16 リエッジ家について
マイヤーと話を終えたケインが、駐在所をあとにした。
再び商店街に戻ってきたから、ユイの父親であるフランツの姿を探す。
少し前まで彼が座っていた席は、もう空席となっていて、ケインは仕方なくカメリアが待つベルの屋敷へと戻った。
――ベル・リエッジ。それが当主の氏名である。
マイヤーの話では、リエッジ家はカウカ島で一番の富豪であり、先祖代々、島の政治や発展に関わってきた人らしい。
リエッジ家は古くからの家訓を大切にしているようで、その家訓は要約すると、島をできる限り開発せず保つことにあるらしい。
その考えはカウカ島のもっとも大切な憲章として設定されていて、これがあるため、本島から近いのにあまり発展していなかった。
現在の村長は、表向きそれを尊重しているらしいが、内心はもう少し開発していきたいということらしい。
ケインはこの辺りで、色々ともめ事が起こっているんじゃないかと想像していた。
そもそも、昔の家訓がそのまま憲章となっていることが時代遅れである。自然環境に注力するのは大切だし、重要な観光資源になっている点も理解できるが、だからといってそのままにしておくと言うのは、島民の人口を減らすことにつながっていく。
人間、誰でも便利な方へ流れていくものだし、収入を重視するものだ。
ひょっとすると、ユイの両親はその改革に賛成している派閥で、孫娘と父親代わりの、あの老人――マイケルがそれに反対しているんじゃないだろうか。
こういう構図なら、あの衝突も理解できなくはない。理解できなくはないけれど、カメリアやその孫娘の行動に疑問の余地が残る。
なぜなら、改革の賛否は完全にお家騒動のものだし、カメリアがそこに首を突っ込むとは思えない。
大体、カウカ島で一番の実権を持っているであろうリエッジ家の現当主、ベルは、すでに村長を引退した身である。
まだ影響力はあるだろうけど、マイヤーの話し振りから、政治に参加しているようには思えない。
政局を左右するほど首を突っ込むような性格なら、逆にカメリアの演奏会を阻止しようとするだろう。
(今は想像の域を出ないか……)
様々な憶測を頭の中で巡らせていると、交番が見えてきた。
まだ明かりが灯っているから、ケインは自然とそちらに注意がそれる。
こういうイザコザが無ければ、ひょっとすると、彼女と家の中で話す機会があったかもしれないのに。
そんなことを思い浮かべた矢先、ケインはフッと冷静になった。それで頭を横に振った。
今は仕事を終わらせることに集中しなければならない。
カメリアは彼女の祖母のようだし、その祖母に気に入られたら、また何かの依頼で接点を持つかもしれない。
――次の依頼なんてあるのだろうか?
ケインは悪夢を振り払うかのように、また頭を横に振って、夜道をランタンで照らしながら歩いて行く。
じきに左の道へ曲がって坂道を上り、少し平地を行く。
不意に視線の先に人影を見つけた。
リエッジ家の鉄門をあけ、誰かが出てきている。
思わず、ケインは立ち止まった。なぜなら、その人影がランタンも持たずにこちらへ歩いて来たからだ。
ケインは当然、警戒しながら近付いてくる相手を見やる。
「こんばんは」
男性であった。
彼はこちらの警戒を解こうと思ったのか、少し距離のあるところから挨拶を投げかけてきた。
その声は随分と低かった。
「あっ、こんばんは」
ケインは思わず返事してしまう。
男性の姿もハッキリしてきたが、なんだか妙な格好だった。
深めの、鍔が広い帽子をかぶっていて、寒くも無いのに膝くらいまである大きなトレンチコートを来ていた。
顔には眼鏡が付いていて、その下に立派な口髭がある。
パッと見た感じは老練の紳士に見えた。一方で、夜だと変質者に見えなくもない。
男性はすれ違いざまに帽子の鍔を指でつまんで会釈し、そのまま坂の方へ去って行く。そのときようやく身長差も分かったが、ケインよりも少し低いくらいだった。
ケインはしばらくその男性が歩いて行った坂道を見つめ、妙に警戒してしまった自分を思わず恥じて、後頭部を乱雑にさすった。
――今日は色々あった。
そんな振り返りをしながら鉄門をあけてくぐり、中庭の直線を歩いて、リエッジ家の正面玄関の扉までやって来た。
ノックをすると、やはりカメリアが出迎えてくれる。
「ご苦労様、ケインさん。どうでしたか?」
「ひとまず心配しなくても大丈夫になりました」
「そうですか、そうですか。本当にゴメンなさいね、色々と」
「いえ、これも仕事ですから」
「じゃあ、夕食にしましょう。ベルもあなたの帰りを待ちわびていたのですよ」
「えっ? どうしてです?」
「そりゃあ、彼女なりに申し訳なく思っているからですよ」
