18 注意喚起?
詳しい調査の話は明日以降と決まったあと、三人は食後のお茶を楽しんでから、それぞれの就寝のために部屋へと向かった。
客室とベルの寝室は別方向にある。だから、食堂でベルと分かれ、女中のベティが先導するように廊下を歩く。
そのあいだ、ケインはベティの後ろ姿をジッと見つめていた。
彼女が振り返り、こちらとその隣のお部屋をお使いください、と言って、持っていたカメリアの手提げ鞄を返す。
「ありがとう、ベティさん」
「いえ……」と答えてから、「あの、ケイン様」と続けた。
「はい?」――まさか、視線がバレた?
「少々お願いしたいことが……」
ケインはホッとした。同時に、またお願いかよと内心うんざりした。
「実は私、夜食を作りまして…… ユイ様とお友達のアシュリー様の元へお届けしたいと考えております」
なるほど、交番の鍵がほしいと言うことだろうと、ケインは思った。
だから、
「そういうことでしたら、俺が届けてきます」
「えっ、しかし……」
「申し訳ありませんが、施設の鍵を無許可で、部外者に預けることは禁じられています。どうかご理解ください」
警備兵らしく毅然と言うと、ベティがうつむき加減になりながら、
「で、では諦めます。申し訳ありませんでした」
そう言って、彼女は一礼すると、そそくさ立ち去っていく。
ケインにとっては思いもよらない返答で、思わず右手を差し出して、呼び止めようとしていることに気付いた。
アシュリーのところへ行くための口実が、去っていく…… どうしてそこで諦めるんだ、そこで。
行き場を失ったケインの右手は、後頭部へと移動していた。そうして、頭をかきながら去って行くベティの背中を見送る。
「ケインさん」
今度はカメリアが呼び掛けてきた。
「なんです?」
「ベティさんが気になっているのですか?」
「へっ?」――なんでバレた。
「彼女は確かに独身で、魅力的な女性でしょうけれどね、ずっと見ているのは失礼ですよ?」
「いや、ち、違うんですよ」と苦笑いながら、慌ててケインが言った。「実はですね――」
「話はこちらで」
有無を言わさない雰囲気で、カメリアが部屋の扉をあけて中へ入る。
扉はあけっ放しにしてあったから、こっちに来いと言うことなのだろう。
ケインは思わず大きな溜息をつき、どうやって誤解を解こうかと考えを巡らせながら部屋へ入って、扉を閉めた。
「誤解ですよ、カメリアさん。俺は別に、変な興味でベティさんを見ていたわけじゃなくて――」
「知ってますとも」
なんだって?
そう思ったケインが、怪訝そうにしているあいだ、カメリアは鞄《かばん》をベッドの上へ置いて、近くにあった椅子を引っ張り出して、その椅子に腰掛けた。
「あなたは」とカメリア。「本質的に素直な男性ですからね。目と表情で大体、察しが付きます」
「えっと…… つまり?」
「別のことで、ベティさんに興味を持っていたのでしょう?」
その通りだったから、「よく分かりましたね……」と、観念したように答えた。
「で、何が気になっていたのです?」
「ちょっと待って下さい。どうしてあんな言い方をして、俺をここへ連れ込んだんです?」
「誰に聞かれているか分からないからですよ。私も昔は、色々と追い掛けられた身ですからね。自然と用心するようになったのです」
「用心……?」
「あの手紙の内容、妙だと言ったでしょう?」
「え? ああ、手紙…… どうも急ですね。まぁ、俺も妙だとは思ってます」
「ベティさんの何が気になったのか話してから、あなたの見解、聞かせてくれません?」
ケインが鼻先を人差し指で差すと、カメリアがうなずいた。
どことなく彼女から、演奏会の本番さながらの真剣さを感じたケインは、両腕を組み、戸惑いながらも思考を巡らせた。
「え~っと…… じゃあ、まずはベティさんですが」
カメリアは何も言わずに聞く体勢になっていた。
