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副・救世主は悩ましく  作者: 小山モーゼル
第一章 異世界に行くということ
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第8話 出立

 楽しいことというのは後で思い返して美しく輝くものだから、それが現在の時間を流れていれば、素面でなければ夢中だった。ハルトたちのことは念頭になく、兄と姉と語らい妹弟とじゃれ友人と酒を呷った。へべれけになった頭で見回すと既に三人は見当たらず、既に寝床に入ったという。ふざけて、夜這いでもするかと悪友たちと笑い合い、そういえばいつか皆んなで行った街の娼館ではこうだったと、些か下品に気炎を上げた。

 帰り道の、いつものように潰れかけの仲間の肩を抱き、しかし今日この日は醒めかけた頭で景色が鮮明に映った。眠りに入りかけの村のまばらな光だけがチラつき、それはかつて不良学生として夜の街を歩いたことと急に重なった。走馬灯とまではいかずとも、思い出が駆け巡って、懐かしいというよりは悲しくなった。


 20時の名古屋駅、パチンコ帰りの仲間と合流して、飲む飲むまずは生一つときて、後はレモンサワーにカシスオレンジ、誰かがウィスキーロック人数分注文し怪鳥音、空にしてテーブル二回叩く。煙草がない奴にはくれてやった。火も点けてやって、一服二服、何年目かの我らの出会いに感謝した。夢を語りて必ず叶えろと激励に、涙しそうになってまた日本酒一合とくる。店出て終電既になく、酒を求めて映画館横に椅子と机が出ていて、同席した香港人の愚痴聞きながら笑ってチャーシューに貪りついた。潰れた友二人で抱き抱き、彼は突如何かしら叫んだ。そこで恵一は、現代でやる奴滅多にないけれど、古い歌を、とても古い歌を口遊んで、また友が笑った。


 村の仲間も似たようなもので、だからか彼らと飲んでいてもこれまで寂しくはならなかった。新たな仲間と会って、今まで通り彼らとそうした仲になれるのかは、彼らは子どもであったから不安だった。

 恵一は顔を上げて日本語の歌を歌った。村の仲間は歌詞の意味が解らないけれど、やはり笑っていた。

 

 翌朝、というより昼に近かった。ケーナとアキトに起こされるのはいつも通りだが、恵一の持ち物はすっかりまとめられてベッド横のザックと図嚢に、履物もいつもの布靴でなく軍用戦闘靴(コンバットブーツ)だった。久々に履く戦闘靴は重苦しく、靴紐を締め上げると息が詰まりそうだった。口数少なく遅い朝食を終えて、焦げかけた住まいにさよならして広場へ向かった。弁当以外、当初神からもらっていた缶詰などはそれらを運んできた橇と共に残した。

 途中犠牲者と村民の先祖の墓に手を合わせて、広場に着くと住民総出で見送りに来てくれていた。皆に挨拶を述べると、まず友人たちが二つの袋を押し付けるようにして渡した。片方の袋には煌びやかな絵が印刷されている。


「これ、村から心ばかりの金だ。これから色んなとこに行くんだろう、色んな女に逢えるってわけだ」

「そればっかりに使うわけにはいかないさ。でもありがとう」

「それから、『シグ』だ」


 片方の袋のことを言った。袋の口に鼻を当てて嗅ぐと紅茶のような甘い香り、シグ王家の名を冠した煙草葉だった。高級煙草で、何年も前に当時の村長が表彰で王家に呼ばれた時に嗜んだという以外誰も喫えない、いつも街の煙草屋で棚の頂点に鎮座していた逸品だった。香りは鼻から肺を伝い、身体の隅々に染み込んでいった。


「いつのまに買ったんだ。とんでもない値だったろう」

「何かの時に取ってあったのさ。ケーイチの門出に相応しい」

「その心が一番嬉しいよ」


 家族からは、まずはコルバが小さな袋を渡してくれて、それからまたもや金をくれた。袋は彼愛用のパイプ。恵一はいつも何気なく眺めていたが、木で削り出したここでは珍しい物だった。


