22 暴言事件の証言
交番正面の引き戸を解錠し、奥の扉をノックする。
「ケインです。カメリアさんと迎えに来たよ」
反応が無い。
カメリアの方を向き、
「どうしましょう?」と言うと、
「私が確認してきますから、あなたはここで待っていなさい。理由はお分かりですね?」
了解する選択しか残されていないケインは、残念に思う邪な心を完全に頭から消し去るために、仕事状態の頭に切り換えつつ、
「もちろんです」と答えた。
それから鍵をあけて、
「じゃあ、外で待ってるので、支度が済んだら外へ連れ出してきてください」
と言って、外へと出て行く。
背後から、「ここで待ってればどうです?」と言うけれど、何かの拍子で覗き見みたいになるのは嫌だったから、ケインはさっさと外へと出てしまった。
女性が出てくるのは時間が掛かると思って、暇つぶしに人気の無い北突堤でも見に行こうかと思っていると、
「お待たせ、ケインさん」とカメリアが声掛けしてきた。
「あれ? もうですか?」
ケインが驚きながら振り返って言った。
カメリアの後ろにはユイとアシュリーがいて、二人がそれぞれ、お早うございますと会釈する。
「お早う。二人とも眠れた?」
「案外、快適でしたよ」と微笑むユイ。「それより、ケインさんの方がちゃんと眠れたのか心配でした」
「え? 普通に快適だったよ?」
「さすがですね。あの女がいるから、どんな酷いことされてるかと思ってたけど」
「まぁ、なんとかしたから、しばらく無視してくれるんじゃないかな?」
「へぇ~、さすが警備兵ですね」
「年がら年中、変なヤ…… じゃなくて、様々な事情を持った方々がいらっしゃるからね。色々な人がいると思うよ、うん」
「変なヤツ……?」と目を細めるユイ。
「朝食、食べに行こうか」
誤魔化すようにケインが言って、きびすを返した。
「あたし達のことでしょ! さっきの!」
「違うってば」――少なくともアシュリーは。
「絶対に嘘!」
「嘘じゃないって、変なヤツはいるけど、君達は普通の女性だよ」
「ほらほら、人が集まる前に行きますよ?」
カメリアが手を打ち鳴らしながら言った。
ユイはまだブーブーと文句を垂れていたが、カメリアがケインの代わりにいなしてくれていた。
ケインは内心、カメリアに感謝しつつ、機会を見てアシュリーと話ができないか考える。
そのアシュリーは挨拶以降、ずっと黙ったままだった。
道中、持ち帰りができるパンの方が良いだろうと言うことで、パン屋へと入った。
持ち帰りにした理由は単純に、カメリアの演奏会を目当てに来ている客が多いのだから、目に付くと面倒だろうと言うものであった。
あとは両親と鉢合わせると面倒だから、交番で食べた方がいいだろうとカメリアが言ったのもある。
店内で適当にパンを見繕ったケインが、
「アシュリーさんは、他に何か食べたいものとかあります?」
と尋ねる。
「あ、いえ。私は祖母が選んでくれたもので充分です」
「あっ、そうでしたか」
ケインが苦笑って、カメリアの方を見やる。
カメリアが視線に気付いたらしく、ケインの方を向いて、
「あなたはそれでいいの?」
「いや、カメリアさん。これくらい俺が払いますって」
「いけませんよ。あなたに金銭的な負担は掛けさせられませんから」
そう言って、半ば強引に支払いを買って出る。
この辺りは実に老人らしいなとケインは思った。
店を出て、交番へと戻る。
朝焼けはもう無くなっていて、すっかり青空が広がっていた。そのせいか、商店街も人で賑わいつつあるように見える。
ケインは少女二人のパンの量を見て、昨日の晩から何も食べてないのに、そんな量で大丈夫なのか気になっていた。
だから、そのことを尋ねる。
「大丈夫、大丈夫」とユイ。「これで充分だし、減量中だと思えばなんてことないから」
「減量中ね……」
それで納得したケインが、交番の引き戸の錠を解き、長机の上へ買ってきたパンを置いていった。
ユイはそれを怪訝そうに見つめながら、
「奥の部屋で食べないの?」と尋ねる。
「食卓は一人用だし、みんなで食べるなら広い机じゃないとだろ?」
「あたしは立ったままでもいいし、奥で食べようよ。ここだとなんか落ち着かないって言うか…… 食事するような場所でもないでしょ?」
「仕方ありませんねぇ」
