第14話 地下室にて
どこをどう逃げたものか、ラスナはケーイチを担いだまま走り続け、再びチト地区に戻っていた。今度は、食品貯蔵庫だったのか、廃屋の地下室が運良く空いていて寝床に決めた。ケーイチの腰は痛んだまま、持病としての腰痛を引き起こすほどではないかもしれないが、装備を身につけて歩くには多少の困難がある。地下室に着いて腰を下ろすとすぐ寝てしまい、翌日ラスナが、ケーイチが寝てる間に薬と食料を手に入れてきてくれた。いつのまにか着替えて私服だった。
「ただいま」
「おかえり。街は大変だったろう」
「ううん、街までは行ってない。この地区の隅で市場開いてたからそこで買った。馬肉もね、あったの」
取り出したのは馬肉のスライス、食べるためではなく湿布するため。世界史の授業でこの湿布について聞いたこともあった気もするが、用法が同じかは判らない。ラスナは馬肉に薬を塗りたくってくれたのでケーイチは上半身裸になると、彼女は赤面し昨晩から結んだままのツインテールが跳ねた。
「いきなり脱がないでよ!びっくりした!」
「そうだな、悪かった。着て待ってる」
「べ、別にまた着なくてもいいから。ほら、背中出して」
「ん」
ぺたぺたと冷たい感触が熱を帯びる患部に染み入って心地よいが、それ以上に直接肌に触れる、さすってくれるラスナの掌が脳をじんわり溶かして気持ちよかった。夢心地に目を閉じて楽しみ、ちょっと甘えた素振りを見せてみる。
「ねーちょっと背中掻いてくんない」
「いいわよ、どこ?」
「右肩甲骨の下あたり、そうそうその辺・・・今度は真ん中、背骨のとこ、あー気持ちいい。次はね、腰の下らへん」
「ここは自分で掻けるでしょ、はいおしまい。ああ、私も肩こった」
「ありがとう」
ぺしんと軽く叩かれて、最後布切れで湿布を固定すると施術は終わった。シャツを羽織るとゴワゴワするがそのまま弾帯を巻くのには具合がよさそうだった。ラスナは首を伸ばすと自分で肩を叩いて、ケーイチは自分を担いでくれていたことを思い浮かべる。彼女の肩でも揉んでやろうと身体を起こした。
「肩揉んでやるよ。俺と装備を担いで疲れてるだろう」
「じゃあお願い」
ラスナの肩に手を添えると、どこが凝っているのか判らないくらい柔らかいままだった。これも若さか、と22歳のくせしてオジンじみた感想を抱き首根っこの親指に力を入れた。ツボだったのかほぐしてほしいとこだったのか、実に気持ちよく声を上げて、少しドキリとする。
「あ~ん、そこきもちぃ」
「なんてぇ声出すのお前。しっかし若いな、全然凝ってるように思えないけど」
「よっぽどね。昨日はあんなに重いもの担いで走り回ったから。上手いわねケーイチ」
「親父の肩をしょっちゅう揉まされてたから」
「お父さんも重労働の仕事してたの?」
「うんにゃ。サラリーマン」
「なにそれ?」
「机仕事だよ、官吏みたいに」
凝りらしきものは見つからないままマッサージは終わった。それからは一日中じっとしていて、困ったのは食事、ケーイチのザックにはメスキットという容器はあるものの煮炊きできるものは入ってなく、もちろんラスナも持っていない。割れた鍋一つ転がっていないので、夕方になってからその辺の浮浪者に法外な金を払って錆びた鍋を借りた。いくら洗っても落ちない汚れがこびりついている。野菜と肉をごった煮して塩を振っただけの物、お世辞にも美味いとはいえない。
「エミリアがいたらなあ。もっとちゃんとした調理器具や食材を作ってもらったのに」
「いえてる、けど、あの子の故郷では畑や牧場もやってた。食材は作らないのよ」
「なんで?」
「知らないわ。物は作れる、というより複製できるけど」
「でも病気や傷なんかは治してくれる」
「本人の健常だった時の情報を得て作り直すんだって。聞かなかった?」
「聞いた気もする」
「だから一から食材を作るってことは、無理なんじゃないかな」
「対象の情報を得て作るってんなら、できそうな気もするんだけどなあ」
ケーイチのぼやきの中には、再びこの世界の中途半端な都合の良さに対する呆れが含まれている。神の顔を思い浮かべて、一体何が平和にしろだ、どうせ魔錬術師なんていう存在を作ったなら、まず衣食住の全てを編み出せる性質を持たせるべきなんだ、世界の争いなんざ大体それで解決する、と、文化や人間の際限なき欲望に基づく不幸や争いは無視して頭をもたげた。同時に、なぜ自分の住んでいた世界には中途半端なものでも人智を越えた都合の良さが無かったのだろうと、どうせ戯れに創生された気がして怒りを交えた不快が過った。食欲もなくなる。もっとも量のない食事で皿は空になっていたが。
「でも清潔な鍋くらいは、きっと作ってくれたわね」
