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────日常、非現実────

 惰性の日々を甘受していたユリウス。ただ部屋に篭り、仕事を繰り返していただけだった。

 だがあの日、ファジャの最終日三月十九日に出会った彼女。イリスの存在が心の中で大きく影響していた。

 もう一度会いたい。そう思っていたのだ。自分の心には何も無い。もう他人と深い関係なんか作りたくないと思っていたのに、彼女だけは別だった。むしろ自分から進んでもう一度会いたいと思ってしまうのだから。どうしてこんな気持ちになるのかは分からない。それでも何か惹かれるものがあったのだ。

 ユリウスが目を開けると闇に支配された天井が映し出された。

 日中に起きることは殆ど無く、仕事は夜のほうがはかどったからというのが理由の一つだった。だから基本的に生活が昼夜逆転しているのが常だ。

 今日の仕事は休み。またあの浜に行こうと考えていた。ひょっとしたらもう一度イリスに会えるかもしれないと思ったから。そして、ゆっくりと外へ歩みを進めるのだった。


       §


 日中暑苦しいバレンシアの地中海性気候も、夜になれば日差しは無くなり月光が照らし涼しくなる。ユリウスは夜ばかり外に出ている所為か、肌が白かった。

 あの場所へ急ごうと思い、歩みを速めるが近づくにつれて落胆が心を満たしたのだ。

 そう、聞こえて欲しい音色が耳に届かない。そして目的地に着けば、誰もいない空間がそこにあるだけだった。


「ま、期待はしてなかったさ……」


 言葉を漏らし自分を納得させようとした。そう都合の良いことは起こらないのだと、なんでもかんでも上手く行っていたら自分はこんな風になっていない。過去が今を作るなら、その事実は真理だった。


「それに、いつも通りだ」


 見上れば変わらない夜空。

 強いて言えばあの日は少し違った。淡い月の光りで虹が出来ていたんだから。


「月虹か……。ふ、イリスに似合う訳だ」


 ギリシャ神話で虹の神といえばイリスだ。それに伝令も意味しているあたり然りだ。あの出会いはひょっとしたら一時の夢だったのかもしれない。一瞬でも幸せな世界を見るための。

 時が流れた、何秒、何分、何時間────

 知らない。だが、こうして星に抱かれているのも悪い気分じゃない。

 いつの間にか身体は仰向けになり、砂の大地に背を預けていた。まだ熱が引いていないのか、仄かに暖かい。まるで大地のベッドだと、そう思わせた。それなりに睡眠を取ったはずだが、再び睡魔が襲ってきた。風も心地良い、抗うことはせず目蓋を閉じたのだった。


「────ス?」


 何か聞こえる。夢だろうか。


「ユリ────」


 自分の名前のような気がする。この声音はきっとイリスだ。本当の夢にまで見るなどとは相当だな。そんなことを考えた。だが、そこで気づいたのだ。

 夢の中で思考が展開できるだろうか、そもそも現在こんなにも難しい矛盾に囚われている。この時点で覚醒しているのではないか、それならば今は現実で……。


「……イリス?」


 口から出る言葉は、当然彼女の名前だった。


「こんなところで寝ていたら風邪引くよ?」


 上から覗き込んできていて、なんと返したらよいか分からなかった。この気持ちは何だろう。自分のことなのに、理解できないのは初めてだ。


「あぁ、すまん」

「なんでこんなところにいたの?」

「まぁ強いて言うならイリスの歌を聴きに来たんだが、いなかったからな。星を眺めているうちに寝てしまった」


 そんなユリウスの言葉に目を丸くしたイリスだったが、すぐにお世辞だと思ったのか笑顔になった。


「そっか、そんなに私の歌が好きなんだったら、今から歌うから聞いていく?」


 イリスにとっても自分の歌を聞いてくれる人がいるのは好都合だった。誰かに評価してもらうことで上達への足がかりになると思ったから。


「無論だ。聞かせてくれ」

「それじゃ────」


 イリスは目を閉じ、すぐに自分の世界の中に入っていった。

 すると音色が響いた。暖かく優しい、心からの声音。ここには二人の人間しかいない、海の波も音楽になっている。アカペラなのにも関わらず、一切のぶれはなく、正しい音の世界が広がっていった。