「実は、交番へ顔を出して、荷物を置いたあとに見掛けたんですよ」
「場所は?」
「北突堤です。分かりますか?」
「確か、坂道を下りて、そのまま真っ直ぐに行った先にある、防風林付きの突堤ですよね?」
「そうです。交番から近いのもあったし、昔、同僚から釣りの穴場だって聞いたもので、どういう場所かなって思って」
「そこでベティさんが何をしていたか、分かります?」
「あの人…… 名前は、マイケルさんでしたっけ?」
「彼と一緒にいたの?」
「ええ、そうなんです」
「何をしていたか分かる?」
「別に何も。話をしているようでしたけど、自分が現れたせいでお開きにしたみたいです」
「なるほどねぇ……」
「何かあったんですかね? やっぱり」
「本人に訊いてみないことには、なんとも言えませんよ」
「はぁ、やっぱりそうですか」
「――で? 手紙を読んでおかしいと思ったところってあります?」
「えぇ~っと、ですねぇ…… アル・ファームの特務機関を装っているところ、とか?」
「確かに妙ですよね。他には?」
「他?」
「ええ、ありませんか?」
「二人が帰省する日に、手紙が届いたとか?」
「いいですね、それも妙な点の一つですよ」
「他にも……?」
「私はそう思っているのですけれど、他の方の意見も聞かなければいけないでしょう?」
ケインはまるで、間違い探しが見つからない子供みたいに、つま先をパタパタと動かしたり、腕組みしている指をトントン動かしたりして、項垂れた。
「あとは、まぁ……」と、言葉を絞り出す。「そうですねぇ……」
正直、なんにも思いつかない。
だから適当に、
「金銭や権利などの授与は一切、おこなわないで頂きたい、とか?」
突然、カメリアが指を鳴らした。
「そこですよ、私も一番、おかしいと思っている部分が」
「へ?」
「どうしてそんなことを注意するのでしょうね?」
「いや、だって債務不履行で国外逃亡している可能性があるからでしょう?」
「債権者からしたら、逆に払ってもらいたいところでしょう? ベルに」
「でも、特別に条約でも結んでない限り、外国の資産を自由に取り立てたりはできないんじゃ……」
「もちろん分かっていますよ。特務機関とやらが本当に手紙を送ったなら、債権者共々、そう願うのが本音じゃないかという話です。
私が一番、関心を向けているのは、あくまでも金銭や権利などの資産を動かさないようにしてほしい、という一文にあるんです」
「そこまで気になります?
不履行が起こっているなら、たとえ子供であっても代わりに支払わないようにって注意するのが普通と言うか……」
「まさにそれですよ、ケインさん。それです。あれは協力要請を装った『注意喚起』です」
「注意喚起……? でも、どうしてそんなことを?」
「今の時点ではなんとも言えませんけれどね、誰かがベルに、財布の紐ならぬ財産の紐を閉めるように注意している…… 私には、そう思えたんですよ」
「じゃあ、まさかニアさんとフランツさんが財産を狙って帰省してきた?」
「どうかしらねぇ。だって、ニアさんはなんにもしなくても、財産を授与される立場ですよ?」
「でも、遺言でどうとでもなるでしょう? 孫に全額とか、島に寄付するとか」
「孫に相続させるなら、結局はニアさんへ財産が行きますよ。
ユイちゃんはまだ未成年で、ほとんどの国では、未成年への遺産相続は保護者か法定管理人が必要でしょう?」
「まぁ、そうでしょうけど…… 債務不履行をしているなら犯罪者なわけで……」
「いけませんよ、ケインさん。まだそうと決まったわけではないでしょう?」
「あっ」と言って、ケインがうつむきながら頭をかき、「これは誠に失礼しました」
「でも、推測で考えるなら…… もし債務不履行が事実なら、文字通りの注意喚起。そうでなければ……」
「なんです?」
「別の注意喚起かもしれません」




