1 さえない警備兵と白いワンピースの少女
自国の警察機関『治安維持部隊』の制服を着ている、短髪の青年が、憂鬱そうな顔で溜息をついていた。
彼の背中は丸く、浜辺近くの沿道を元気なく歩いている。
そんな青年をあざ笑うかのように、景観は明るく元気が良かった。
気持ちが良いくらい澄み切った青空に、夏を思わせる太陽が燦然としていて、透明な碧色の海の水面が、白い浜辺の砂粒と同じようにキラキラしていた。
こういったところには当然のように海水浴へ来る人々がいて、砂浜には泳ぎに来た人や散歩などを楽しむ人達で賑わっていた。風光と同じように、人々も輝いている。
対照的に、一人だけ周囲から浮いたように沈んだ顔をしていた青年が、おもむろに沿岸の道端へ寄って、歩くのをやめた。
彼は浜辺の方を、ぼんやりと見ている。
そこには家族連れの観光客がいて、楽しそうに遊んでいた。
不意に青年は、両親の姿を思い出す。元気だろうか…… そんなことを考えていると、
「ケイン?」
と、聞き覚えのある低い声がしたから、周囲を見渡した。
「こっちこっち」
そう言って、青年――ケインと同じ年頃の男性が、手を振って近付いてきた。
彼の身成りは治安維持部隊の制服ではなく、暑いこの地域で見られる一般的な半袖の服装であった。
髪は少しだけ長く、後ろで束ねていたから、ピンと跳ねるように突き出ている。
「ターザリオンか……」とケイン。
「またサボってるの?」
「違うって。ちゃんと海水浴場を見守ってるだろ?」
「程々にしないと、また上に怒られるぞ?」
「この程度で怒られるんなら、他の奴らも含め、全員クビになってるって……」
あからさまに元気が無いのを見て取ったのか、ターザリオンが首をかしげ、「どうしたんだ? 元気ないじゃないか」と言った。
「また面倒事に巻き込まれたとか?」
人々の声と潮騒だけが辺りに響く。
ケインの返答は、それからしばらく経ってからだった。
「この前言ってたアル・ファーム王家の王女と、旦那の護衛任務の話、あっただろ?」
「ん? ああ…… 確か、昇級の掛かった仕事だったっけ?」
「降ろされた」
「え?」
ケインが、驚いているターザリオンを見やってから、
「降ろされた」と、しっかり言った。
「王女様、新婚旅行を取りやめたのか? それとも別の場所へ?」
「いや、単に俺達『警護課』が任務から外されたんだ」
「また急だねぇ~……」と、ターザリオンがケインの隣へ移動して言った。彼の目には、意気消沈から憤りに変わったケインの顔が映っていることだろう。
ケインは拳を握りしめながら、
「結局、こうなんだ…… せっかく機会を得ても、横取りされる……!」
「国防軍の連中が絡んでるのか?」
ケインはそれ以上、何も言わなかった。だから、答えは出ているようなものだった。
「なるほどねぇ」と、ターザリオンが溜息交じりに言った。彼はすでに正面を向いていた。「まぁ、国外の要人警護をするんなら、国外に強い連中が出てきたほうがいいってことなんだろうな」
「それならそれで、最初から仕事なんて振ってくるなっての。準備に回される身にもなってみろってんだ」
「でも、周辺の警戒任務はさすがに回ってくるだろ?」
「小金持ちと噂大好き野郎共とクソ報道人の相手なんて、誰が好きでやるかっての。どうせ面倒事に巻き込まれるに決まってるし、やりたいヤツだけ引き受けりゃいいよ」
「おいおい、そうも言ってられないだろ?」
「こんなことが続くんなら、別の仕事でも探すって」
「あてはあるの?」
沈黙が流れた。
「やっぱりな」と溜息。
「あっ、そうだ!」
「まさかの、あてがあった……?」
「エルエッサムはどうだ? 錬金術だか錬成術だか…… なんか、そういう術の使い手が慢性的な人手不足だって、聞いた覚えがあるぞ?」
「錬金にしても錬成にしても、結局は魔導具や魔結晶を使えるかどうかだし、それって選ばれた血筋や魔結晶を多く持ってる金持ちがモノを言うわけで…… それ以前に、調合術ができなきゃ話にならないからな?」
「あぁ、そうか、調合術…… ってか、鑑定やってるお前だったら出来るんじゃないか?」
「僕のは実地で覚えた即席の調合術だし、そもそも、好き好んで寒い地域へ行くもんか。雪なんか見たくもないよ」
「まぁ、お前はそうだよな。知ってた」
「とりあえず、別の依頼でも探してきなよ。物探しとか、観光案内とか、そういうのくらいあるでしょ?」
「なぁ、ターザリオン。薬とか錬成術で、忘れ物を探知するとか、そういうのできないか?」
「勇者伝説の魔法じゃあるまいし、無理に決まってる」
「ですよねぇ~…… 知ってた」
「勉強しろって。調合術ができれば、それだけで僕と同じ部署に来られるだろ?」
「お前の部署、融通が利かないだろ? だから嫌なんだよな……」
「じゃあ、今の部署で頑張るしかないだろ?」
ターザリアンは呆れ顔でそう言った。
