第6話 第2.5者としての対立
部屋の中から眺める狭い街の中で、ひっきりなしに右往左往する鞣し革の群に昨日は気づかなかった。あんなに大量の革を何に使うのかと目で追っていると、それら荷車は皆工場の前に停まり、職人たちの手に渡っていった。この街は革製品の製造で成り立っているのだと今更判った。
「と、なれば」
ケーイチは煙草の煙を首に巻きながら部屋に振り向いた。男女ともに雑魚寝していたはずの姿はどこにもない。彼の乱雑な布団以外は綺麗に畳まれていた。深酒で眠りこけている間にどこかへ外出してしまったとみえる。しかしなんとなく見当はついた。
「工場を覗けばどこかにいるだろう」
招いた人間に自分の仕事を紹介するということは想像に難くない。一行を気に入ったあのルロットなら尚更であろう。そして彼は、革職人を配下に置いて事業を行っているに違いなかった。
浴衣を脱ぎ着替えて、煙草をパイプに持ち替えると扉に手を伸ばした。手が届く前にノックで扉全体が小さく揺れる。シャルの声が聞こえた。
『ケーイチさん、お目覚めですか?』
「あ、はいはい。起きてらっしゃいますよ。どうぞ」
『失礼します』
開かれる扉、ジネットも共にいた。いつ何時も二人は一緒らしい。ケーイチはポカンと口を開けて二人を出迎えた。服が違っていたからだ。普通の人間相手ならなんともない違いであったが、この二人に関しては重大な違いに感じた。昨日知ったばかりの紋章を持たないのがひどく不思議で、鼻先にズームアップしたジネットの顔が、首を傾げる頭に沿って傾くことに気づかなかった。彼女は実に訝しんで眉を顰めていた。淑やかさはなくとも妹と違わず可愛らしい顔は、盆の椀から立つ湯気で幕がかかる。
「また尻尾でも見てんのか?」
「あ、いや別に」
「朝ごはん。フイズが持ってけってさ」
「ありがとさん」
「あ、マット畳まなきゃいけないんだったわ。ジネット、ケーイチさんを食堂へ案内してあげて」
「いいよ、すぐ食い終わるからやっちゃって」
塩気に肉汁が混じる、オートミールとも茶漬けともつかないような朝食は、荒れた胃には優しかった。質素なばかりの食事は数度喉が鳴らされると、ベッドメイキングの終わりと共に椀が置かれた。窓際に座って外を眺めていたジネットは立ち上がると扉へ向かい、流れを察したケーイチは黙って身支度を整えた。彼の腰に提げた拳銃に、ジネットはまたもや眉を顰める。
「そんな物持ってくのかぁ?」
「うん、なんとなく」
「なんだよ、乱暴だな」
この街、というより人々にはやはり警戒心がどこかにあった。ルロットがヤクザであることに間違いはなく、東宝だろうが日活だろうが、あの映画の世界がどこかにあるのだと嗅ぎ取っていた。いつもジャケットに収めているリボルバーだけでは心許なく、ケーイチは無造作にホルスターを取ったのだった。
ケーイチに対しては相変わらず不遜な態度のジネット、しかしシャルは注意することはせず二人を促した。
「ルロットさんの仕事場に案内するように言われてます。ついてきて」
先よりはどことなく翳りのある声でシャルは言った。ケーイチは自身の内なる警戒心を悟られたとも思ったが、それでもホルスターを肩から外すことはしなかった。
通りは人と馬車でごった返し昨日とは比にならず、保革油の臭いで充満している。どこの工場も職人や商人で溢れているが、ルロットの姿はなかった。聞くところによれば、少し離れた工場にハルトたちは案内されたという。2デールも歩くたび立ち止まって、狭い街なのに辿り着くまでに日が暮れそうだった。ケーイチはパイプの煙を薄く吐いて頭を掻いた。
「なかなか着かんね」
「まだ全然歩いてないだろー」
「今日は混んでるみたい。どうしましょう」
「近道探してくるよ。ちょっと待ってて」
二人の視線の先から急にジネットが姿を消した。服だけは残って空気を孕み、緩やかに落ちるとその下から子犬が這い出て雑踏の脚々に紛れていった。ケーイチは面食らって固まり、シャルが黙って服を拾うとようやく事情に気づく。
「犬になるんだったね」
「まだ慣れませんか?」
「そりゃ変化する人とは初めて知り合ったからね。しかしこう頻繁に変化するのかね」
「そうでもないわ、時々」
「でも服が増えて大変だろう」
ここぞという時に変化する、というなら解る。だが犬になってから人の姿になるたびに服が増え続けるのではと、今更気になった。シャルはちょっと笑ってみせて服を腕に掛けた。
「ううん、新しくできた服は何着か残して素材にするんです。だから溜まりすぎることはないの」
「素材に?」
「布地を切り分けてそれぞれ他のものに仕立てるんです。私はよくわからないけど、とても丈夫な繊維でできてるみたい」
「へえ、便利だね」
「便利、ですか?」
「自分の身体から資源が出せるなんて。儲かりそうだけど」
「考えたこともなかったです。ルロットさんも、偶然服に余りが出た時しか素材にしないし」
