第6話 「愛の対話」とは
ラスナだけでなくエミリアもハルトもいた。一同全身燃え上がるように肌が赤く、目も丸く見開いて、ラスナは震える腕を伸ばしてケーイチを指差した。
「な、な、なんでキスしてんのよ!誰その人!」
「なにって、その、なあ」
「ケーイチさんのお連れ?」
「ま、そう」
密事を目撃された時のケーイチの癖、平静を取り繕って流し目をする。ラスナは詰め寄って彼の腕を掴みスーミから引き離す。次いで宿への帰り道に連行し始めた。ケーイチはよろけながら手を振り、スーミもまた応じながら店に帰った。
スーミの商売部屋では件の男が既に服を脱ぎ待っていた。彼は入ってきたスーミの軽蔑の眼差し全く受け付けず、いきなり唇を押し当てる。
「待ってよ、ベッドで」
「随分と長い見送りだな、え?金持ちだから情を持ったか」
「そんなんじゃない」
「あいつ何者だ。見慣れん物からシグ煙草の匂いがする」
「煙草を紙に巻いて喫ってた。旅してるんだって」
「シグ煙草を持って旅してるのは、どっかのボンボンだろう。なんて名だ?」
「イシヅカ・ケーイチ、そう言ってた」
「そうか。ふーん」
「それがなに?」
「関係ない。早く寝ろ」
「あっ」
シグ煙草を持つ金持ち、ただの金持ちではないと男は踏んだ。よっぽど街の有力者でもないとそれは嗜めない。悪党どもの悪党たる一つの手法として思い浮かぶ奸計が男に舌舐めずりさせて、スーミの目に醜く映った。
宿へ着いてもラスナは放免してくれぬ。ベッドの隅で小さくなって一服つけるケーイチにガミガミ罵倒を浴びせた。エミリアは赤い顔のままで傍観し、しかし助け舟を出してくれるわけでもない。
「恋仲でもないのに手は出さない?あんなことしてれば同じでしょうが!見損なったわ!」
「見損なうも何も、仕方ないじゃないか・・・酒飲んでたら、いや飯食ってたら女の子が来て、その、仲良くなっちまったから」とってつけたような嘘は、本当かどうか彼女には関係なかった。
「ヘンタイ!スケベ!なーにが仕方ないのよ!迷子になったからって心配して探してみれば、あ、あ、あんなこと!」
「さあなんかしたかね、俺」
「しらばっくれて!」
投げられた枕が後頭部に命中し、ケーイチは煙を飲み込んでむせた。後ろめたくはあっても謝ることでもないとタカを括っていて、口喧嘩になるような反論もしないでおこうと思っていたが、物を投げられたとなると苛立ちもする。気色ばもうとしたが、しかしラスナたちの歳を考えて、確かに非常識。見てしまえば嫌がることでもあろう。
「そりゃ、誰しも大人ならそういうことないわけじゃないけど」
「開き直ってるのが腹立つわねー!開き直れるような立場にあると思うの!?あなたは大人でもなんでもいいけど、私たちといるんだから、もっとこう考えなさいよ!」
「すんません」
「いきなりそんなことしててびっくりしたのよ!もう知らない!」
「ラスナ!」
ラスナは怒ったまま出ていきハルトが後を追った。ケーイチはしばらくじっとしていて、あくび一つ伸びてベッドに寝っ転がると、エミリアがまだいたことに気づいた。瞳に怒りの色がなく、同情とも呆れともとれる態度で笑いかけた。
「エミリア」
「大変だったね、ケーイチくん」
「いや、まあ。別に悪いことしたわけではないけど、図らずもそういう世界を見せてしまったから、悪いとは思ってる。軽蔑したかな」
「どうだろう、びっくりはしただろうけど。私は、自身の性的趣向に沿って身体が成長していけば、心も伴ってそういう気持ちにもなるっていうのはわかるよ。私やラスナは、その成長の途中」
「俺は気持ち悪がられたってしょうないぜ」
「節操がないのもいけないよ。ケーイチくんが誰に乱暴するわけでもなくしてることなら、強くは言わないけど」
「自粛します、はい」
「いや、ハルトくんも連れてったよね。まさか・・・」