「はぁ…… なるほど」と頬をかくケイン。
「さぁさ、どうぞ中へ」
ケインは促されるがまま、平屋の豪邸へと入っていった。
平屋だから上下ではなく左右前後に広い感じで、玄関広間も当然のように大きい。そこには案の定、様々な調度品や装飾品、小物が置いてあった。
「お疲れ様でした、ケイン様」
キョロキョロしていたケインに、遠間から女性の呼び掛けがしてきた。
彼が声のした方へ目をやると、ランタンを持っている、女中らしき女性が立っていた。
服装はまさに女中のそれで、髪は後ろへ束ねるように、小さな団子にして結ってあった。
背が普通の女性よりも少し高く、細身の印象を受ける。
しかしケインは、その容姿よりも、なぜか湧き出てくる違和感の方が気になっていた。
「奥様がお待ちです。こちらへどうぞ」
先導するように女性が歩いて行く。
「行きましょうかね、ケインさん」
カメリアがそう言って歩き出す。
ケインは違和感の正体を考える暇も無く、カメリアのあとを孫のように付いて歩いた。
手持ちのランタンと、壁に掛かっている燭台の明かりだけで照らされた、薄暗く細長い廊下を歩く。
突き当たりの両扉を女中が開くと、一列で六人が座れるほどの、縦長の食卓が目に入った。その食卓には当然のように三つ叉の燭台が数個、並んで置かれてあるし、中型のシャンデリアもぶら下がっていた。
「ようこそいらっしゃいました、ケイン様」
奥の方の上座の椅子に座っていた老婆――おそらくベルが、立ちあがってケインの方へ近付いてきた。
薄暗いから、最初はよく分からなかったものの、目が慣れたのと、近くに彼女が来たのとで容姿がだいぶ鮮明に分かるようになった。
カメリアよりも少し背が小さく、白髪で、少し着飾った服装をしている。雰囲気からして貴族のそれであった。
「このたびは本当に、ご迷惑をお掛けしまして……」
「い、いえ、お気になさらず。一応、なんとかなりましたので」
「ふ~ん、だったら良かったじゃない」
また急に女性の声がした。今度は明らかに若い。
ケインがそちらへ目をやると、部屋の四隅の扉をあけた、寝間着姿の若い女性が立っていた。髪がしっとりしているから、風呂上がりなのかもしれない。
「ついでに、不法侵入してきた例のジジイを逮捕してくれない?」
「ニア! なんてことを言うのです!」
「あたしはお母様と違って、実利的なの。――ケインさんだっけ?」
「あなたがニアさん?」
「ええ、知ってるのね」
「カメリアさんから伺いまして」
「あなた、所謂、治安維持隊の人間でしょ? 今度から勝手にあがり込んでくる輩を逮捕していってよ」
「あなたは家主ですか?」
「なんですって?」
「この屋敷の家主はあなたですか? それともベルさん?」
「どういう意味?」
「原則、家主が被害届けを出すか事件発声から半日以内に、捜索の意思表示をされませんと事件性は無いと判断します」
「だったら、さっさと逮捕しに行きなさいよ」
「ですから、事件性の有無で逮捕の有無が決まります。
虚偽の報告は捜索妨害とみなされ逮捕されることもありますので、正直にお答えを。
あなたの名前が、役場の登記書類に家主として記載されているのですか?」
ニアの顔が鬼瓦みたいになっていたから、ケインがベルの方を向き、
「不法侵入はありましたか? ベルさん」
「いえ、とんでもない!」
ケインが再びニアの方を見やる。
「と言うことですので、この件は解決です。
ちなみに過度な暴言は名誉毀損となり、留置所での禁固刑に処されることがありますので、ご注意を」
「ニアさん」と、カメリアが言った。「何かあったらすぐ対応しますから、今日はもう寝てらっしゃいな。これ以上、騒ぎを大きくすると、良からぬ噂が立つかもしれないし、本当に治安維持隊の厄介になりますよ?」
舌打ちしたニアが、ドアを強く閉めながら、姿を消した。
しんと静まり返った部屋に、ベルの溜息が響く。
「自分は今までの出来事について、口外することは一切ありませんので、ご安心を」とケイン。「事件性が無ければ、治安維持隊は民事不介入ですので。
それから、お聞きになっておられるでしょうが、一応、ユニさんは交番で寝泊まりしてもらっています。
鍵はこちらで管理していますので、夜間の外出を心配する必要はありません」
「全く…… 何から何まで嘆かわしい……」
ベルが両肩を落として、呟くように言った。完全に意気消沈している。
「暖かい料理でも食べて、落ち着きましょうよ。せっかく若い子も来てくれてるわけだし」
カメリアがベルの背中をさすりながら言った。
それを見ていたケインは、ベルがなんだか気の毒に思えて仕方なかった。