第3話 夜這いの穴
夕食が済むと風呂に入り、それから演習プログラムを組み始めた。慣れないことをしているもので、うつ伏せになったままウンウン唸り続けて肘が痛い。目の前にあるプログラムの紙片はちっとも書き進められなかった。隣のベッドではレッタが幸せそうにごろごろ転がっては未だ夕食の余韻に浸っている。
「ジューシーなお肉、真っ白で柔らかいパンにジューシーなバターをたっぷり塗って、それにジューシーでとっても甘い果物・・・はぅ・・・ハルトさんとも一緒に食べたかったなあ」
「ジューシーばっかじゃんお前」
「ねーねーケーイチさん、今夜は幸せ気分ですから遊んであげます。何かしましょうよぅ」
あまりに今日一日の生活が楽しかったからか、珍しくケーイチにも甘えるみたいに腕を伸ばして寝間着の裾を引っ張る。しかし彼はレッタの手をぺちぺち叩いただけでプログラムから目を離そうともしない。
「俺ゃ忙しいの」
「カード遊びとか」
「レッタが絶対勝つだろ、嫌」
「えーつまんないー」
「夢ン中でハルトにでも遊んでもらえ」
「ふんだ、夢の中でハルトさんにたっぷり甘えちゃうんですから!」
「そうしろ、おやすみ」
「おやすみです!あ、その前にトイレ」
「オネショ予防か」
「いちいちうるせーですよ!よいしょっと、ふんふふん・・・あれ?」
ベッドから降りて鼻歌交じりに部屋を出ようとするレッタは扉を開けると立ち止まった。変な声を出すのでそちらを向くと、ケイトではない他のメイド数人の姿がある。レッタは挨拶されるとさっさとトイレに走ってしまって、ケーイチは何か用事かと思い顔を出した。
「何かご用ですか?」
メイドは揃って六人いた。何やらひそひそと小声で話し合っていたようだ。ケイトを除いて全員いるのは不思議で、彼女たちはケーイチの爪先から頭まで見ると、得意げな笑みを浮かべてからすまし顔を作る人もいる。ここにいる理由もおかしな態度を取る理由も意味が解らない。
「な、なんでもないんです。騒がしかったですか?」
「いいえ、そこにいることにも気づかなかった」
「それならよかったです。もうおやすみになられますか?」
「もうちょっと起きて、明日からの訓練項目を考えてます。静かにして皆さんに迷惑をかけないようにしますよ」
「お気遣いありがとうございます。ご用がありましたら、いつでもなんなりと」
「どうも。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
固まっていたメイドたちは廊下に横に並んで、一同一糸乱れず頭を下げた。こんな扱いをされるのは初めてで、彼女らが部屋の前で何をしていたのかという疑惑も吹き飛び照れながらお辞儀を返した。偉くなったわけでもないのにそんな気にさせるというのは権威欲を満たすみたいで、ケーイチは単純に良い気になってベッドに戻る。
「おやすみなさいませか、悪くねえ」
プログラム作成は急に進んだ。ニタリニタリと鉛筆を書き流すケーイチに、戻ってきたレッタは「な、なんか不気味です・・・」とポツリ漏らしてベッドに入った。
自室に戻ったメイドたち、数時間経って一人が服を着替えた。この中で一番の年長者、といっても23歳なのだが、グラマラスな身体つきの彼女は下着を脱ぐとその上にセクシーな私服を直接身につける。仲間がその姿を笑った。
「どうせ行くんなら裸のままで行ったら。エリック様も見てるんだし」
「わかってないわねえ、肝心なとこで脱ぐのが興奮させるのよ。それはエリック様だってわかっていらっしゃるはずだわ。イシヅカだってスケベそうな顔してるし、良い反応がありそう」
「でもちょっと悪趣味よねえ、あの男に抱かれてるとこを見たいだなんて」
「だったらこの勝負降りたら?明日はあなたの番だったけど、もう一度私が行くわよ」
「まさか、エリック様は私のものよ」
「せいぜいがんばったら。でも女の子はどうしよう。途中で起きないといいんだけど」
「そこは、声を抑えながらこっそりするっていうのが興奮するシチュエーションなのよ。あなたもわかってないわねえ」
「わ、わかってるわよそれくらい!そろそろかしらね、行ってくるわ」
「みっともなく、あなたの方がイかされちゃわないようにねー」
「べーだ!」
夜はもう更けている。幾度となく客室から明かりが消えたかどうか確かめて、やっと消灯されていた。自信満々に、蝋燭一本携えたメイドは部屋を出て一人廊下を歩いた。ふと、前から丸い明かりが一つ向かってくる。目を凝らして見るとケイトだった。メイドは妖艶な服装を別に隠すわけでもなく、前に立ち止まったケイトに向き直った。困惑する表情に対して、寧ろ彼女は挑戦的な笑みを浮かべた。
「あの・・・その格好」
「メイド長、エリック様に命じられましたの。お仕事をしてまいります」
「な、何のお仕事ですか?私は何も聞いてないです」
「さあ?メイド長には関係ないことだからじゃないですか」
「それは・・・」
