ヘンレイ
2日後、日勤のために出勤すると、職場の雰囲気がガラリと変わっていた。
「南原さん、後で警察が話を聞きに来るそうです」
今日の相棒は、東野だ。休憩室で着替え始めた俺の近くのソファーで、ゴロリとだらしなく横になっている。スマホから顔を上げもせず、天気の話でもするかのように話しかけてきた。
「警察――何で?」
「あれっ。ニュース見てないんですか?」
間もなく夜勤を終える田中が、窓口から会話に混ざってきた。
「何の……話だよ」
「ええ? 知らないんですか? 大西主任、亡くなったんですよ」
上着に手を通したまま、固まった。田中は、俺が知らなかったことに驚いていたが、こっちはあまりのことに声が出ない。
悪い冗談であれば、と念じつつ同僚達の様子を伺うも、彼らの妙に他人事めいた様子は、反って真実味を帯びていた。
「……まさか」
カラカラに渇いた喉の奥から、ようやく一言だけ絞り出す。
「昨日の始発電車に撥ねられて、即死だったそうです。自殺か事故らしいんですけど、一応関わりのあった人達に話を聞いてるんだとかで」
東野は、無表情でスマホを眺めたまま、淡々と説明を加えた。
「そんな――自殺、なんかする人じゃないだろ、主任は」
「ですよねぇ」
田中は明るい声で呑気に答えると、通勤してきた人達に、ごく普通に挨拶している。コイツといい、東野といい、全く動じていないのは、ニュースを知ったタイミングの違いなのか?
たった今聞かされたばかりの俺は――振り払おうとしても一昨日のことが頭に浮かんで離れない。大西主任を見舞った不幸は、俺が壺に馬鹿なことを言ってしまったせいではないのか――それこそ馬鹿な考えだと思うのに、ザワザワと落ち着いていられなかった。
しかし田中は、交代時間になると、笑顔で鼻歌なぞ口ずさみながら帰って行った。東野も、特段変わることなく冷静なまま巡回に消え――動揺の収まらない俺だけが独り、窓口の番に残された。
10時を回った頃、グレーの背広姿の刑事と、制服姿の若い警官が連れ立って現れた。
彼らは、職場内の人間関係や、当日の大西主任の様子なんかを、一通り形式的に訊いて帰った。主任の最期は、駅のホームカメラに映っており、他殺の可能性が皆無だったことから、事務的な聴取で終わったようだった。
ー*ー*ー*ー
それから1週間程が過ぎた。保管期限切れの遺失物を引き取りに、リサイクル業者が来た。金銭的価値の有無に関わらず、引き渡す決まりなのだ。
「巾着袋とポイントカード、それと壺ですね」
リサイクル業者の青年は、休憩室のテーブルの上で、処分品を確認しながら書類に書き込んでいく。
「軽いですね。中に何か入ってますか?」
青年は、壺を持ち上げて揺すってみたが、何も音はしない。
「いや、空です」
今朝、引き渡しのために、段ボールの底から取り出した壺は、すっかり軽くなっていた。
憎しみを吐露したあの夜は、間違いなく重かったのに。
俺は、確信していた。
俺達は全員、利用されたのだ。夜毎、引き出された悪意が、十分力を発揮出来るくらい重くなるまで。
歪んだ願望を叶えた振りをして、壺は目的を果たし――なに食わぬ顔をして、再び軽くなったに違いない。
「蓋は……開きませんねぇ」
「時々、開かなくなるんです」
背中に冷や汗を感じながら、淡々と対応する。
「じゃ、ここにサインを――はい、毎度どうもでーす」
引き取り用の段ボールに入れると、青年は業者のトラックの荷台に積んで走り去った。ようやく、俺は安堵した。
けれども、安堵できたのは一時のことだった。
その夜――あのリサイクル業者のトラックが、走行中に炎上して、信号機に激突したと報じられた。運転手の青年は怪我だけで済んだものの、トラックは荷台を中心に激しく燃え、跡形もなかったそうだ。
あの壺は、どうなったのだろう。焼失したのだろうか。それとも――。
その行方は、杳として知れない。
【了】
拙作をご高覧いただき、ありがとうございます。
ある日、遺失物として届けられた壺。
主人公・南原は、何気なく蓋を開けてしまったことで、壺の封印を解いてしまいます。
程なく、南原達の職場に変化が現れます。
悪意の矛先となる大西は、元々多少粗暴でしたが、ルールは守る人物でした。しかし、徐々に我が儘になり、手が付けられないほど横暴になっていきます。
同時に、憎しみや怒り、恨み、憤り、殺意――様々な悪意が大西に向かい始めます。
これらの悪意は、夜毎壺の中に吐き出されていきます。そうして、壺は、少しずつ少しずつ重くなって……。やがて、必要量を超えた悪意は――。
南原達の職場には、平穏な日常が戻ります。しかし――それは壺自身が目的を果たした「返礼」でもありました。
いずこから現れ、いずこへと消えた壺。
悪意を生む素地に潜り込み、人間関係のバランスを崩し、スケープゴートを作り出した、壺。
南原達に取って、壺は不要の存在になりましたが、壺に取っても、彼らはもう不要の存在だったのですね。
壺は、入れ物です。
中に、何を入れるのか、何が入り込むのか。潜んでいるのか。
そして固い蓋は、封印であり警告です。安易に開けてはならなかったのです。
あとがきまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
また、他のお話でご縁がありましたら、よろしくお願いします。
砂たこ 拝