カメリアがそう言って、置いたパンを回収した。
ケインも手伝って、結局は土間の先にある板間の卓上いっぱいに、パンを置いた。
飲み物は各自、そのまま水場で飲むと言うことになって、二つある椅子のうち、カメリアが一つ使い、もう一つはアシュリーに使ってもらうことになった。
「どうぞ」と、椅子を引くケイン。
「ありがとうございます、ケインさん」
そう言って、アシュリーが座る。
「なんか、あたしと対応違わない?」
ユイがチクりと言うから、ケインが平静を保ちながら、
「仕事中の俺や事情のある君と違って、完全なお客さんだろ? 丁寧にもてなすのは普通だよ」
と、もっともらしいことを言った。
それで納得したのか分からないが、ユイはパンを手に取って、ベッドの際へ腰を下ろした。だから、立っているのはケインだけとなる。
「そうそう」
パンを持ったまま、おもむろにカメリアが言った。
「ユイちゃんとアシュリーに聞きたいことがあるんですけれどね、いいですか?」
「カメリア小母様は本当に謎解きが好きなんだから」
ユイが苦笑いつつ言うと、カメリアが口角をあげ、
「数少ない、年寄りの趣味ですよ」と言った。
「それで? あたしとアシュリーに何を訊きたいの?」
「さっきケインさんとここへ来る前に、散歩していた男性から聞いたんですけどね」
こう言う風に切り出したと言うことは、フランツが言ったということを伏せておいた方がいい、ということだろう。
ケインも賛成だったから、カメリアの話を見守ることにした。
「昨日の晩、この辺りで男性同士の言い争いがあったそうなんですよ」
明らかにアシュリーの表情が変わったから、
「アシュリー。あなたは何か知ってるわね?」
「えっと……」
「男が言い争いをしていたの、あたしも少し聞いたと思います」
アシュリーではなく、ユイが答えた。
「あたしはほとんど聞いてないんだけど、アシュリーは聞いてたみたいで…… そうだよね? アシュリー」
「うん…… ちょっと寝付けなくて水を飲みに起きたら、外から怒鳴り声がして……」
「その怒鳴り声、どういうものだったか覚えてない?」
「ううん、覚えてない。だって怖かったし、凄い剣幕だったから……」
「明かりは見えた? それとも真っ暗だった?」
「分からないけど…… ランタンかランプは持ってたんじゃないかな……」
「顔は見てない?」
アシュリーが首を横に振った。
「じゃあ、どういうケンカだった?」
「どうって言われても……」
「頑張って思い出してもらえない? なぐり合いのケンカだった? それとも単なる口論?」
「なぐったりとかは…… してないんじゃないかな? 多分」
「何かあったの? 小母様」とユイ。「まさか事件?」
「事件と言えば事件かもしれませんね。ケインさんに、言い争いについての調査をしてほしいって男性が現れましてね。
――ほら、今はただでさえ人の出入りが多いし、島民の方も不安でしょう? 私も一枚からんでいるわけだし、危険な要因はなるべく、無くしておいた方が安心ですから」
「人の多さは、小母様が原因じゃないでしょ? むしろ今の村長が、妙に力を入れて宣伝したせいなんだから」
「そうだけど、他人からすれば一緒だと思うものですよ。
とにかく、ここで誰かが言い争いをしていたのは間違いないみたいだし、調査しないとね」
そう言って、カメリアがケインを見やる。
「ン……!」
彼はパンを頬張っていて口がきけなかったから、代わりにうなずいて応えた。
カメリアは申し訳なさそうに苦笑って、
「ゴメンなさい、間が悪かったわねぇ」
「気にしないでください…… ちょっと飲み物、頂きます……」
ケインはそう言って、水場にある飲料用の水瓶へ移動し、手に持った杓子を使って水をくむ。
その瞬間、波紋に揺れる自分の顔が映っていた。
顔……
「あッ!」
と、彼は思わず声をあげる。
「どうかしましたか?」
全員がケインへ目を向けていた。
彼は杓子を持ったまま振り返り、
「カ、カメリアさん! ちょっと悪いんですけど、外へ出てもらえません?」
ケインの表情から何かを察したのか、
「仕方ありませんねぇ」と言って、腰をあげた。「二人とも、先に食べていてください」
キョトンとしているアシュリーとユイを置いて、カメリアがケインと部屋の外へと出て行った。