第9話 上流階級獄舎
馬車の中で三度反吐を撒き散らせたケーイチは、乱雑に牢の中へ放り込まれた。彼を運んだ団員は吐瀉物を処理した恨みから口汚く罵って鞄をぶつけた。
「あんなに吐きやがって!てめえは飯抜きだ!」
「いらねえよ腹ン中爛れてんだから!」
未だむかつく胃は水を欲しがる。しかし所望しても悪態つくだけで団員は錠を下ろして行ってしまった。一人になったと思ったら気配がある。牢の壁際を振り向くと、幾人かの中年初老男が膝を抱えていて、一人が側のバケツからコップで水をすくって差し出してくれた。
「若いの、飲みなさい」
「ありがとう。あんたたちは?」
「おそらく君と同じだろう。人質ってやつさ」
「人質?なんの」
「ドントールのさ」
「じゃあここはアジト」
ケーイチは舌打ちをした。たしかに連れて行くとベドーは言ったがこのことで、しかし袋詰めの上馬車の幌は閉ざされていたからどんな場所にあるのか皆目見当がつかない。牢を同じくする人々に聞いても無駄であろう。人質に取られるくらいなら大した身分なのだろうと、溜息まじりに尋ねた。
「あんたたちはどんな身分なんですか」
「儂は金貸しだ」
「私は町長」
「庄屋」
「官吏です」
「宿の主人だ」
「主人?大柄な奥さんがいる宿の?」
「おそらくそうだろう、家内は他の宿屋の細君と比べても太ってるから」
「私はそこに泊まりました。暗い顔の意味がやっと判った」
「おお、そうか、お客さんですか。家内は元気にしてますか」
「ええ、よく世話してもらいました。結局昨日だけになりましたが。私はイシヅカってんです。皆さんどうぞよろしく」
「よろしくもなにもこんなところだが。イシヅカ君はどんな仕事をしてたのかね。誘拐されてくるくらいなら」
「ええどんな身分たって、大したことないけど、貿易商の息子です。休暇旅行の途中でした」
「貿易商なら大丈夫だろう、良質な食事が貰える」
「どういうことです」
「月初に、我々の家族は身代金・・・解放されるわけではないが、それを要求される。その額によって食事の待遇が変わるのだ」
「大した違いはないですけどね」
「しかし私はこの国の貿易商じゃない。そんなこと言や飯がもらえない。連れだって大した金は無いんですから」
「鞄の中を見たまえ」
先ほどぶつけられ転がされたままの鞄を持ち上げた。重量感がまるでなく、逆さにして中身を落とすとパイプにシガレットケース、備忘録と筆記用具だけだった。金とシグ煙草、移火、もちろん拳銃も取り上げられていた。
「あッ!」
「価値のある物は皆無くなっているだろう?」
「シグまでやられちまった。煙草はどうしてんです」
「葉が週に一度もらえるだけさ。仕方なしに、煙草喫みはパイプだけくわえてる」
見ると、官吏と町長がくわえているパイプからは煙が立っていなかった。ひどく重苦しい空気はこれが原因でもあるのだろう、ケーイチはいい加減苛立ちが甚だしく、額に筋立ててシガレットケースを手に取った。
「煙草ならあります、蝋燭を」
「おお!」
牢内にどよめきが起きた。やはり紙巻は初めて見る人々で、まずケーイチが手本を見せて喫い、一本を回し喫み代わる代わるに明かり取り窓の側に立つ。金持ちの面々は一度はシグ煙草の恩恵に預かったことがあると見え、他の誰かが惜しそうに吐き出す煙にも鼻腔を広げた。
「変わった煙草だね。しかし中身は紛れもなくシグだ、客が返す金の代わりに持ってきたのをやったことがある」
「高利貸だっけねあんた。飯もいいんでしょう」
「副菜が一つ余計に付くばかりだ。ほら来た」
廊下から靴音と鍵のかち合う音が響いて近づいてくる。小指の爪くらいもない吸殻をケーイチは受け取って擦り消し鞄に放り込んだ。
「飯だ!なんだ、煙草臭えな」
「新入りの俺がさんざ喫ってから来たから、その残り香だろう」
「残り香だと、気持ち悪いこと言うんじゃねえ。とっとと食え」
小物出し入れの小さな格子が開けられて、目印の付く板きれの盆に食事は乗っていた。結論から言うと、食事抜きと言われたケーイチの分もあった。それぞれの板を持ちケーイチも自分が名が書かれた物をもらうと金貸しと同じメニューで、一番上等らしい、カビの噴いてそうなパンに副菜が二つ、スープには見えないくらい小さな肉が漂っている。一番下等なのは官吏の物で、パンはケーイチの物の半分、副菜なし、スープには僅かに油が浮いているだけだった。
「イシヅカ君、煙草をもらっておいて悪いが君も協力してくれたまえ。諍いを避けるためここでは食を平等にしている」
町長の方を見ると彼は自らのパンをちぎり官吏に与え、金貸しはまた町長にスープをすくって移していた。食の不平等が目の前で行われているというのはどんな悲劇をもたらすか想像に難くない、食事を分けるのに一番積極的なのは金貸しだった。襲われない保証を牢内の人間によって行う原始的な社会がある。ケーイチは食欲が湧かず皆の前に盆を差し出した。
「今いらないです、皆さんで分けてください」
「それは止した方がいい、若いんだから後で欲しくなることもあるだろう」
「といっても、到底足りない量だろうがね」
「そうですか、じゃあ無理やり食べます」
大したことはない食事、更に大したことはなくなって、スープに全部混ぜてしまえば一度に飲み込めそうな量だった。到底一日のカロリーを補えるはずもなく、早いとこ脱走した方がよさそうだった。




