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副・救世主は悩ましく  作者: 小山モーゼル
第五章 睫毛
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第9話 言い訳のプラトニック

 エリックは夕食に顔を出さなかった。彼を呼びに行ったメイドを随分待って、「お調子が優れないとのことですので、エリック様はおいでになりません」告げられると腹を空かしたレッタが早速肉にむしゃぶりつく。ケーイチもゆっくりスプーンを手に取り、主人がいない席を見つめながらスープを口に運んだ。ベットで毛布を被り枕を抱いてるエリックの姿が、容易に頭に浮かぶ。

 自分の分を食べ終わったレッタ、未だ手が付けられていないケーイチのステーキを凝視していた。

 

「ねーねーケーイチさぁん、それ、食べないんならわたしに・・・ん?」


 甘えた素振りで()()()()をねだろうとするレッタは、実の無いスープを空にしただけなのに歯に何か挟ませたのか唇をもごもごとうねらせるケーイチに気づいた。彼はステーキの端っこケチくさく切り分けると隣人の皿に置く。


「食べかけですか?」

「なんで。今から食う」

「お口をモゴモゴさせてます」

「させてたか?気のせいだろ。こいつ、分けてやったんだから礼くらい言え」

「むう、ありがとうございます」


 分けられた肉片を口に放り込むレッタは丹念に咀嚼する。大した量でもないのにハムスターみたく膨らむ頬をケーイチがつついた。「なにしやがるですか!」ますます膨らむほっぺたにメイドたちもケーイチも笑ったが、彼の頭にはすぐまたエリックの姿が浮かんで、唇を舐めた。


 風呂からの帰り、ケーイチはそのまま自室へは戻らなかった。向かうのはエリックの部屋。乾き切らない髪をかき上げて階段を上がると、廊下の端からとぼとぼ歩いてくるケイトとかち合った。彼女は盆に乗せた料理を持っていて、ケーイチを認めると目を丸くした。


「け、ケーイチさん」

「お疲れさん。それクリーズさんの夕飯?」

「はい。でも、持っていってもお召し上がりになられませんでした」

「どんな様子だった?」

「塞ぎ込まれているようで、あんなエリック様は初めてです・・・」

「持っていくよ。俺が渡したら食うかもしれん」

「あっ」


 盆を引ったくるとケイトは一瞬の戸惑いを見せたが、奪い返す様子も見せず、ただ胸の前に手を組んで立ちすくんだ。何かを恐れる震えた声で上目遣いに、ケーイチの瞳を見つめてくる。彼の頭にはエリックの腫れた頬があった。


「あの・・・ケーイチさんとエリック様は、何かありましたか?」

「ないと言えば嘘になる」

「お願いです!坊っちゃんに酷いことをしないでください!腫れていた頬、あれはきっとケーイチさんが・・・」

「俺が殴ったよ。悪いことしたと思ってる」

「やっぱり・・・ケーイチさんは、坊っちゃんを拒絶なさったんですね。でしたらなぜ、また坊っちゃんの元へ。そんなことしなくても、ケーイチさんは女の人が好きなんですから、おかしいです!」

「まるで嫉妬してるみたいだね」


 やけにムキになるケイトに試すつもりで言ってみると、図星を突かれたのか彼の頬が急激に紅潮し、髪の端まで焼けるようだった。エリックの言った、メイドは皆自分のことが好きという言葉は、ケイトに関しては最も順当なものと見て違いない。


「みんなエリック様をお慕いしています。ですが、エリック様のほんとうのお心を知っているのは私だけです。お仕えした年月も一番長いですし。他のメイドはエリック様が女として自分たちを愛してくれる可能性を信じていますが、私は違うんです。でも、私はただの一介の使用人ですから、失礼なことは致しません」

「失礼とも思わんけどな」

「十分失礼なことですよ、この仕事をしていたら自由に伝えてはいけない想いだってあるんです。他のメイドたちは、誰がエリック様と結ばれるか遠慮なしに競っているようですが」

