この世界について知ろう(1/2)
「はー、疲れたぁ。やっと休める~。」
案内された家の寝室で,言葉を吐き出す。用意された家は想像以上に広く,一つ一つの部屋を確認するうちにすっかり日が落ちていた。
「まさかこんなことになるなんて思わなかったな。……結局、亜竜人族っていうのはよくわかんないけど。」
まだ実感がわかない。というか,少し浮かれていたらしい。よくよく考えてみたら竜というもの自体よく分かってるわけじゃない。元の世界にはいなかったし。
「図書館とかないかな。村の中まだ回り切れてないし、探す時間あればいいんだけど。」
──あるいは資料室とか?
集会所にたくさん書類があったから、保管する場所があるかもしれない。
「仕事かー……。」
仕事をもらって,住む場所をもらって。自分に名前もつけた。一日にこんなに多くのことがあったのは初めてかもしれない。
「ちゃんとできるかなぁ。生活のためにも、頑張らないと。」
当分の生活費は先に用立ててもらったけど,決して余裕があるとは言えそうにない。それに半年間は仮居住者という立場だから,真面目に働く必要がありそうだ。そんな事情の有る無しに関わらず,真面目に働くべきだろうけど。
そんなことを言っているうちに眠くなってきた。渡された服に着替えて,ベッドに横になる。ちなみに尾の関係で合う服がなく,ひとまずぶかぶかの寝間着をもらった。
明かりを消して,目を閉じる。そうして,ようやく長い一日が終わったのだ。
次の日の朝。
「ん……。もう朝……?」
──えーっと……?
ぼんやりとした頭で,考える。何かやることがあったはずだ。
「……あ!仕事!」
そうだ,仕事だ。急がないと。慌ててベッドから降りようとして,ぶかぶかの寝間着を踏んづけて布団もろとも落っこちる。
「……痛い……。」
不幸中の幸いか,それで眠気は飛んだ。
それから数日間,私は仕事に明け暮れた。
一番には,早く仕事に慣れるために。
次に,村に馴染むために。
仕事内容は到着日にルーファさんに言われたとおりだった。
例えば──
「窓は隅まで丁寧に。床は……まあ適当でいいわ。どうせすぐ汚れる。」
「私にはいつも床も完璧にしろっていうくせにずるいですよー。」
「あなたは自室の整理が先。そろそろ床が抜けそう。」
「そっちも手伝いましょうか?」
「いえ、遠慮します……。ワンドさんはこっちを頑張ってください。」
掃除。
「嬢ちゃん、ちょっといいかい?」
「何でしょう?」
「これとこれなんだが、報酬金逆じゃねえのか?場所的にも数的にもこっちの方が難しいと思うんだが。」
「えーと……。ああ、こっちは普通の討伐依頼ですけど、もう片方は繁殖期で気が立っている分、難易度が引き上げられてるんですよ。ほら、このマークが目印です。」
「お、いいね。ちゃんと勉強してるらしいな。おい、おまえも何か言ってやったらどうだ、ウォード!」
「ええ、どうやら無事居場所も得られたようで何よりです。また会いましたね、お嬢さん。」
「あ、ひ……入り口であった冒険者さん!」
「ウォードといいます、以後お見知りおきを。こちらの依頼、引き受けてもよろしいですか?」
「はい、助かります!」
滞在者用の依頼管理。
「これは……少しきついですね。」
「これ以上となると穴が広がってすぐに駄目になってしまって……。」
「より伸縮性に優れた素材の使用を提案します。すぐに採取依頼を出しましょう。」
「そりゃ構わんが、お前このためだけに同行しただろ。」
「ご安心を、双方同意の下です。」
「あらゆる種族に最適な服を作るのが私の夢ですから!」
……住人のサポート?として村の服屋で亜竜人族用の服の試作品の試着もした。
そうやって日々仕事をこなす傍ら,勉強にも励んだ。主に,こちらの言語についてだ。
当たり前と言えば当たり前だけど,ここの言語は元の世界とは異なる。にもかかわらず私は日本語でコミュニケーションをとり,また日本語としてこの世界の言語を聞いている。
どういう原理かといえば,私の唯一の固有魔法によるものだ。一言で言えば翻訳魔法。その効果で私が話をしたい相手が最も理解できる言語で言葉を伝えることができ,同様に相手の言葉を私が最も理解できる言葉……要は日本語に変換している。文字を読むのも可能だ。
今,私は聞く分にはどの言葉も日本語に変換できるようにしている。でも話すときは「この人!」と決めた相手にだけ伝わるようにしている。それで周りにも伝われば儲けものだし,実際今のところ問題は起きていない。どうやら公用語はあるらしい。