エミリアのいないこと、たとい彼女の力が都合よく不便だったとて、ケーイチたちにもたらしてくれていた恩恵は大きい。ケーイチも力に対する疑問はあれど純粋に感謝していた。なんとしてもハルトと共に奪還しなければならない、そう思うのは能力の有無に関わらず、これまで危機から救ってくれたからというわけでもなく、仲間としての使命感があった。それに自分はともかく、三人の誰が欠けてもこの旅は成り立たないのだから。
「腰はなんとかなるとして、どうしようか」
「そうね、二人を助け出して、あの魔法使いとジューコとかいう男をどうにかしなきゃ」
「まずは魔法使いをブッ殺してえとこだけど、あんな味なマネをしてくるから、常人のジューコからか」
「次なら、あの事務所どうかしら」
「一度敵が来た道、魔法の罠はないだろう。俺たちに興味はないって言ってたし」
「でも忍び込む方法を何か考えなきゃ。そのまま行くんじゃ、自警団の目もあるし、きっと今度は検問も通れない」
「ああ、そうだ。いや、でもなあ」
「なあに?」
忍び込むということ、そして事務所前で空に留まる魔法使いに翻弄されたこと、この二つから思い浮かぶことがあった。空からどうにかできないかと。
「レッタの力は借りられないかなって」
「あの子?」
「うん、空から降ろしてもらう。彼女は鳥人族の仕事として荷物の配達なんかを請け負ってたそうじゃないか。俺たち二人を運ぶのは無理かもしれないけど、一人ずつならできるんじゃないかな」
「そうかもしれないけど・・・私たちはあの子を助けようとしてるのに、危険な目に遭わせるわけにもいかないわ」
「そうなんだよ、ちょっとかわいそうだ。他の団員も許すかっていったら怪しいし」
「でもあのサーカス団に力を借してもらうことはできるかもね。行ってみましょうか」
「おう、サーカスには色んな技を持った人間もいるしな。知恵が得られるだろう。検問突破するくらいなら俺たちだけでもなんとかなる」
とにかくサーカスへ向かうことで一致した。敵として誤認してしまった相手に助けを求めるのも厚かましい気がしたが、ある程度信頼のおける知己というのは、ここではグリーク・サーカス団しかいない。二人が街中をうろつくのも危険でもいつまでもこの地下室にいるわけにもいかなかった。匿ってくれることくらいは期待して、やることが決まると同時にあくびが出た。
「もう寝ましょうか。朝市の出る時間なら人も多いから行きやすいし。早起きしなきゃ」
「そうしましょ。寝間着に着替える?あっち向いてるけど」
「そうしてもらえると助かるわ。見・な・い・で・ね」
「見ないよ、見てえけど」
「なんか言った?」
「なーもよ」
ラスナがちょっと呆れた息を吐いて、彼女は自分の鞄から寝間着を出した。ケーイチは寝っ転がって逆を向き、しゅるりとリボンを解く音、外されるボタン、肩から上着を脱ぐ衣擦れ、耳に入ると気になって少し顔を向けようとした。すぐさま小石が飛ぶ。
「いて」
「すけべ」
「違うってば。なんもしないって」
「どうだか」
「俺が寝込みを襲うとでも?」
「さすがにそこまで警戒してないわ。でも、触んないでよね」
「触らん触らん、俺はヘタレだから」
「そーいう問題じゃないでしょ」
「ラスナは美少女だ。可愛いことに疑問の余地はない。男は皆、君をモノにしたいって思うはずさ」
「へ、平気でそういうこと言えるのね!誰にでも言ってるんでしょ」
「幸い俺と知り合う女の子はみんな美人だからね。可愛い娘には正直にそう言うさ。でもモノにしようってんじゃないぜ。ハルトがおるからな」
「またそういうこと言って!」
「照れるなよ、そっぽ向いてても顔が赤いことがわかる」
実際ラスナの頬は、ケーイチの指摘通り紅さしたみたいに火照っていた。ハルトのことを思い出してのこと、恋愛を仄めかせられるとやはり身体は熱くなってしまう。囚われの身の彼が今どうなっているのか心配ではあるけれど。着替えが終わるとバシンと勢いよく横になって不貞腐れたように言った。
「お・や・す・み!」
「はいおやすみ。悪かった、怒るなよ」
「別に、怒ってなんかないし」
「そのもどかしさ、きっとラスナをもっと綺麗にしてくれるだろうよ。恋する乙女は美しいってな」
その言葉は些か真剣みがあって、嘘とは思えない。照れてしまう顔を隠してマントを被った。
「・・・そうかな」
「そうとも。女に関しちゃ嘘は言わん」
「そっか、ありがとケーイチ」
「いやに素直だな。嬉しそうな声の方が好きだ。じゃあおやすみ」
ケーイチも自分で言いながら少し照れてジャケットを被った。間も無く健やかな寝息が聞こえてきてラスナの方を見る。こちらに身体が向いていて、美しい寝顔に少し開いた唇、出入口から漏れる月明かりに照らされて艶がかっていた。下心無しに見惚れてしまう。だが顔の前に曲げて揃えた腕、奥に寝巻きの襟元から少し覗く胸の谷間でドキリとした。純情台無しに、エミリアほどじゃなくとも良い身体してんじゃんと、思ってしまうと自分に呆れた。
「やだなあ俺も。もうちょい、淡く心で生きなきゃ」
溜息吐くと目を閉じた。早起きだというのになかなか眠れない夜だった。




