第8話 汚れる袖口
「ん、これなら食べられそう!」
些か押し付ける形にはなった。夕食後のデザート代わりのマリネモドキ、渋る三人の皿に置いてみて、まあ、臭みは抜いて味付けもなるたけ馴染みやすい風にしたからと、まずラスナが鼻を近づけて口に運んだ。今度は洋食だからフォークを使う。反応は上々だった。
「ほんと?じゃあ私も・・・あっ美味しい!」
「レモンのいい香りがします!」
「ああよかった。タレに漬け込んだから完全生とはいえないけど」
「さっきよりこっちの方がいいわ。お店で出したら売れるんじゃない?」
「そんな〜そんなことないよ〜」
「照れてやがら」
「あんたたち?なんか変な料理作ってるって」
酒臭い闖入者があった。食事には一向に現れなかったクリエが、酒瓶片手に顔を覗かせた。ケーイチはライダとの事後、如何にも感じ悪く絡まれたことを思い出して気まずくなる。そんなことはつゆ知らず、エミリアはタチの悪い診察を受けたから頬を赤らめはしたけれど、他の三人は笑顔で迎え入れた。
「く、クリエさん」
「ハルトとケーイチが作ったの。さっき食べたただ生なだけの切り身はちょっとアレだったけど、これは美味しいのよ」
「お酒にもきっと合いますよ!」
「こら、子どもがマセたこと言うんじゃにゃーの。でも香りはいいわね、どれどれ」
診察行為への不審はあるものの、フラリと現れたそれはだらしがないだけの「お姉さん」といった感じで、寧ろ親近感を沸かせるものだった。ケーイチを除けば。酒を一口含むとレッタのフォークを取り、口に放り込む。パッと輝く笑顔に喉を鳴らして、気に入ったのが判った。
「あーいいわねこれ!酒の肴にぴったり」
「でしょ!ハルト、ケーイチ、もうないの?」
「あるよ!」
「いーいツマミが見つかったわ。今日はこれで一献」
「んあ?」
出入口付近にたって黙って見ていたケーイチ、クリエの仕草に疑問を抱いた。彼女は汚れた口元を上衣の袖で惜しげもなく拭いていたのだ。この男物の上衣はおそらくロレンスの形見であると看破していたから、こうした不潔な仕草は奇異に映った。形見を身に着ける意図というのは故人を偲んで以外のことは考えられないし、いくら日常生活の場に供しているからといっても扱いがぞんざいだった。ズボラな無意識からやってしまったミスでもないのは、エミリアの指摘からも判った。
「もうクリエさん、汚いですよ」
「べつにへーきへーき、気にしない気にしない」
またしても、今度は瓶の口を拭った。傾げる首の角度がだんだんと大きくなって、頭が出入口に飛び出していた。袖口に付着した汚れやシミを、それが以前よりあるものだと思えてならず、日常的にこんな扱いをしているのかと、眉を顰めてクリエを見つめた。
「あだぁっ!」
急に後頭部への衝撃、出入口にはみ出す頭が元に戻った。膨らむタンコブを撫でて横を見ると、ライダが額を赤く腫らせていた。ケーイチとかち合った彼女は相当な勢いで入ってきたのだが、痛みは意に介さず、ぶつかった謝罪もしなかった。別に謝って欲しいわけではないけれど、何にでも反応が早そうなライダにしては異常で、それもそのはず、彼女の瞳は思い詰めて色を喪い頬を強張らせていた。
戻ってきたライダにマリネを勧めようとするハルトの言葉は遮られる。
「おかえりライダさん。これ、さっきの生魚を工夫して・・・」
「みなさんここで降りてくださいっす。船賃は返すっすから」
「へ?」
あまりにも思いがけない言葉、五人揃って目を丸くした。この船旅を申し出たのはライダ自身でもあったのに、急に帰ってきて降りてくれとは随分なゴアイサツ、だが変心を問く間もなく彼女は再び船室を出てしまった。後から入ってきた伝令は申し訳なさそうに頭を下げ一行の前に金の袋を置いた。どう考えても、船賃より高額な金が入っている。
「途中で降りてもらうことになって申し訳ありません。これはお詫びの心付です」
「で、でも、降りろだなんてどうして?」
「事情はちょっと。でも察してもらえると幸いです」
「まさか短剣の行方が」
これが正解なのだろう。伝令は暗く口元を歪めて頭のバンダナを締め直した。
「自分の口からはなんとも。今夜中に降りていただけるとありがたいです。では失礼します」
「あ、ちょっと、私たちこんなに払ってない!」
伝令は背を向けると足早に行ってしまった。取り残されて追おうとしたが、クリエが突然立ち上がり行く手を阻んだ。ラスナの袋を持つ手が彼女の平たい胸に当たり、上にニヤリ笑う顔はどこか諫めるようだった。
「もらっときなさいよ、船長の親切なんだから。今から降りたらすぐ宿を探さなければならないでしょ」
「それにしたって、もらい過ぎですよ!」
「いいから黙って仕舞いなさい。そんで、とっとと降りる」
「だけど・・・そうだ、短剣の行方がわかったなら、私たちも奪還の手伝いを!」
「早く支度なさい。ライダにとって邪魔なのよ、あなたたち」
だらしのないお姉さんだったはずのクリエが棘の有る言葉を吐いた。キッと鋭く睨んでくる眼光で悪い意味のギャップがひどく突き刺さり、裏を目撃しているケーイチ以外の四人は意気消沈してしまう。ケーイチはケーイチで態度の急変を改めて不快に感じ、壺の蓋を閉じると持ち上げて部屋を出ようとした。
「降りようや。宿空いてるといいけどな」
「ケーイチ!」
「降りろってんなら降りるって。短剣のことは自分で追いたいんだろ。ロレンスについての決着つけなきゃならんから。そうだろ?」
「そうね、賢いわねあなた」
「面倒なだけさ、君たちが」
溜息一つ吐いて暗い通路に出る。
長い付き合いでもないのに垣間見てしまったライダたちの事情、色々と考えはしたけれど、実際面倒なのはケーイチ自身なのかもしれない。二度目はない女や亡兄の形見で口を拭く女、不快な思いをしたり負い目も持ったはずなのに事の次第が気になる自分が嫌になってきて、後ろ髪引かれつつも離れた方が楽なのだろうと、本心はニヒリストじみた笑いに隠した。
自身の船室に戻って荷物をまとめていると、手を止めて部屋を隅々まで見流してみた。短い時間だったけれど確かに感じた懐かしいとか寂しいとかいうことも無くなっていて、全くの無感情でその場を後にした。実に白けた気分で振り向くこともしなかった。