「ともかく俺はエリックのとこへ行くよ。性の関係を拒絶したことはしたさ、俺は()()()だから。でも君が抱いているような想いとは別の方法で、奴を愛してやる」

「どういうことですか?お慕いにならないのに愛すとは」

「そう、オシタイはしていない。だから別に君の坊っちゃんを盗ることにはならないよ」


 嘯くと早足にエリックの部屋の前に立ち、一度ケイトの方を見た。不安そうな顔に乾いた笑顔を投げかけて、「レッタにはクリーズさんの部屋で寝るって伝えてくれ」言って扉をノックすると、大して待たず擦れた返事があった。


『誰だ』

「あんたの雇われ教官」

『会いたくない』

「めんどくせえな、ケイトが心配してるから飯くらい食え」


 扉に鍵は掛けられていないらしく、軽く蹴ってできた隙間に身体を押し込んだ。揺れる盆のスープが溢れ、冷めたそれはケーイチの手を油で光らせた。エリックは枕から顔を上げると開けっ放しの扉の向こうにケイトが居ないことを見て、安堵するかのように息を吐いた。ケーイチは勝手にベッドに腰を下ろすと枕元に盆を置き、シーツで手の油を拭った。


「食べたくない」


 泣き腫らした目でケーイチを見ることはせず、エリックは再び枕に顔をうずめた。ケーイチはフォークを持つと乱雑に切ったステーキを口にしおどけて言った。


「冷めても美味いな。今日の料理長はケイトだっけ」

「そうだ」

「ならあんまりあの子を泣かせんな。寂しそうな顔してたぜ」

「・・・わかったよ」


 しぶしぶ身体を起こすとフォークに刺した肉を口に突っ込まれる。不貞腐れたようにもぐもぐ咀嚼して、そのうちフォークの柄を受け取った。


「なんで来たんだ」


 なんだかんだ食事を進めて、スープ皿を空にするとやはり不貞腐れるように吐き捨てた。ケーイチはおもむろに手を伸ばすとエリックの頭に触れて髪を撫でる。フラれた(?)とはいうものの、想いを寄せた人物から撫でられる掌が心地よく感じ、彼はされるがままに髪を崩されていた。ケーイチはもう片方の手で盆を側の机に置くと尻一つ分エリックへにじり寄る。


「来るって言ったろ」

「だからどうして。君は、僕のことが嫌いなんだろう」

「嫌いとは言っちゃいないさ、メイドの雇い主として君が命じたことは最低だと叱りはしたけど」

「さっきも言ったけど強制したわけじゃない。でも君がそう叱ったことを、嫌いになったというんじゃないのかい」

「何であれ俺に好きと言ってくれた君を、無下にはできなかったのさ。普段の俺はさっぱりモテないから。一つ良いことを教えてやろう」

「良いこと?」


 頭を撫でていた手を横にずらして頬へ、親指を唇に当ててなぞった。唇も頬も熱く血が巡って、ケーイチの見据えてくる視線はエリックを溶かしていく。ケーイチの結んだ唇の端が僅かに上がって、唾を飲み込んだ。


「親友と長い時間話したことがある、性趣向に拠らない恋愛に近い愛情は同性にもあるのかって。性的な行動を伴わない、男友達への愛情は存在するのか。結果としては『有る』んだ」

「それは、愛情と友情とどう区別されるんだ」

「区別されるのはそこではないのだと思ってる。俺たちが区別を試みたのは行動だ。要は、どこまでならできるか」

「どこまで?」

「俺の答えは粘膜の絡みがないところまで。男への愛情は、セックスはせずとも、ここまでなら」


 ケーイチはゆっくりと顔を寄せる。唇同士触れる寸前、一度止まって、エリックの目が閉じられるのを確かめた。

 エリックにとって初めてのキスの、余韻を感じる間も無く唇は離された。ケーイチが静かに笑みを湛える頬の歪みは、ひどく残酷に思えて、しかし心に満ち始めるものがあった。


「どうして、こんなことを」

「嫌だったかい?」

「嫌・・・とはいえない」

「愛してやる、愛情と恋愛のギリギリのところで。舌は入れない、お前の腰のナニにも触れない。だけど唇だけはくれてやる。だから諦めてくれ。諦めると言って悪ければ、俺としてはプラトニックな愛情を君の中で君の望む形で昇華させて、しまっておいてくれ。一夜限りの思い出とでも。エリック」


