魔王と魔族の国
空気が重い、これからどうすれば良いか分からない。そう思っているのは私だけです。
一方、レオナールは私の隣で本を読んでいます。何を読んでいるのか気になりますが、その様な事を聞ける気分ではありません。彼は完全に私の出方を待っているのでしょう。
なんとも云えない時間が少しの間過ぎていきます。私といえば何も答えは出ませんでした。その時、
コンコンと、扉をノックする音だけが部屋に響きました。
「ソフィアです。入っても宜しいでしょうか?」
「えぇ、構いませんよ。どうぞ入って下さい」
「失礼します」
そんなやり取りと共に部屋に入ってきた人物は、私の王国の城に勤める使用人とはまた違ったデザインの給仕服を着た少女でした。
背の丈は私より頭一つ分くらい高いでしょう。私は一目見た時思わず二度見してしまいました。スラリと長い手足、整ってはいるが無表情な顔、栗色の髪をきっちりと纏めている彼女は何処か精巧に作られたお人形のようでした。
「魔王様此処におられましたか。仕事にお戻り下さい、貴方が居ないと他の方にご迷惑がかかります」
「私の仕事は済ませた筈だよ?」
「火急の用が無いとは限りません」
「⋯⋯⋯⋯そうですね」
「貴方はこの国で魔王という地位に有るのですから、それに見合った行動を取って貰わないと困ります」
私は完全に置いてけぼりであった。なんだか一人蚊帳の外の様で少し寂しいです。
「あっ、あの!」
「はい、なんでしょう?」
どうしても会話に混ざりたくて私から質問する事にしました。
「先程から言われている、『魔王』だとか、『国』と言うのはなんでしょう?」
この質問をした事に対して、私は直ぐに後悔する事になります。
「おや、その説明はしていませんでしたか?」
「はい⋯⋯」
「まず、此処は貴方に分かりやすく言えば魔物の国、名をミナスと云います。そして私がその国を治めています。其処に住む魔物、とは少し違うのですが彼らを纏める王として勤めている為、いつからか『魔王』と呼ばれています」
彼は「皆がそう呼ぶので、私も甘んじてそう名乗っているだけなのですけどね」と言うとニッコリと笑った。
「んなっ⋯⋯なん⋯⋯⋯⋯」
対して私は声も出ませんでした。魔王と云えばそれはもう有名な存在である。王国の歴史では、魔王を名乗る存在が大昔の姫を殺したという事件が有り、その他の国々でも時たま姿を現しては国を巻き込んだ大事件を起こしています。
各地に魔物は存在しているが、其れ等全てを統括し、世界から人間を滅ぼそうとしている、などという噂まで存在している程です。此処何十年その姿を見た人間は居らず、歴史上の事件は各国がでっち上げた物として伝説上の存在となっていた為私も御伽噺の中の登場人物だと思っていましたが、まさか本当に存在しているとは思いませんでした。
そして目の前に平然と私に微笑み掛ける彼、レオナールが本当に歴史上の事件全てに関わっているのかは解りませんが、『魔王』を名乗っている以上、それに匹敵する強さを持っているのでしょう。とても恐ろしい存在です。
「ところで魔王様、この娘はどちら様ですか?」
「ん、そうだったね。紹介するよ、彼女はミチェル。私がヘーリオス王国から拐ってきたかの国の姫だよ」
「⋯⋯⋯⋯何故その様な事を」
「あの方の指示さ」
使用人の少女は無表情のままこめかみを押さえその心労を表現するという器用な事をすると、小さな溜息をしました。
「分かるよ君の懸念は⋯⋯」
「分かっていただけますか、私は貴方様とあの方のする事に異を唱える事はしません。ただ、報告はして下さい。一日の予定が狂います。」
「そ、そうですか」
レオナールはイマイチ理解してもらえなかった事を察したのか苦笑しました。
「それでは早くこの部屋から出て行って下さい」
「どうしてだい?」
「誰かが使う用に整備された部屋ではありませんので、今からミチェル様の為に整えさせていただきます」
「相変わらず几帳面ですねぇ、分かりました任せてますよ。ではミチェルさん少し出かける事としましょう、我々の国、ミナスの街を案内します」
「⋯⋯はっ、ハイ!⋯⋯⋯⋯あっ!」
「どうしました?」
私そう言えば昨晩拐われてから寝巻きのままでした。
