鳥捕り網
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おや、この時期に虫取り網を持った子を見かけるなんて意外だねえ。
こーちゃんは、虫取り網を使った経験はあるかい? 私たちの小さい頃は「捕虫網」と呼ぶことが多かったんだけどね。
アナログな手段ではあるけど、虫を生きたまま捕まえるには、今でも有効とされる手段さ。薬とかを使うならもっと手軽で確実なのだろうけど、後遺症とかが気になるしねえ。今はまだはっきりしていないだけで、捕まった虫は副作用なり後遺症なりで、苦しみ続けているかもしれない。だが、結果とか効率を求める人の心は、時に平気でそれらの懸念をねじ伏せる。
いや、あの子たちの姿を見ていると、思い出すねえ。私も虫を集めていた時を。そしてひょっとすると、大変なことに関わっていたかもしれなかった可能性を。
今となっては懐かしい思い出の一部だ。どうだい、その時の話を聞いてみないかい?
私たちの地元では、捕虫網を打っている店はあったものの、少しく高かった。あまり安物を買うと、柄が短くておもちゃのよう。もっといいものはないかと考えていた折、私は友人のひとりが網を新調したことに気がついた。
いかにも高級感が漂う銀色の金属の柄。ススキの穂を思わせる、気持ち茶色がかった白い網。青や緑といった子供っぽい色が私たちの間で主流だったこともあり、その渋い色合いがかえって目を引いたんだ。
私を含めた何人かが、どこでそれを買ったのか尋ねる。すると彼はどこそこの公園で購入したと告げてきた。ここからさほど遠くない、学区内にある公園だ。
「自転車でやってくるおじさんなんだ。いつも会えるかどうかは分からない。そして売ってくれるのは、自分で組み立てるタイプのもの。そのおかげか値段は安いし、手間を惜しまないならいいんじゃない?」
話を聞いた私たちは、各々の都合がつく時にその公園へ足を向けた。
私が網売りのおじさんに出会ったのは、話を聞いてから10日後のことだ。その時点ですでにかの網を手にしている子が何人かいたし、心なしか虫の捕り具合も順調の気がする。後れを取るまいと、これまで以上に長い時間、公園で張っていた成果が出たんだ。
麦わら帽子をかぶって自転車にまたがったその男性は、前と後ろの大きい自転車籠の中に、大きめのビニール袋をいくつか入れている。どうやらひとセットごとに包装しているようだ。
私はさっそく、近づいていく。セットの値段を聞くと、確かに相場よりかなり安い。ためらいなく購入した私だが、その際に男性は妙なことを告げてくる。
「袋の中には、捕虫網のグッズ以外に絵を入れておいた。有り体にいえば、指名手配犯ってところか。それを捕まえたらぜひストックして私の下まで持ってきてほしい。お菓子と交換してあげよう」
まあ減るもんじゃないし、と二つ返事で了承した私。早速家に帰って、道具一式を広げてみる。
中身は柄、針金、形を整えたネット。そして動物の絵。
柄は、すでに購入したみんなと同じ金属製。針金の突起部分としっかり噛みあうよう、先端の両側に穴が設けられている。針金そのものは、よく見ると上下に小さく口を開いた「チャック」の仕組みつき。このすき間に網を入れて挟むらしい。
パチンと音を立ててはさまった網は、力強いスイングにも十分耐えてくれた。後は実践あるのみだけど、ここでようやく私は虫の絵をつぶさに見つめてみたんだ。
おそらく油絵具を用いたその絵は、どぎつい赤色をバックにし、緑色を用いて輪郭が描かれている。だが描かれた絵は虫というより、むしろ鳥といったいで立ちで、私は首を傾げてしまう。
三角形を作る配置で、三種類のアングルから見た姿を描かれたその鳥の第一印象は、インコだった。正面から見た顔を上の頂点に、左の頂点部分には枝に止まっているのを横から見た姿。右の頂点部分には、斜め下から見た羽ばたく様子が描かれている。
――もしこれが本物だとしたら、虫取り網じゃなくて「鳥捕り網」だよなあ。
そんなことをぼんやり考えてしまう私。すでに陽は暮れており、でき上がった網は部屋の隅へ立てかけておいたんだ。
翌日に学校へ行った私は、すでに網を購入した友達に尋ねてみる。買った道具一式に、絵がついていなかったかと。
案の定、全員が「指名手配」の紙を受け取っていた。そのうちの何人かは学校に紙を持ってきていて、中身を見せてくれる。これもまた、私が手に入れたものと同じ、3つの角度から見た標的の姿が油絵具で描かれていた。
私のように鳥のこともあれば、バッタやカマキリと思しき見慣れた動物の姿。中にはサルやシカ、ついにはクマのような生き物まで描かれていた。後半に出てきたものは網で捉えるどころか、この近辺にいるような獣じゃなかった。
おかげで、大半の子がこの絵のことを単なる冗談だと考えていたよ。一ヵ月あまりが経っても、まだそれぞれの標的を捕まえた子はいなかった
