第1話 命の洗濯のはずが
保養地には温泉があるもの、という思考は些か日本人じみているのかもしれない。それにそもそも、当初より保養のために訪れた街ではなかった。内海に面した港があるから、そのままカーレ島には行けなくても船に乗って距離を稼ごうとの考えで立ち寄ったのだった。そして温泉を見つける。当地では珍しい宿付きだった。一も二もなくそこに宿泊を決めて、五人は部屋に通されるより早く温泉に飛び込んだ。もちろん男女に分かれているが。海に面した露天風呂、満点の星空、電気のない場所ではより輝きは誇っている。
「どうだい、なかなか日本の風情ってもんがあるんでないかい」
ケーイチは、宿の人間に聞くと飲食物の持ち込みを許されたから酒瓶を携えホットワインと洒落込む。海風が心地よく、ハルトはほろ酔い気分の彼を耳で感じながら気持ちよさそうに息を吐いた。
「ふぅ~そうだね。石でできた浴槽といい、露天といい」
「あとはせめて熱燗がありゃあな。でも見ろ、男女の仕切りだって、竹じゃないにしろ板でそれっぽいぜ」
仕切りを挟んで向こう側、楽しそうに談笑する仲間の少女たちの雰囲気が湯煙に乗って漂ってくる。実にいい気分で、他に客もいなかったから、ケーイチは目を瞑り上を向いて喉を唸らせた。日本語だった。
<〽戀という字はヤッコラヤノヤー、分析すればノーチヨサン、糸し糸しと言う心言う心。アイラブユーラブラブレター、もらって、嬉しい、ラぁブレーター。もらったところで・・・>
<なにその歌?>
<ノーチヨサン節、小林旭>
<初めて聴いた>
<そりゃそうだ、小林旭が唄ったのが昭和も三十年代、元を辿れば明治の民謡だ。でもなあ、アキラがこれを、映画ン中の風呂で良い声で唄うんだから>
<ケーイチって、たまに平成生まれじゃないみたい>
<自分でもそう思うよ>
半ば呆れ気味のハルトに自分自身でも同調した。趣味だから仕方ないけど、歌わずにはいられなかった。歌への賛辞は思わぬところから聞こえてくる。
『良い声してるわね。なんて言ってるのかはわかんないけど』
仕切り越しにラスナの響く声、珍しく褒めてくれて、彼女もよほど温泉を楽しんでいるらしい。ケーイチは一人でに杯を掲げて応える。
「ありがとさん。何か、リクエストは」
『いーわ別に。ハルト、そっちもお湯加減いい?』
「うん、最高だよ。いい湯だね」
『ほんと!お肌すべすべ。エミリア、ちょっと触らせなさいよ』
『ひゃう⁉』
ケーイチの歌の話題は終わり、今度は徐々に温泉効果の現れる肌艶に注目して、ラスナはエミリアに飛びついたのだった。男どもは顔を見合わせると、嬌声の如く少女の戯れに耳をそば立てた。ハルトは知らんぷりしたふり、ケーイチは堂々耳を壁に寄せていた。
ラスナはエミリアの腕を取るとふざけるでなしに本心から感嘆した。
「わあ、普段どんなお手入れしてるの?すごい!」
「お、温泉に浸かってるからだよ!ラスナだって、ほら!」
「あっちょっとそこは、ひんっ!」
「ふ〜ん、背中弱いんだ。ここは普段もマントで覆われてるから?すべすべで気持ちいいよ」
「だ、誰だって弱いわよ!お返しなんだから!」
「もーやめてよ〜・・・あんっ!」
嬌声の如くと思っていたらモロ嬌声が発せられて、これには男子二人も身を硬くした、じゃあ何があったのかと顔を壁に向けて答えを待っていると、その言葉を言うエミリアの表情を想像してしまう。
ラスナもレッタも赤面してじっと見つめた。エミリアは偶然触れられた耳を手で覆った。
「うう・・・」
「ご、ごめん、大丈夫?」
「大丈夫、だけどここ・・・その・・・性感帯だと思うんだ」
「えーっ!耳が!」
「ちょ、ちょっと、あっちに聞こえますよ!」
「そうそう!特にケーイチはどんなスケベ心起こすか。ハルト、ケーイチ、聞いてなかったでしょうね⁉︎」
「き、聞かないよ!」
「聞かん聞かん」
「ふん、どうだか」
バッチリ聞いた男どもは、肩まで湯に浸かって明後日の方を向く。ラスナは心を落ち着かせるとふざけるのはやめた。