──例えばの話だけど。これを元の世界で使って,大勢にスピーチをしたとする。
「こんにちは」というだけで,場合によってはパニックになるだろう。ある人には「Hello」と聞こえ,またある人には「你好」と聞こえるかもしれない。複雑なことを話せば,とんでもない誤訳だって起きるかもしれない。
当然,今はそんなことをする予定はない。でも,だからといって絶対にそんなことにはならないと言いきることはできない。だから覚えて損はないので,密かに学習している。
そんな,ある日のこと。
「資料の整理……ですか?」
「ああ。保管期間が終了したものは廃棄。新たに増えた書類を分別して保管する。資料室の案内も兼ねてな。」
ケピトさんの言葉に顔がほころぶ。
──待ってました。
調べたいものが色々ある。とりわけ,自分の種族については知っておきたい。資料室というのだから,そういうものはあるはずだ。
「今日はアリスが掃除と午後到着予定の観測所の奴らの応対準備。俺はこの間と同様、滞在者登録の更新申請の受付がある。」
……雲行きが怪しくなってきた。
「心苦しいが……ルーファと二人で作業してくれ。」
ですよね。
「よろしく。」
「……よろしくお願いします。」
正直,彼女のことはあまり好きじゃない。初日のようなことを,隙あらばしようとしてくる。セクハラというやつだ。それでも仕事をやめるわけにはいかないので,一緒に作業をするときは常に警戒している。……苦手って言ってもいいぐらいだ。
「仕事には慣れましたか?」
保存期間の過ぎた書類の処理が終わり,追加分に移ろうとしたとき,唐突にルーファさんが口を開いた。
「まあ、ある程度は。」
「それは結構。ところで、その書類はそちらではありませんよ。」
「え。」
振り向きもせずに言われてもどれかわからない。必死に探す……ふりをする。
──また触ってくるんでしょ?そう何度も同じ手に乗るもんですか。
密かに近づいてくる気配を感じながら探す。
──距離を一気に詰めてきた,今だ!
素早く振り向いて尾に伸ばされた手を──
掴めなかった。
「やはり、警戒していましたか。」
「え……。」
彼女の手は尾があった場所ではなく,私の頬に当てられていた。
「わずかですが肌の張り、つや共に低下が見られます。……夜更かしの影響ですね?」
確かに,言語の勉強は夜遅くまで行っている。
「どうしてそれを……。」
「見回り用に支給したランプの減りがやけに早いと思いまして。調べてみるとベッドの下にこんなものが。」
色々と突っ込みたい点はあるけど,とりあえず彼女が取り出したのは文字の勉強用に購入した短編小説だ。
「返してください!」
手を伸ばしたがわずかに届かない。転生前より縮んだ背丈が恨めしい。
「裏表紙には同じ文字がびっしりと。子供向けの練習方法の様です。……文字が書けないのですね?」
「あ……。」
言い訳のしようもない。諦めよう。
「なるほど、翻訳魔法を固有で。それで会話と読みは成立していたと。」
「黙っていてごめんなさい。どうしても、隠しておきたくて。」
「謝ることはありません。ただ、それを隠すために勉強のやり過ぎはよくないと言っているのです。」
「仰るとおりです……。」
「ああ、それと。これは教材としては不適切です。難解な言葉や文法が多い。こちらの方が、初心者には有用です。」
そう言って本棚から古そうな本を手渡される。……なるほど,確かに読みやすそうだ。
「あの……あなたって結局何なんですか?」
不意に尋ねてみると首をかしげられた。
「何なんでしょう?考えたこともありません。」
「……質問を変えます。あなたの仕事って何なんですか?」
「いえ、ですから。私がここで何をしているのか、という問いに適切に答えるのは困難です。ほかの二人のような担当もありませんから。」
「担当、ですか?」
「はい。ケピトは滞在者関連の仕事を、アリスは居住者関連の仕事を担当しています。そういえば、話す機会がありませんでしたね。」
だからあの日もケピトさん一人で対応していたのか。
「で、ルーファさんにはそんな担当がない、と。」
「ええ。ですから私はあなたとさほど立場は変わりません。基本的には雑務、ということですね。」
「……退屈じゃないですか?」
「それだけ他のことに時間を使えた、ということでもあります。それにヘルプはこなせますし、言うほど退屈ではありませんよ。」
「そう、ですか。」
質問の答えにはなっているようでなっていない気がするが,気にしないことにした。