それから夏の暑い盛りにさしかかることもあり、私たちはかの虫取り網を手に、外へ繰り出していた。
何回も使ううちに、私はこの網そのものに細工がほどこされているのでは、と感じ始めた。
この網は、飛び込んだ虫たちの抵抗を封じる。人が触っても大したことはないが、虫たちは網に触れた先から目に見えて動きが鈍り、おとなしくなってしまうんだ。まるでクモの巣のよう。
虫取りのはかどり具合に気を良くしていた私は、しばらく同梱していた絵の鳥のことは忘れてしまっていたよ。けれどある休日の午前中、いつもにも増した大漁で、いっぱいになった虫かごの中身を、ひとまず家へ持って帰ろうとした時だ。
口を上に向けて肩にかついでいた網の中に、何かが落ちてきた。ちょうど大きい木のそばを通っていたこともあり、最初は木の実でも受けたのかと思ったんだ。
だが網をのぞくと、そこにはくちばしを網の底から突き出しつつ、頭から突っ込んだ小鳥の姿があったんだ。
サイズ、体色はメジロと同じくらいだが、その腹や羽に至るまで緑一色となると、ちょっと気味が悪かった。網全体に占める大きさの割合は、さほどでもない。それでも私がいつも相手している虫よりは巨大で、身体中をばたつかせて、必死に網から抜け出ようとしているように見えた。
たまたまこちらを向いた顔。それが、あの絵の鳥に似ているような気がする。この時の私は記憶が薄れていたこともあり、確信が持てなかった。すぐに網を買った公園へ向かっていればまた違ったかもしれないが、家へ戻ってもらった絵を今一度確かめようとしてしまったんだ。
ピーチクパーチク騒ぐ鳥を、家の中へあげるのははばかられる。私は庭の軒先に網を置き、籠を外した後で例の紙を確認。あの鳥に相違ないことを見たが、庭へ戻ると事態が変わっている。
もう一羽、同じ容姿の鳥が網の中へ飛び込んでいたんだ。確かに網は転がしていて口は開きっぱなしだったから、可能性としてはあり得る。だが、これまで見かけたことがなかった「お尋ね者」が、同じ日に二羽も腕の中へ飛び込んでくるとは、どういう了見なのか。
更に近づいてみると、後から来た方が、先にいた鳥の上に覆いかぶさっている。カエルが異性の相手に行う「抱接」行動にそっくりだ。ひょっとしてこの鳥同士、交尾をしているのか……?
色々と珍しいものが見られたが、とりあえずはあのおじさんに報告しなくては。私は網の口をしっかり閉じ、手で押さえながら駆け出していた。
公園まではここから1キロ近くある。網の中で動き続ける鳥たちの揺れを感じつつ先を急ぐ私だが、背後から私に追いついてきたものがいる。
網の中にいるのと同じ、3羽目の鳥だ。その鳥は網の外側から、くっついている2羽へ近づくと、くちばしで盛んに彼らの身体をつつき始める。
威嚇にしては力が入っている。中の鳥たちの、抗議するかのような悲痛な鳴き声にも構わずつつき回し、効果が薄いと見るや、今度は網の口を握る私の手に取りついてきた。とんとん、という小さな音にもかかわらず、くちばしで叩かれる手の甲には、骨ごと震えるかと思うほどの衝撃が走る。
――こいつ、意地でも中に入り込んで二羽の邪魔をする気だ!
すでに公園までは残りわずか。私は大きく手を揺らして鳥の狙いを逸らしつつ、急いだ。網を捨てればそれでどうにかなる目もあったろうが、必死すぎてこの時は思いつかなかったよ。
網の中は、もう静かになっている。公園に入ると、執拗に追い回してきた鳥が急に遠ざかっていたよ。そして敷地の隅には、あの時と同じ自転車が停まっている。
おじさんもいた。こちらへ気がつくと駆け寄ってきてくれたが、その間に、網の中身がまたうごめき始める気配。私は網へと目を落とす。
二羽の身体を、羽が鱗のようにして急激に包んでいった。腹、胸、足、頭と羽の団子となったのも束の間、その羽ひとつひとつに、斑点と見まごう小さく黒い目が、一斉に開いた。羽たちは、今度は針のような突起を伸ばす。それが彼らのくちばしなんだと察した時には、無数に生じたそれらが、網へと突き立てられた。
これまで多くの虫の自由を奪った網が、無数のくちばしによって瞬く間にぼろぼろに。そのすき間から、無数の羽に変じた鳥たちが綿毛のように散っていく。おじさんがたどり着いた時には、もうあの「両親」の身体の一部すらとどめない、網の残骸が転がっていくばかり。
「――またしても、か。今一歩というところだったのに……!」
忌々しそうに、舌打ちをするおじさん。だがつつかれた私の手を見ると、謝罪とお礼を述べた上で、自転車に積んでいた軟膏も塗ってくれた。
「すまなかったな。一歩間違えば大事になっていた。やはり、自分の尻は自分で拭うよりないか……。君、ここで網を買った子たちと知り合いなら伝えてくれ。もう件の絵の動物を追う必要はない、と。あいつらもきっともう、この辺りには現れない」
言葉の通り、その日を境に、網売りのおじさんが姿を見せることはなかったんだ。