「ま、まあ、でも、肌の綺麗さで言ったら、レッタなのかしら」
「どうしてですか?」
「一番若いもんね」
「むう、子どもって言いたいんですか」
「そうじゃないけど」
「若いっていっても何歳も変わらないですよ。それより・・・」
レッタの目は二人の身体つきに向けられる。彼女には持っていないモノを持っていて、自然と視線はジトリ羨む色となった。
「な、なによ」
「おムネもおしりもわたしには有りませんから!」
「え⁉︎ま、まあ、エミリアはスタイルいいものね」
「わ、私⁉︎」
「ラスナさんもです!」
「私も⁉︎」
「もちろんです!ラスナさんにだって有ります、ほら!」
飛びつくレッタの、手はラスナの形良い胸を掴んでいて、親の仇の如く睨むと揉みしだいた。痛かったり変な気がしたり、とにかく恥ずかしい。
「手から溢れそうなくらい有る!ずるいです!」
「ずるいって、そんな!あ、ちょっとだめ!」
「エミリアさんのは、もう、こんなに!」
エミリアにも同じく襲いかかる。ラスナより幾らか豊かで、これは上下に持ち上げたり持ち下げたり、左右離してぶつけてみたりと、羨望だけでなく重さと弾力に夢中になってしまう。
「あーん!そんなに強くしないで!」
「なんですか、なんなんですか、これ!こんな重たいくらい!」
「レッタだって、もうちょっとしたら身体もできてくるよ!」
「いーえ、後数年で追いつける気がしません!こんな胸、こんなムネ!ハルトさんをユーワクする悪い胸!あとおしり!」
「誘惑なんてしてないったら!」
まさしく、これが本当の乳繰り合い。仕切りの向こう側では黙りこくったままで、ハルトは相変わらず心臓の鼓動で水面を揺らしていたが、ケーイチに至っては流石に呆れてきた。呆れても退屈だから、ハルトにそっと寄って肩を抱いた。いきなりのことで派手に跳ねる、波紋が幾重にも線を描いて広がった。
「な、なに?」
「なーあのさー」
『それになんですか、このエロい腋は!おっぱいで線が引っ張られるエロ腋は!』
「エロ腋が・・・いや違えよ。レッタのやつ、あの歳してフェチズムだな」
「腋ってエロいかな?」
「愚問だ。腋はたまんねえぞ。いや、そうじゃない。いや、そうか?」
「う、うん?」
「どっちがいいんだ、ラスナかエミリア」
「ええっ⁉︎」
下品に悪い大人の顔を寄せるケーイチの、質問の意味は判る。浴場で仕切りの向こうの騒ぎが聞こえていれば尚更だった。一応の純情さを前面に押し出してみるも、その下では、ほんの少しでも悶々としている。
「どっちにどう誘惑されてえんだ、え?」
「じ、女性をそんな風に見てないよ!」
「ほーそうかそうか。そんな風に見ていない、偉いねえ。でも、『一ミリ』もそんな気がないなんて言わせねえぞ。悪いことじゃない、身体の部分に好みがあるなんて当然なんだから」
「た、タイプってこと?」
「そうそう、タイプ。で、どうなんだ」
「ぼ、僕は、その、二人とも魅力的だし、もちろん性格が一番に素敵で!」
「そう、魅力的だな。性格は当然俺も好きさ。しかし好みはどうなんだ、背の高い低い痩せてる太ってる、髪型輪郭、巨乳貧乳、ケツのデカいの小さいの、色々あるよ」
「ど、どんな女性でも、いいと思うな」
「かと言って自分が見た時ブスと思っちゃしょうねえだろ」
「二人は可愛いよ!外見だってとても素敵だ!」
誘導尋問みたいにされて言ってしまうと、のぼせるみたいに急速に火照って、ハルトは口元まで湯に沈むとブクブク泡を作る。ケーイチは豪快に笑って肩を叩いた。
「いいさいいさ、二人も聞いたら喜ぶ」
「ねえ、レッタのことは?」
「レッタ?ありゃまだちっちゃ過ぎるよ。可愛いとは思うけどな、公園で遊ぶ子どもを見かける時の感覚だ。もっとも、あいつはハルトにやたらとお熱みたいだが。その趣味が?いや、君の歳ならおかしくはないのか」
「なんでだろう、すごく好きって言ってくれる。僕はなあなあで済ませちゃうけど」
「そら好きなんだろうさ。救いの王子様のことは」
「そうなんだ・・・」