彼はケインと同じ治安維持隊の隊員だが、彼は『捜査課』という部署にいて、もっぱら証拠品などの管理や分析を担当する、所謂『鑑定員』だった。
鑑定には基本的に調合術の能力が使われる。その中でも彼は、調合をさらに強化する『錬成術』を習得していた。
当然、鑑定員の中でも特別に優遇されていて、ケインはつくづく、どうやって友人関係を築けたのか分からないと思っていた。
同期で、適当に話をして、適当に付き合っていたら、適当に友人になっていた…… そんな感覚である。
「それより仕事、もらいに行かなくていいのか?」
「今日はそんな気分じゃない」
「僕の金はあてにするなよ?」
「しないって。そこは今までも頼ってないだろ?」
「変なところ真面目だもんな、ケインは。真面目系の不良って感じ」
「なんだそれ、矛盾してるぞ……」
「――あの」
後ろから透き通った少女の声がした。
二人が振り返る。
そこにはセミロングほどの長さの黒髪に麦わら帽子を乗せ、白いワンピースを着ている、可憐と呼ぶにふさわしい少女が立っていた。
手には何か封筒のような物が握られている。
彼女は麦わら帽子を頭から取り、少々不安そうに、
「えっと…… お忙しいところすみません。警備兵の方、ですよね?」
治安維持部隊と言うのは名称であって、俗称は『警備兵』である。外国ではこちらが一般的な呼び名であり、観光客からも警備兵と呼ばれることが多かった。
それでケインが、「どうかしましたか?」と、丁寧に対応する。
「お仕事をお願いしたくて…… これ、受け取ってもらえませんか?」
彼女はそう言って、白い指先で持っていた封書を差し出してきた。
本来なら交番や駐在所、または管理局の建物か本部署へ持っていく決まりだが、そうしろと言って突っぱねるのは忍びない。
そもそも、ケインは少なからず彼女を一目で気に入っていたし、自分が仕事を受け持てば、また彼女と会えるんじゃないかという謀略が、瞬時に頭の中を駆け巡っていた。
だから彼は、
「ええ、いいですよ」
と、笑みを浮かべつつ受け取った。
「お預かりします。近日中にお伺いすると思いますので、そのときはどうか、よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
深々と頭を下げた彼女は、また麦わら帽子を被り、「失礼します」と言って、早足にその場を去って行った。
「初めての依頼かな? 初々しいね」
「あの子、いくつくらいだと思う?」
「ん? いくつって?」
「年齢だよ。俺達と同じくらいかな?」
「いや、少し下じゃないか? そこまで離れてはいないだろうけど……」
「なるほど、お前がそう言うんなら間違いないな」
「おい、ひょっとして……」
「いや、だって可愛かったし、ちょうど仕事を探してたわけだろ?」
「や~れやれ、現金なヤツ……」
「嫌なこと続きだったんだ。ちょっとはいいことあってもいいだろ?」
「いいことねぇ~……」
「なんだよ、お前は好みじゃないみたいだな?」
「いやまぁ、可愛いし綺麗な子だなって思ったよ? 対応も丁寧で品もあって好感が持てる。可能なら俺もお近づきになりたい」
「何か問題でも見つけたのか?」
「問題って言うか、彼女が外国人の可能性が高いってところがな。場所によっては二度と会えないし」
「発音、中央よりだったもんな」
「それこそアル・ファーム出身かもね。隣国の人間じゃないのは確かかな」
ちなみに言語は世界共通で、そうなった理由は『勇者伝説』でも語られている通り、魔王が一枚絡んでいると言われている。
ただ、元々あったであろう土着の方言や言語は、ほとんど痕跡さえも存在しない状態で、いつ頃、言語統一が起こったのかについては学者によって区々であった。
そんな言語の歴史など全く興味が無いケインは、言語そのものよりも、彼女の美しく透き通った声音を思い出していた。
「一夜限りの恋が期待できたり?」
少々、冗談めかしてケインが言った。
「そんな器用なこと出来ないんだから、止めときなって。そもそもさ、絶対に彼氏いるでしょ、あの子」
「いるか……?」と言ってすぐ、「いるかぁ~……」と残念そうに言った。
「そりゃ見逃さないと思うけどね、あんな子。どう見ても大人しいし、押しに弱そうに見えるから」
「そうか?」
「そう思わないの?」
「俺は……」と言って、小さくなった白いワンピース姿を見やる。「案外、気丈そうに見えたな」
「へぇ~、それは俺的に意外だった」
「声がね…… 通りが良かったんだよ。しっかり声掛けできる子は、そういう子が多いと思う。だから、ひかれるよね」
「なるほど。君がそう言うと説得力があるな」
「とりあえず、申請書を出してこないと。お前も来るか?」
「まさか。今日は非番なのに行くわけないでしょ」
そう言って、ターザリアンは自分の私服をつまんで引っ張って、これ見よがしに強調していた。