 呟くとまた唇を重ねる。二人のキスは小鳥が啄み合うのに近かった。

 かつてケーイチが男友達と交わしたキスというのは戯れに過ぎなかった。だからそのつもりでもあったのだが、エリックからして戯れで済むのかどうかは判らなかった。結局、好意を抱いてくれた人間を無下にはできないという身勝手な心付は、エリックを更に苦しめるものになるのかもしれなかった。しかし彼は、儚げに自分の名を呼んでもらえたことで不意に満ち足りていく気がし、唇楽しんでいると一つ流れた涙で、ケーイチへの執着も会ったこともない彼が愛した女たちへの嫉妬も消えていくようだった。

 散々プラトニックがどうのと語ったケーイチは、昼間エリックの顔が女に見えたことを忘れていない。むしろ根底にあった。彼が女性に恋愛し性的な感情をも持つことを全く確信して揺らいでいるわけではないが、どこかに小さく、女と唇交わしているような覚えがあるのを無視しきれていなかった。


 夜も更けた。ベッドに寝そべる二人の、ケーイチの腕に抱かれるエリックは厚い胸板に頭をもたげて小さく口を開いた。


「庭の像は、僕がまだ小さい頃からここにあった」

「ルーツだってね」

「うん。あの逞しい裸像が僕の心にすっかり溶け込んでしまった。心臓が急な鼓動を始めて目が離せなくなったのをよく覚えている。それから女性に対して恋愛感情を抱くことはなく、むしろ巷で恋とも言い換えられる憧れは男に向けられるようになっていた」

「ある意味、あの像が初恋ってわけだ」

「そうかもしれないね。だからあの像を失いたくないんだ」

「それはわかったよ。しかし現実的な話、もし暴徒が来た場合、どうするんだ。銃を使えるのはたった六人、守衛は位置的に戦力と考えない方がいいし、それに歳食ってる。しかも広い敷地だ。自警団やら軍隊やらが来てくれるまで持たせられるかどうか」

「無理かな」

「暴徒の人数にもよるけど。守ることができるのは限られた空間になるだろう」

「庭の像だけでいい、あれさえなんとか守り切ることができれば」

「お前が呼ぶべきは、銃より戦術の教官だったかもしれないよ」

「いいさ、ケーイチと会えたのだから」


 エリックは首を伸ばしてケーイチにキスをする。これまでの断続的なものより少し長めで、離すと溜まった息を不器用に吐いた。これ以上唇求める様子もなく、ただ、名残惜しそうに目を見つめてくる。願いを伝える言葉は切なそうに上ずった。


「ここにいてくれないか。その時がくるまで」

「そんなわけにもいかない。今はちょっと離れてるけど旅を共にする仲間もいるし、レッタだって、あの子は親元に送っていく途中だ。それだけじゃない、俺自身も帰るためにやることがある」

「帰るために?」

「容易には、俺は元いた場所に帰ることができないから。それが何をすれば帰れるのかよくわからないけど、とにかく行かなくちゃ」

「なら、また会いに来てくれるか?」

「寄ることができれば。少なくとも、ここに友達ができたということはわかった」

「友達、か」

「そう、キスまではする友達が」

「いいさ、友達で。だからきっと会いに来て」

「もちろんだとも。もう寝よう」

「うん、おやすみケーイチ」

「おやすみ」


 エリック、と最後に付け加えなかった。また会いに来ることができるかどうかは未知数である。情が沸いてしまうから一度しかファースト・ネームで呼ばないというのは軽薄な気もしたが、さりとて友達という意識は否定せずにいた。

 あまり考えないでいたことではあるが、エリックだけではない、この世界で会った人々とは、死が分かつ以外の方法でいつかは別れなければならないのだった。同世人であるハルトは除くとしても。

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