また頬まで沈む。その行動は悶々とした想像を、別にレッタに対するものではないけれど、先ほどから消せない想像を抑えるべく、息を止めていたのだった。しかし膨らみ続ける好奇心は止まるところを知らず、ついに顔を引き上げ小さく尋ねた。
「・・・どれくらいなのかな」
「何が?」
「その、カップが」
「カップ?ああバストか。レッタの?考えたこともない」
「違くて。あの、ラスナと、エミリアの・・・」
「やーっぱ気になるんじゃんか」
「そ、そうじゃなくて!・・・いや、ちょっと気になる」
「はは、意地悪言って悪かった。そうだな、スリーサイズで測るのは苦手だが、俺の見立てだと、ラスナはCかD、まあCだろ。エミリアはドカンとFカップ。Fは堅いな」
「そんなに!」
「ああ、きっとね。身体つきには二人ともそれぞれ個性がある。ラスナは戦士らしく引き締まってるし、エミリアはおっとり優しく、線が丸い。しかし、二人とも共通な非常に良い部分があるね」
「どこ?」
「お腹、胃、腹。ほんの少し、気持ちだけ、太ってるとは見えないほどに、お腹がぽっこりしてる。ほんのちょっとだけだぞ」
ドキドキと心ときめかせて聞いていたハルトは、呆れてズッこけた。別にケーイチのフェチを聞いたわけではないのだ。腹で興奮するとは、なんとまあ特殊と思って、そっぽ向いてしまう。
「あの、ほんのちょっと弓なりになってる腹がいいんだ。特に、鍛えてるけどバキバキになってないラスナの」
「ケーイチのヘンタイ」
「え、なんで」
「お腹で興奮するなんて」
「わかるようになるってば。ちょっと丸くなってる腹を撫でるの、すげえいいんだから。でも一番は唇かな。唇ばっか見ちゃう」
「あ、唇はなんとなくわかる。で、でも、お腹のことはわかんないよ!」
「この野郎わかんないワカンナイって人の趣味を。そういうお前はどうなんだ、どこがフェチだ、腕か指かケツか肩甲骨か、手袋はめた手か」
「ち、違うよ!なんだよ手袋って!」
「ほー、なら胸なんだな。叫ぶぞ、ハルトはおっぱい星人だって叫ぶぞ」
「違うったら!」
「おーい、ハルトはなあ・・・」
「わーっ!やめて!」
本当に叫ぶつもりはなかったけど、真似だけ空気を大きく吸い込んで、仕切りを見上げた。掌添えた口を丸く開けて、熱と焦りで真っ赤なハルトが塞ごうとしてくる。適当な何かを発しようと、言葉を探した。
しかし、声は否応なく悲鳴となる。肺の空気は突如起きた衝撃のために使われた。
「どわーっ!」
悲鳴を上げたのはケーイチだけではない。他も四者四様、それぞれ叫んで、津波の如く湯の波に流された。仕切りはバリバリに砕けていて、男女の境界線が消えるもそれどころではない。異変も異変、かなり特殊な情景が目に映った。なんと巨大な船の船首が、ヌード姿見事な人魚像が、鼻先に微笑んでいる。
続いて聞こえるは若い溌剌とした女の声、それに銃声。
「わーはっはっは!遂に捕まえたっす、海の不届き者め!皆んな縛っちゃうっす!」
「な、なんだなんだ!」
船首から次々と飛び降りてくる屈強な船員たち、取り囲まれる寸前反射的に脱衣所へ走った。皆全裸で仕切りもないのに、互いの裸体が目に入らなかったのは奇跡といえる。それほど異常事態だった。海水交じりの湯は脱衣所にまで到達していて、男女とも全ての荷物がビショ濡れに浸っていた。男の方は、並んで走るハルトとケーイチの、二人の得物がそれぞれの進行方向の逆にあったから、腕を伸ばせば当然クロスする。しかも水浸しの床は滑って危険極まりないから、ぶつかり派手にもつれて転んだ。
「あーッ!」
あわや接吻となりかねないところを直前回避されたが、肝心の剣とカービンは遠くへ滑走していく。なす術なく、お縄となった。
「いたたた・・・なんで打撃魔法でもなんでも使わなかったんだよ!剣いらねえじゃん!」
「ケーイチが急に走り出すから!」
「俺のせいか、えーッ⁉」
「喧嘩せず仲良くするっす。牢屋もきっと同じっすからね」