 ひとしきり歌い終えるとイリスの目蓋が開いた。


「どうだった?」

「そうだな、相変わらずあんたの歌はいいな」 

「へへ、そっか。ありがと」


 屈託の無い良い笑顔だと、ユリウスは思えた。


「一つ聞いてもいいか」


 ふと疑問がユリウスの中に生まれていた。何故このような時間に、こんな場所で歌を唄おうなどと思ったのかと。


「ほら、夜遅くに歌の練習してたら近所迷惑じゃない。それでここでしてるんだよ」

「そうか。俺が言うのもなんだが、夜の一人歩きは危険だろう。ひょっとしたらチュパカブラにでも襲われるかもしれんぞ?」

「…………ふふ、はははは!」


 そんなユリウスの一言でイリスはお腹を抱えながら笑い出したのだった。

 まぁ確かにチュパカブラなどというのは未確認生物。俗に言うUMAだ。そんな真実味が薄いものが襲ってくるとは中々に信じがたかった。


「そう笑うなよ。こちらは心配してものを言っているのだぞ」

「ふふ、うん。分かるけどさ。ちょっとそれは突拍子が無さ過ぎない?」

「いや、あながちそうでもないさ。最近巷では吸血鬼の仕業とかどうとかで、家畜や人間が襲われているらしいぞ」


 ユリウスの目は真剣だった。だからなのだろうか、イリスの瞳にも多少なりとも不安の色が広がった。


「ふ、ふ~ん。そう、なんだ。私、まだこっちに越して来たばっかりだから知らなかったよ」


 そして何かの気配を感じたのは二人同時だった。

 視線がどこからか注がれていると思えた。月の光りが雲のせいで翳りを帯びていた。今はまさに夜にふさわしい暗さを醸し出している。全身が総毛立ち、冷や汗が流れた。

 イリスと視線を交わして、二人の距離を縮めた。


「…………」


 無言が支配した。とてもじゃないが今までの雰囲気を維持することなど出来ない。恐怖が互いの心を満たしているのだ。

 周囲に神経を張り巡らせ、見えない何かを視ようと試みた。すると、この闇の中で二つの赤い光りが映った。楕円のような形をしたそれは──徐々に大きくなっているように思えた。

 何故大きくなるのか、結びつけて理解しようと思った。

 点が円になる。距離が違うからであり、位置によって異なるわけだ。さらに赤の楕円は上下に高速で動きながら、大きくなっているように見えた。

 そして理解したのだった。理解したくないのに、これは今言ったばかりの未確認生物ではないのか、と。

 冗談、そう思うのだが、ここにある事実を受け止めないといけない。それはユリウスがイリスを守らなければならないから。

 イリスの表情が強張っている。信じたくないのだろう、こんな出来事起こりうるはずがないと思っていたのだから。だが、現実ここに居る。

 丑三つ時、妖かしが跋扈する時間帯。この異形も同じなのだろうか、そんなことさえユリウスは考えたが、それはただの現実逃避でしかなかった。


 ────「     !」──── 


 音にならない音を聞いたのは初めてだった。超音波というやつだろうか、分からない。それでもこれは襲い掛かる意味だと本能的に悟ったのだ。

 百八十センチを超えるユリウスの背には届かないが、ほぼ同じ体格の異形はイリスに向かい口を広げながら跳躍した。


「きゃぁああああ!」


 悲鳴。

 同時に動き出す身体はユリウス。今出来ることはただイリスの盾になることだった。

 庇うようにイリスを抱いた。すると肩口に何かが突き刺さるのを感じた。それは初めての経験だった。異物の進入、皮膚を容易に貫き筋肉を無視しながら奥へと入ってくる。


「ひぐぃ……」


 短い声がユリウスから発された。

 それだけで済んだのは僥倖と言えた。そして内側から何かを吸われている感覚がする。痛みなんて既に通り越した。もう、なりふり構っていられなかった。

 全身に力を入れて、背中から大地に向かって勢いよく倒れた。すると脳が揺れて意識を失いそうだった。きっと血も足りていない。吸われてしまったから。もう何も感じない。

 だが、救いが訪れたのは間違いなかった。

 月の光りが戻ってきたのと同時に、異形は再び奇声を発しながらこの場を去っていったから。


「イリス…………無事、か?」


 そしてなんともか細い自分の声に愕然としながら、声を出すことが出来た。


「うん、私は……」


 イリスの心は何が何だか理解できていなかった。急に飛び出してきた異形の影響だと思われる。安否の確認はむしろ自分ではなくユリウスにするべきことだろう。なのに、何も浮かばない。 

 恐怖がある。この場をすぐに逃げ出したい。


「逃げろ……」


 ユリウスが辛そうな表情で告げた。

 だがそのおかげで自分の中の愚かな考えを否定してくれた。ユリウスを放って逃げるなんて出来るわけがない。このままではきっと死んでしまう。だから、恐怖を捨ててユリウスを頑張って背負おう。そしてこの場から一緒に逃げようと思ったのだった。


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