第4話 疑念
翌日、ケーイチはレッタよりも起床が遅く、馬乗りになって頬を引っ張る彼女に浅い眠りから引き抜かれた。昨晩の如くまた寝込みを襲われたのかと薄く目を開けると、いたずらな笑みを浮かべるレッタが楽しそうに自分の顔で遊んでいる。
「ほーらー起きてください!もう朝ですよー、お寝坊さんにはこうしてやるんですから。あはは!変なかお~」
「・・・なんだ違うか」
「あ、起きた。何が違うんです?」
「なんでも。おはようさん」
「おはようございます。もうごはんの時間ですよ、早く顔を洗ってくるがいいです」
「はいはい」
むくり上体を起こしてレッタをベッドの横にどかすと彼女は急に赤面した。それもそのはず、毛布を被っていて判らなかったが、ケーイチは裸であった。幸い下半身は露わになっていない。もっともパンツは履いていたのだが。
「な、な、なんで裸なんですか⁉早く服を着やがれですよ!」
昨晩、一戦交えてからこっそり風呂に入った。あのメイドはというと、確かに風呂までは一緒に行ったのだが、軽く身体を洗うとさっさと一人で帰ってしまい結局名前も聞かず終い。ピロートークも至極面倒くさそうで、不快感を覚えるよりも先に行為への疑問を再び持った。彼女は寝間着すら用意してくれなかったのだ。着替えがどこにあるのかも判らず、仕方なく下着のまま部屋に戻るとそのまま寝てしまった次第。
着替えて食堂へ行くと朝食が用意されていた。内容はもちろん豪華で、エッグスタンドなぞは初めて見る。しかしケーイチはレッタみたくはしゃぐ気分にはなれない。食堂に並ぶメイドの中には昨晩の女もいたのだ。席について彼女の方をぼうっと見つめていると、本人は微動だにせずすましていたが、視線に気づいた他のメイドが口元に手をかざすと小さく笑った。まるで嘲っているかのように感じて顔を赤く目を剥くと乱暴に椅子に座り直した。
「おはよう諸君」
相変わらず言葉の荘重には似合わない声でエリックが登場した。座ったばかりのケーイチとレッタは再び立ち上がると一礼するのだが、エリックの視線は専らケーイチに注がれていた。
「夜はよく眠れたかね」
じっと見つめてくる。例の長い睫毛はより黒々とした中に光を湛えていて、薄い唇の桃に潤いを与えていた。その仕草は、昨晩の情交を見透かした、秘密を覗いた人間特有の陰湿さも兼ね備えていた。しかし咎めるような含みは感じられなかった。まさかと、ケーイチは蒼ざめてある種の予想が浮かぶ。彼はまともにエリックを見ることができず、目を背けて「はい、眠れました」とだけ小さく言った。
エリックともう少し会話を交わそうとしていた意志もどこかへと消え、ベッドや食事を褒めまくるレッタや、笑顔で茶のおかわりを勧めてくれるケイトにも上の空だった。ただエッグスタンドの茹で卵をスプーンでほじくる時、何度も観たアニメ映画のワンシーンばかりを思う浮かべて、即ち思考停止。エリックが去って息を吐くとようやく人心地がついた。
片付けはほとんど終えられており、ケイトとレッタ、ケーイチだけが食堂に残っていた。彼の目の前に残されたティーカップにケイトが茶を注ぐ、気づけば自身の腹は溜まった茶でいっぱいだった。
「あ、もう結構。ありがとう」
「そうですか?失礼しました」
「なんか変ですよケーイチさん、ぼーっとしちゃって。今日から本格的にお仕事でしょう?」
「なんてことないさ。ちと睡眠不足でね」
「もーしっかりしてくださいよ」
「うん」
「あの、もし体調が優れないようでしたら、エリック様に伝えて本日の訓練は中止になさったらいかがでしょう?」
「眠いだけさ、大丈夫」
「そうですか・・・」
ケイトの脳裏に、昨晩のメイドのあられもない姿が反駁されていることをケーイチは知らない。彼女自身、ケーイチがなぜ睡眠不足なのかは大体予想がついていた。また、あのメイドが得意げに言った、エリックが下した彼女への命令はケイトには関係ないということも、内容だけはよく知っていたのだった。