さっきの女の声、安っぽい喋り方で今度はよっぽど近くにいた。見ると目の前に小柄な少女がいる。赤っぽいくせ毛の茶に大きな瞳、化粧ッ気まるでない肌は子どもだった。本で見た海賊そっくりな恰好でやたら長いダンビラサーベルは床に付き、腹の前に差した短銃は未だ煙が漂っている。彼女は全裸で縛り上げられる二人を爪先から頭のてっぺんまでジロジロ眺めると、吹き出して船員に命じた。
「腰くらい何か巻かせるっす。女の子もいるっすよ」
「へい」
「なんでこんなことをするんだ!僕たちはただの旅人、何もしてない」
「イチモツ見て動じないたあ、たいそうマセたジョーちゃんだなオイ!」
「何もしてないかどうかはこれから判るっす。それから嬢ちゃんじゃない、大人っすよ」
「ふん、見てくれはレッタと変わんねえじゃねえか」
「お前たち何者だ、海賊なのか?」
「それは偏見っすよ。我らは由緒正しき・・・」
「ハルト、ケーイチ!」
反撃に失敗し引っ立てられる女子たちの登場が、腰に布を巻かれてからで助かった。彼女たちもまた、胸から下は布で覆うことを許されていたが、出っ張る胸部を避けて捕縄が結わえられていた。胸の無いレッタは胴を手筒花火よろしくぐるぐる巻きにされている。ただ、連行するのは女性の船員だった。
「二人とも大丈夫⁉︎」
「こらー!ハルトさんに何かしたらすっごいすっごい怒りますよ!」
「威勢のいいお嬢ちゃんっすね」
「子ども扱いしないでください!」
「静かにするっす。『龍眼の短剣』を大人しく差し出してくれたら、牢には入れずウチで雇ってもいいっすよ」
「なんだそのクソダサい名前」
「しらばっくれてもダメっすよ。調べればわかるっすから」
どうもこの海賊紛いは何かを探しているらしい。当然身に覚えのないことで、横隊に並ばされた一行は顔を見合わせた。船員たちが四人の荷物を持ってきて中身をひっくり返す。
「ちょっと!人の持ち物に触らないでよ!」
「そう言うならよっぽど見られたくない物でもあるっすかねえ」
「私たち本当に知らないの、龍眼の短剣なんて」
「それがどんな物かさえ知らないんだ」
「短剣は、ケーイチさんがいつも腰に提げてる野暮ったい物しかないですよ!」
「野暮ったくて悪かったな」
「船長、荷物の中にはないみたいです」
「じゃあ凶器のどれかに仕込んで隠してるっすかね。短剣は、と」
少女は一括りにされている長物の中から、ケーイチの銃剣を結合されている弾帯ごと手にした。初めて見る拵の、ワイヤーカッターの爪や着剣具を指でなぞり、せせら笑った。
「手の込んだ改造っすね。柄までこんな変な風にして」
「じゃあ抜いてみろ。そりゃな、もらった時『89式多用途銃剣』と聞いたぜ」
「つまり龍眼の短剣っすね。抜くっすよ」
柄留めのスナップボタンを外してゆっくりと抜く。少女の目には、美しくあしらわれた龍の刻印と宝石が輝くはずだった。だがアテが外れる、真っ黒な刀身にワイヤーカッター用の穴が空いて、上部には鋸の刃が、そもそも煤けた黒染のどこにも刻印はなかった。銃剣を鞘に収めると長く溜息を吐く。
「どーこにあるっすか。早く吐いてくださいっす」
「持ってねえって」
「そんなに強情張るなら、身体に聞くしか・・・」
「船長!こんなものが!」
「なにっすか?」
未だ荷物を漁っていた船員がハルトの持ち物から書類を見つける。それは、これまでドントール団討伐やメトロポリスでの功績を認めた感状であり、町長や行政府長の印もあって身分証明書ともいえた。渡された少女は一から目を通していき読み進めると、得意げに持ち上がる頬はみるみるうちに蒼ざめていった。
「これ、本当にあんたたちのっすか?」
「そうだ。偽造したり盗んだ物なんかじゃない、印だって本物だ。この街の役人に確認してみたっていい」
「と、なると・・・」
「船長、人違いですか?」
「そうなるっすね」
冷汗かきまくってニヤニヤする少女と船員たち、縄は無言のうちに解かれていって自由の身となる。
ケーイチはさっきから腰の布が緩くって仕方なかった。縄が解かれたから抑えようとして手を当てると、寸前で布は落ちた。