「このお金は、宿に泊まることがあればケーイチが払ってやりなさい。パイプは綺麗にしておいた」

「そんな、いいの?これだって高価なものでしょ。それに兄さんは、これからどうやって煙草を」

「パイプはいくらでも手に入る。それに、たまにはケーイチがしていたように紙にでも巻いてみるよ。代わりにケーイチも、たまには使ってくれ」

「必ず返しにくるよ。必ず」

「そうだな、また会う時に返してくれ」


 堅い握手、大きな掌の温かさに、コルバが自分を受け入れてくれたことに感謝した。誰も知る人のいない世界で故郷を与えてくれたことに。故郷だけでない、家族も仲間もくれたのだった。ここの近くに降りてきてよかったと心の奥底からこみ上げて溢れてくる。

 とん、と横腹に柔らかな衝撃が、ケーナとアキトが涙ぐみながら抱擁を求めていた。


「お兄ちゃん・・・」

「ああほんとうにかわいいなあ、ケーナ、アキト。死ぬわけじゃないんだ、泣かないでくれ。また会えるんだから」

「これ、お母さんと一緒に作ったの。持っていって」


 汗ばんだ掌に握られていて温かなそれは、赤い房の小さな御守り。房の中に細い板が結ばれていて、小さく「ルビヤ コルバ ネイト ケーナ アキト」と、本当に小さく文字が刻まれていた。恵一は力強く頷いて、自動拳銃のランヤードリングにしっかり結え付けた。この御守りがこれから待ち受けているであろう苦難から守ってくれると確信した。

 二人を抱きしめてから、ネイトにも何かお礼を言おうとした。だが優しい目で微笑んでいるネイトに、急に嗚咽が堪えきれなくなった。そして思い出す、治療してくれたエミリアの膝にネイトではなく元の世界の母だけを見出したことを後悔して、抱きついた。出てくる一言目は日本語だった。


<お母さん、ごめんなさい>

「えっ、なあに?」

「お母さん」

「あら、もう、ケーイチったら。お姉ちゃんじゃなくて?」

「それも、そう。でも、今だけはお母さんと」

「愛しい息子、元気でいってらっしゃい。無事帰ってくるのよ。またケーイチの好きな料理を作って待ってるからね」

「うん」


 恵一は、何もあげられる物はない。缶詰と橇は確かに置いていくが、記念の物とは言い難く、何かないかと考えて、そういえば、ジッポライターを二つ持ってきていた。一つは誕生日に贈られた物、もう一つは自分で買った初めて愛用した物だった。

 ネイトから離れると、初めて持った方のジッポをザックのポケットから出してコルバに渡した。


「これが俺の代わりだ。オイルなくて使えないけど、持っていて欲しい」

「そうだな、集会所に飾っておくよ。誰でもケーイチを感じられるように」


 嬉しいことを言ってくれる。たとえ実体がそこになくとも、皆は集会所に行けば恵一にいつでも会える。恵一もまた、煙草をパイプで喫い御守りを握れば、会うことができる。そう思うと別離の悲しみを喜びで上書きしてくれる気がした。


 一行を乗せた荷馬車が村を離れた。恵一の知らない街へ行くのだという。手を振る村人がだんだん遠くなって見えなくなった。見えなくなるとカービンを抱きしめてしばし泣き続け、気の済むまで泣くとパイプを出してシグ煙草を詰めた。バニラのような甘い香りを村の思い出に乗せて吐き出すと涙を拭き、新たな仲間たちに向き直った。彼らは皆心配そうな面持ちで恵一を見ていた。


「改めて、これからよろしく」


 できる限りの笑顔を作り、握手を求めた。手を握り返すハルトの、確か昨日も恵一の名を口にしていたけれど、村の家族や仲間たちと離れてから聞くと、今になって一つ気がついた。


「よろしく、ケーイチ」


 同じ世界から来たはずの同郷人、いや同国人、彼となら異邦人でなく元の世界の日本人に戻るのかと思ったけど、違っていた。彼の言う恵一の名も、「ケーイチ」であった。

 恵一はどこまでいってもこの世界ではケーイチである。一抹の不安で諦めると、握る手に力を入れた。

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