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────赤と黒、そして月虹────

 歩みを進めながら辺りを見渡せば、二十メートルを超える様々な白い人形が炎に包まれている。まるで何かの儀式か宗教を思わせるが、この地ではそれが伝統なのだ。そんな光景を眺めながら、くだらないと心の中で思っている青年がいた。


「春の訪れか……俺には関係ないな」


 赤く炎で照らされた石畳を歩きながら、彼は海岸の方へと向かっていた。

 他人といると面倒で、誰かが自分に声をかけてくるのが嫌だった。もう関係なんて持ちたくなくて、信じることが怖い。裏切られるのが辛い。昔を思い出しそうだったのだ。

 そして町の炎の灯りが消えだす頃、時刻は午前一時を回っていた。


「ふん、ファジャもようやく終わりか。バレンシアの火祭りも、生まれて二十年間も見ていれば飽きるというものだ……」


 石畳と違い脚に触れる砂の感触は柔らかく、それでいてどこか優しい。天を仰げば蟹座、獅子座、乙女座、春の星座が輝いていた。

 周りには誰もいない。この砂浜はただ自分だけの世界だと思えた。静かに時が流れている。波の音も耳に優しい。だが、他に何かが混ざっていないだろうか。近くではない。それでも確かに耳に残るもの。声、だろうか。旋律のように思えた。


 ────こんな時間に一体誰が。


 音色に導かれるように身体が勝手に動き出したのだ。一心不乱だったのかもしれない。もう記憶すら曖昧で、その出会いは暗い闇のなか一筋の薄い光りに満ちていた。

 全てが止まった。血の巡りすらその美しさに奪われていたのかもしれない。息も出来ず思考は目の前の一点。白のワンピースを着て、背中の中ほどまである黒い髪を左の肩口で束ねている彼女の姿に囚われた。

 彼女は目を閉じ、夜の世界と溶け合うように歌を奏でていた。

 耳が幸せだった────

 この歌を永遠に聴いていたい。そう思う。この出会いは何故起こったのかは分からない。それでも大切にしようと思えた。他人と関係なんて持ちたくないと思ったのに、彼女だけは別だった。もっと知りたい、そう心が告げたのだ。

 区切りがついたのだろう、歌を止めてこちらの視線と交差した。

 無言、まずはそうだ。互いに知り合いではない。しかもこのような深夜に、こんな場所にいることが非常識と言えた。彼女に恐怖が生まれたのかもしれないと考えた。


「あ……なんだ、あんた歌が上手いんだな」


 青年はなんだかよく分からなかったが、先ほどまで感じていたことを実直に伝えた。


「あ、ありがとう……」


 怪訝な表情だったが言葉を返してくれた。

 歌のときも感じたことだが、声の旋律は今まで出会ってきた人間とは比べ物にならないほど滑らかで、優しい。ありがとうの一言でさえ美しかった。


「俺は、ユリウス・ランドールだ。…………その、あんたの歌に釣られたと言うか……」

「そう……なの、私はイリス・デル・ソル。────本当に私の歌がよかったの?」

「あぁ、俺は嘘を言わない」


 むしろ嘘は言えない。自分に掛けた呪いのような誓いだった。嘘は酷く滑稽で、他人を傷つける。だから言いたくない。言わないと決めたのだ。


「…………、そっか。ユリウスだっけ。君、良い人なんだね」


 良い人……そう言われることは出来ない。自分はただの裏切り者。


「そんなことはない。あんた、いやイリスにとっての事実を口にしただけだ」

「ふ~ん、おかしな人。何でユリウスはこんなところへ?」

「まぁ、理由をつけるとしたら、誰にも会いたくなかったからというのが正しいか。もっともイリスに会ったわけだがな」

「そっか、なんか訳ありなのかな」

「……多少はな。だがイリスに会えてよかった。こんな気持ちにしてくれたのはあんただけだな」


 心が喜びに満ちている。もうこんな気持ちを思い出すことは無いのだと思っていたのに。


「ふふ、私の歌がそんなに君の心に響くなんて思わなかった。私正直、自分に自信が無かったからさ」

「そうか、なら自信を持つといい。俺が認めよう」


 その言葉にイリスはこの人は何様なんだろう、そう思った。でも漠然と悪い人ではないのだろうとも思えた。少なくとも自分を認めてくれる人なのだから。


「そろそろ私は帰ろうと思うけど、君はどうするの」

「そうだな、俺も帰宅するとしよう」


 時計を見れば午前三時だったのだ。気づかぬだけで一時間以上イリスの歌に聞きいっていた。

 時を忘れるほどの歌唱力。

 それがユリウスとイリスのハジマリの福音だった。





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