魔物の国、その中心である街に下りました。私が今着ている服はレオナールから貰った物です。彼は始め、「流行りの服は嫌いですか?」と一着の綺麗なドレスを出して来ましたが、あまりに扇情的すぎて私は顔を赤くして好みでは無いことを伝えると、今度は白いブラウスと赤色のスカートを出して来た為それを貰うことにしました。シンプルな服ですが、決して質素ではなく、動きやすいため、ドレスなんかよりはよっぽど好きです。
因みに髪ですが、それも彼が結いました。しかも割と髪を結うのが上手かったのです。何故魔王である彼が?と思いましたが、それは預かり知らぬ事、ただガチガチに固まってされるがままでした。
「わぁ!」
「どうです?私達の街は」
其処は綺麗な煉瓦造りの街並み、白を基調として統一された建物は太陽の光を反射して街全体が明るく輝いていました。
「意外です⋯⋯⋯⋯」
私が魔物の国と聞いてイメージしていたのは、荒れ果てた土地に瘴気が渦巻き、身の毛もよだつ様な魔物が跋扈している所でした。こんなにも綺麗な街を見た後には余りに失礼すぎて言えませんが。
「まさか、魔物の国と聞いて、荒れ果てた土地に瘴気が渦巻き、身の毛もよだつ様な魔物が跋扈している所を想像していましたか?」
「あぅ」
まるで心の中を覗いたのかという程、正確なレオナールの言葉に私は図星をつかれました。
「我々だって生き物ですよ。そんな所に住みたいとは思わないでしょう?」
「す、すいません」
「知らないものは憶測しかできませんからね、認識を改めていただけたのであれば構いませんよ」
「教訓ですね」
「その通りです」
そのまま私とレオナールは無言で歩みを進めました。私は『魔物』というものを初めて見ましたが、大きな通りを行く人々?は皆魔物ですが私が想像していたよりも人間にそっくりでかなりの知性を感じられました。
「魔物というのは私が思っていたよりも人間に近いのですね」
「えぇ、正確に云えば我々は魔物ではありません。理性を持ち共に暮らす為のルールを守る彼らは、自らを『魔族』と呼びます」
「魔族⋯⋯」
初めて聞く単語であった。
「魔物とは何が違うのですか?」
「⋯⋯⋯⋯人間で云う国に属する国民と、そうで無い野盗ぐらいの違いという認識で構いません」
「あぁ⋯⋯」
レオナールの的を射た例えに私は思わず納得してしまいました。
「あっ、あの!」
突然声の掛けられた方へ振り返ると、そこには歳若い数名の女性がいました。彼女達もいわゆる『魔族』なのでしょう。人間に近い姿の者からそうで無い者まで多様な見た目をしていました。
「貴方はもしや魔王様ですか?」
「えぇ、この国を治めさせていただいております。レオナールと申します」
一人の女性の問いにレオナールが答えると、その女性と共にいた女性達は一斉に「きゃー」と黄色い歓声を上げました。
「あのっ、レオナール様はどうして街に?」
「彼女に我々の国を見せようと思いまして」
レオナールが彼女達に私を軽く紹介すると、彼女達は「ヘェー」と余り興味無さそうに私を横目で見やりました。失礼ですねぇ。
「そうです!貴女達今お時間は空いていますか?」
「えっ、えぇ」
「それなら今からお茶しませんか?ホラ、ミチェルさんも一緒に」
「え?」
「ハイ!良いですね、行きましょう!」
女性達は自国の王からの突然のお茶の誘いに少し戸惑いつつも、その誘いに乗る気満々である。イヤイヤ、待って下さい。私の意見は訊いてくれないのですか。
レオナールは女性達と共に談笑しながら進んで行きます。付いていくしか無いのですね。『魔族』だらけの土地で迷子になるなんて恐ろしい体験はしたくありません。
私は仕方なく付いて行く事にしました。レオナールを見遣るとにこやかに微笑んでいます。仕方が無いですね、あの様な美形で笑顔を見せられたら大抵の女性は堕ちるでしょう。魔王だって知らなかったらの話ですが。
私はどうなるのでしょうか?この国に拐われてきて彼は一体私や私の国をどうするつもりなのでしょうか?そんな事を考えながら、レオナールの背中を見つめます。
彼の手は、隣を歩く女性のお尻に向かって⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
「このスケベ魔王!」
私はレオナールのコートを後ろから引っ張り彼を女性達から引き剥がしました。
チカン、ダメ!ゼッタイ!ᕦ(ò_óˇ)ᕤ