ケーイチとレッタは準備があるから部屋へ戻った。ケイトは一人ティーカップを厨房へ持っていく傍ら、底にごく少量残された中身に目を落とす。彼女の心の中で、液面にはケーイチとエリック二人の姿が映っていた。
「装填動作は覚えたようですね。では先程教えた構え方で撃ってみましょう。私が合図するまでは絶対にハンマーを上げないでください」
今ケーイチが教えているのは三人の手隙のメイドだった。普段の仕事もあるからメイドを半分に分けての訓練であるが、ケイトは体格の問題からか元より外すように指示があった。なるほど、彼女に小銃を持たせると銃口が背を超えそうだった。
三人のメイドを左端から据銃姿勢を確かめていき、訓練において必要な場合は身体に触れることへの了承は受けていたのにも関わらず、件の女の手に掌を添えるのはためらいがちだった。ケーイチはこの期に及んで知った身体を重ねた女の名で小さく指摘した。
「イソラさん、もっと親指で握り込むように」
「はい」
言われた通りにイソラは親指を伸ばしてグリッピングを強固にした。彼女の返事には、生徒としての事務的な反応しかうかがえなかった。愛情なんて信じていなかったはずなのに、突き放される寂寥感がぐっと腹の底を押し下げるように圧迫する。ケーイチはそっと手を離すと一歩後ろに下がり、命令口調で号令を発した。当地の軍隊で使われる命令と近いのかどうかは詳らかにしない。
「目標、各人前方の標的、撃鉄上げ、狙え、撃て」
初めての射撃では命令された通りに発砲できないこともある。神に射撃を教えられたケーイチも三度「撃て」と怒鳴られて実包の初体験を終えたものだった。しかしメイドたちは、命令されるということには慣れているのか揃って引鉄を握った。ひどく吹き上がる硝煙に咳が聞こえ、煙が晴れると標的に目を凝らした。2デール離れた程度だから標的のどこそこかには命中していた。
「上手なものです。これから徐々に標的を遠ざけていきましょう。おいレッタ、あれ」
呼ぼうと思ったレッタは後ろにいたはずだったが姿がない。しかしどこからともなく声だけは聞こえてそれは頭上から、見上げると飛んだのか二階の窓に腰掛け、部屋の掃除をするケイトに構ってもらっていた。
「レッタ!あんまりケイトさんの仕事を邪魔するな!お前も手伝え」
「ほら、レッタちゃん、呼ばれてるよ」
「えー遊んでればいいって言ったのに」
「標的の移動くらいやれや」
「はーい。じゃあまた後でね、ケイトちゃん」
「うん、おやつ持っていくね」
「楽しみ!」
レッタはトンと壁を蹴って宙に飛び標的に舞い降りた。重量のある標的も彼女の翼を使えば大したことなく、ケーイチの指示に従って移動される。その僅かな間に、レッタの怠慢を咎めた自身も急に眠気を覚えた。昨晩の疲れが蘇って、じっと移される標的を見つめるイソラを少し睨んであくびを噛み殺した。レッタが背後に戻ってくるのを確認し、目を擦って次の動作を伝えた。
「次は連続して三発撃ってみましょう。慌てることはないから、号令に従って確実に装填と発射を繰り返してください。では始めます、そうて・・・ふわぁ」
ンの字も言わないうちに殺しきれなかったあくびが出た。メイドたちはズッこけて、緊張しつつ摘んでいた紙薬莢を手から落とした。
しかし、以降五日間に渡ってケーイチの睡眠不足が解消されることはなかった。また身体も渇く暇がない。メイドたちは代わる代わるに寝所に忍んできた。そしてイソラと同じく、安っぽい愛を囁くと身体を求めたのであった。それをそのまま抱くケーイチもケーイチだったが、彼の疑念は確信に変わっていくのは自然だった。