「では急ぎますので。おやすみなさい、メイド長」
「お、おやすみなさい」
そのままスタスタと、小さく鼻で笑ってすれ違った。背中に怪訝な視線を向けるケイトは、何かを心配するように俯くと自室へとぼとぼ足を進めた。あのメイドたちの居室ではない、別にある彼女にのみ与えられている別室へ。
プログラムを書き終わる頃には、レッタの健やかな寝息が室内を支配していた。ケーイチは彼女の寝顔を覗き込んで、なんて平和な顔してやがるとクスリ笑い窓側に立った。紙巻の煙草は切れてしまったから今度はパイプをくわえて、昼間みたく窓の外に煙を吐いた。相変わらず馬鹿デカい月の明かりが眩しく、ふとした童心からカーテンに手をかざして影絵を作る。この影遊びは彼のちょっとした癖だった。
「鳩、蟹、狐、コンコン」
狐の手を作って指の口をぱくぱく、鳴き声を真似すると、ケツネうどんが食いたいなどとつまらないことを考えて唾が沸く。油揚げから始まって、月見とろろに大根おろし、カシワの天ぷらと牛肉甘く煮つめたやつ、全部乗っけて平らげたい。天かすとネギ山盛りにして、全部混ぜくって麺に絡めて。そういえばルビヤ村の家を出て以来、当然のことながらあのつけ麵も口にしていない。飛んで帰って、すすりたくなった。
急に恥ずかしくなった。こんな児戯ができていたのは人目がなかったからで、今更恥ずかしくなるからには視線を感じるのである。ケーイチの妄想はテーブルから滑り落ちて記憶の棚に流れていった。心の棚が閉ざされると唾を飲み込み部屋の中に振り向いた。レッタは寝ていて扉は閉じられたまま、すると昼間別室の窓からはみ出ていた金髪か、外に身を乗り出して件の部屋を見たが、こんな月明かりでも何も光っていない。
「むにゃ・・・ハルトさん、あーん・・・口移し?だめですよぉ、みんなが見てます・・・」
マセガキの寝言、耳に入るとズッこけた。自身の警戒がレッタによって壊されたからか、出鼻をくじかれて視線のことは途端にどうでもよくなる。視線も気のせいだったのだと、ため息交じりにあくびをした。ベッドに入って身体を包む毛布の温かさに、まどろむのは早い。目を閉じると瞼の裏に浮かぶエリックの顔が、金髪と長い睫毛が光った。
「明日こそはもっと話をしなきゃ。あの坊っちゃんと・・・」
寝言のように口にしたのも気づかぬまま、ケーイチの意識は高級ベッドに皺を作って沈んでいった。
夢かとも思ったが違う。視界は暗闇にチカチカ光が、これ即ち瞼の裏側。脳は覚醒していて、脚と腰あたりのくすぐったい感覚は現実だった。触られている。しかも非常に官能な手つきで。
「うへ!」
「しーっ!子どもが起きます」
「あ、あんたは、って、え!」
毛布を押しのけて現れた顔、ついさっき部屋の前でたむろしていたメイドの一人。自身の寝床に忍び込んでいたことも驚いたが、それより薄っすら夜目に映る彼女の姿に目を丸くする。仕事服ではなく下着みたいな格好で、しかも開いている胸元は本来最も隠さなければいけない箇所まで露わだった。
「ちょ、ちょっと待って、なんで?」
「女が殿方の寝所に忍び込んでくること、大人の貴方なら理由がわかっていらっしゃるのではなくて?」
「いやそりゃわかるけど、なんで俺なのさ」
「何だっていいではありませんか。とにかくあなたが好きになりました」
「よくないってこんなの。雇主の使用人に手を出すなんて」
「男と女の関係、エリック様だってわかってくださるはずですわ。それに、身体の方は」
メイドが握るケーイチの形は、彼自身が混乱しながらも血が巡って熱く固くなり、感情とは別に律動して理性を犯していた。言い訳するよりも早く彼女に唇を以て口を塞がれて、ある一点を始めから身体を燃やしていった。唇離されると寝間着を剥がされ、メイドが腰の上に跨る。ケーイチが口にする言葉はもはや疑問ではなく、行為の早急さに対する困惑だった。
「そんな、いきなり」
「私、焦らされるのは好みではありません。失礼します」
「あ、ちょ、入ってる、入ってるって・・・」
何がなんだか解らない。寄せられる好意の源も一つとして覚えも兆候もなかった。相手の名前だって、そういえば知らない。ただこのメイドが持つ手管は相当なものであり、ケーイチは為されるがままに思考を溶かして溺れていった。
荒い吐息は二人分だけではなかった。もう一人、ケーイチとメイドよりも声を押し殺して熱気に身をもたげている奴がいる。彼が就寝前に感じた視線の主だった。そ奴はメイドが夜這いをかけるよりも前から密かに隣室に身を潜め、行為が始まると客室に偽装されている穴から二人を観察していた。
果てるのを観察対象と同時にすべく、腕の振りでタイミングを調節する。いつ絶頂を迎えるのかは優秀なメイドのおかげでつぶさに判った。ケーイチがそれらしき反応を起こすと共に、激しく揺れる金髪から汗が飛んだ。
実際ケーイチは、メイドではなく別の人物に夜這いをかけられていたのだった。