増え続ける服の素材が丈夫であるのなら、それを素材にして何かを仕立てれば儲かる、実に自然な思考だった。ルロットらが普段から服の生産を命じないのは不思議に思える。職人たちの元締というのなら起きうる大きな出費は材料費、それが幾らか抑えられるという手を、あのヤクザたちは取らないのだ。
「なんでだろうね」
「何がですか?」
「いいや、なんでも」
これ以上問うと、ジネットでなくとも身体の利用を図る悪い人間と看做されそうであったから、適当にボカしてパイプをくわえなおした。ただでさえ要不要判らぬ警戒心を悟られたのは感じていて、それに大元はヤクザだから小さなことでもトラブルの種は避けたかった。
パイプの口元を三度ばかりすぼめたか、ジネットが戻ってくると人間の姿で息を弾ませた。
「あっちにあんまり人がいない近道があるよ。そこから行ってみよう」
「ありがとうジネット。さ、ケーイチさん」
「はい、はい」
ジネットが見つけた近道というものは、家々の隙間を通る細道だった。太陽が当たらずジメついて、ケーイチが通る分には狭すぎたが、彼が文句言う間もなく小柄な二人はどんどん先を進んでいった。歩きにくいことには変わらず、小さな街では考えられないような時間の長さを身に包ませ、蜘蛛の巣に二、三度悲鳴を上げるとようやく出口が見えた。あの道が表通りというならここは裏通りか、不気味なくらい人気がなかった。しかも、またもう一つ裏道を進むらしい。
壁に引っかけた靴が脱げて大袈裟に転げるケーイチを、ジネットが腹抱えて笑った。
「あはは!だっせーのー」
「いてて・・・君みたいに小さくないんでね!」
「そうよジネット。ケーイチさんの身体だと通るのは大変そうだったんだから」
「ちぇーなんだって肩持つじゃん。でもおっかしいの、靴まで脱げちゃって」
「大丈夫ケーイチさん?」
「どうってことない。靴取って・・・あ」
人気が一切ないと思っていたのは間違いで、実際は何人かいた。おかしいのが、唯一そこにいる五人の男全てがこちらに身体を向けていた。中央の若くはない男はケーイチの靴を拾うと返しはせず、無表情で手の内に投げ遊ぶ。初対面のフイズのように、チンピラ丸出しの威圧はない。しかし異様な態度で佇む姿に正当な警戒を抱いて、背に回したホルスターの蓋をそっと開け撃鉄を起こした。
息を吐いて一歩前に、シャルたちを背後にして男たちに向き直った。二人はケーイチと同じく男たちを警戒していた。
「それ、僕んです」
「そうらしいな」
「ええ、こけちゃって」
「返してやる、そら」
「どうも」
ひょいと差し出される靴を摘まみ受け取ろうとしたが、男の手から離れなかった。ふとした嫌な予感は当たりかけている。指先をホルスターの方に向けて不穏であろう言葉を待った。
「あんた、見かけない顔だが、その子たちと関係があるのか」
「この街の人間じゃない、旅人です。この子たちには街の案内を頼んだ」
「後ろの二人はルロットの者だ。知ってるか?」
「知ってる。あなたたちは?」
「俺はゲーシンってもんだよ。都合の悪い時に会ったもんだな」
ほらきた、やっぱりそういうことだ。と、靴を無理に引っ張って自らの手に帰した。メンコを弾くみたいに靴を地面に叩きつけ、踵を踏むままに履いた。ゲーシンは若造の無礼に余裕を見せつけるみたいに苦笑いで、溜息吐くと頭を掻く。他の四人の男どもは彼の部下であろうか、これまたフイズほどではないが、幾らか苛立ち見せて舌打ちした。
「今やっちゃいましょうか」
「今はやめだ。揃ってあの服着てるわけでもないし、それにこの兄ちゃんは威勢が良さそうだ」
「ゲーシンさんとやら、何が都合悪いんです」
「なんでもないさ。まあ早くここを出るこったな。俺たちみたいなのがゴロゴロしてる」
「そうですか」
背を向けて片手を上げる仕草、ケーイチの好きなポーズだが、睨んだ上目遣いに見送るばかりで、挨拶はしなかった。想像していたようないやらしさはなく、紳士とは程遠いがそこまで乱暴な風でもない、ゲーシン一家の方がまだルロットたちより穏やかなのかもしれないが、それよりまた一つ気になる。
「揃ってあの服?」
後ろを向いた。臨戦状態なりかけのジネットが身構えて犬歯を剥き、後ろ背にシャルを守っていた。あの服は、今は犬より変身したジネットのみ着ていた。シャルは他の服を着ている。
日活映画の中なれば浅丘ルリ子ポジションの、攫われるヒロインというのは役が欠けていると思っていたが、どうも違っていた。ゲーシンたちは、どうせ対立しているルロットの縄張りを潰すためにかは判然としないが、ともかく狙っているのはこの二人であるようだった。
「ジネット、もう行ったよ」
「え?あ、ああ。大丈夫か、シャル⁉︎」
「ええ、私はなんともないわ。でも、あの人たち」
「ともかくルロットさんとこ行こう」
ケーイチは拳銃の撃鉄をそっと落とし、ホルスターの蓋を閉めると踵を整えた。だが続く裏道の狭さに、靴はまたもや脱げ落ちた。




