじゃないですからね?」
「分かってますよ、これはベルの身を案じてのことです。もし、よくないことが起こっているなら助けてあげなくっちゃね」
「いや、ですからそういうことは、捜査課とかに任せた方がいいですよ」
「申し訳ないけど、捜査課みたいな人達は当てにならないのよ」
「どうして?」と、ケインは少々ムッとしながら言った。
「彼らは事件後の捜査の玄人であって、事件前の捜査の玄人じゃありませんから。予防策は自分自身か、周りの人が打ってあげなきゃいけないのですよ」
ケインは言い返したかったが、事実の方が比重が大きかったので、何も言えずに黙り込んだ。
「だからこそ」とカメリアが続ける。「警護課の、あなたのような人々が大切なんだと思っているんですよ?」
「どういう意味です?」
「便利屋だとか守衛に毛が生えた職業だとか、アレコレ言う人がいますけれどね、色んな人達の依頼を受けて、それを解決するために寄り添って活動し続けている警備兵…… 治安維持部隊の警護課でしたっけ? とてもいい制度だと思います」
「どういいのか、イマイチ分からないです。薄給なのに仕事ばかり押しつけられて……」
「薄給なのは問題ですねぇ…… でも、良いと言った理由はハッキリしてますよ? さっきも言った、事件前の捜査の玄人と言うことです」
ケインが首を傾げる。
別に事件の予防ができるほどの権限は無いし、そんな役割も意図も最初から無い。
妙なことを言うもんだと思いながら、どうしてそう思ったのか訊こうとすると、
「ご覧なさい、ケインさん」
と、先にカメリアが言った。
彼女がケインの後方を見ていたから、ケインは視線をたどるように振り返る。
遠間に、ユイとアシュリーの姿があった。二人共、ちょうど雑木林へ入るための階段を降りていた。
「こんなところにいたんだ!」
ユイが声を張って言った。
「ね?」とカメリア。「必ず来ると言ったでしょう?」
「まぁ、いきなり席を外したら気になりますからね……」
「ケインさん」
呼ばれたから、またカメリアの方を向く。
「くれぐれも、髭男のこととフランツさんの件は伏せておくようにね?」
「ええ、分かってますよ。それより、ベルさんの家に戻った方がいいのでは?」
「あぁ、そうでした、そうでした。どんな用が待っているのか、覚悟して行きましょうかね」
「はぁ」
ケインは気の抜けた返事をした。
これ以上、面倒くさい家庭環境と家庭問題に首を突っ込みたくなかったのだ。
場合によっては、民事不介入を理由に依頼を断ろうという算段を頭で思い描きつつ、それによってアシュリーとの接点を失うのは嫌だなと、また邪な考えを抱き、どちらを選ぶべきか天秤に掛けていた。