「あら聞いてない?彼は何もせず帰ったよ。俺が無理やり連れて行ったようなもんで、悪いことした」
「ならいいけど・・・」
エミリアはまっすぐ前を向くとしばらく押し黙って、シーツをきゅっと握った。ケーイチの腕に指先が当たって、力を込めているのか熱く火照る。眺めているケーイチはどことなく色気を感じて目が離せなかった。大人の色気というよりはまだ思春期真っ盛りの、性欲に対して興味と恐れが混じるものの好奇心の方が僅かに勝り、それでいて優等生らしく無理な背伸びをしない心を隠している気でいるのが、男女のやり取り一連を終えたケーイチの目には瑞々しい果実の如く映る。果実を取って食おうというのではなく、むしろ自身のその頃を思い出して懐かしむだけだった。ただ、胸だけは心なしか鼓動を高く打つ。
前に向けていた首をいきなりケーイチに向けた。エミリアの目、片方は眼鏡の反射で白く、却って片目の丸さが際立って見えた。
「ねえ、そんなにいいもの?」
「なにが?」
「その、セックスって」
一度、鼓動が限界突破する。しかしその一回だけで、あとは、行為の対象として自分に目が向けられないことは知っているから冷めるように落ち着いた。エミリアの視線の先に見ているオトコがいるのだとすれば、それはハルトのはずである。
素直にセックスという言葉が出てくるのは如何にも優等生らしい。ケーイチは煙草を擦り消すと唇を舐めた。
「好きな人は好きさ。俺の場合は・・・想像に任せる」
「そういう感覚を得ようとするなら、一人でもできるのに?」
「さあ。でも一人で処理するのとはやっぱり違うと思うよ俺は。互いを求めることは。身体全体を使う・・・そう、会話みたいなもの」今夜の場合、一方通行だけど。と密かに苦笑いした。
「会話、か。おもしろい表現だね。女の人も求めるもの?」
「女もやっぱり生きものだから、そりゃ求める。男と女じゃそのことに関する感じ方は違うらしいし個人差はあるにせよ、結局は同じなんじゃないかな」
「じゃあ、ケーイチくんの相手で一番楽しそうにしてた人はどんなだった!?」
話を聞いていくにつれて近づいてくるエミリア、勢い余ってケーイチに被さるように、鼻先同士火花散らしてぶつかった。さすがのケーイチも赤面して、眼鏡の向こう側に爛々と好奇心旺盛な瞳を見つめていると、エミリアはハッとして離れた。
「ご、ごめんね。つい熱が入って」
「構わんけど、えらく興味がお有りなんだねえ」
「世の中ありふれてることだけど、私は経験ないから。でもいつかは経験するかもしれないことだから、どうしても気になって」
「そこに君の学者肌が加わるわけだ。そうだな、いつか、ね。俺もこんな得意げに語ってるけど、これは本義とは外れた行為の話だからね。よく解ってると思うけど」
「本義?」
「本来子作りだから。脳味噌溶けちまうくらい気持ちよくて人々は楽しんでいるし、避妊法もあれど、そもそも子を作るという行為だ。子ということの責任に関しちゃ、俺は何も言えない」
その点においては自分もまた子どもであると重々承知で、ケーイチは責任なき性欲は身勝手なのかもしれないと、行動と矛盾するような思想がぼんやり頭を漂うのだった。エミリアは、ケーイチに子がないことから彼の言葉は文字通りに受け留めて「たしかに子作りだもんね」と、興奮醒めて頷いた。
ケーイチが経験した一方通行でない本当の対話、そのサンプルは非常に少ないものでも存分にロマンス込めて語れる自信があったのだが、最早続きを話す空気ではなくなった。それで良いのだろう、相手は子どもである。
扉がノックされてハルトとラスナが戻ってきた。どうやらハルトは、ラスナをずっとなだめてくれていたらしい。ラスナは今一度ケーイチを睨みつけた。
「・・・エミリアに手を出していないでしょうね」
「えっ!?」
「出さない出さない」
「そ、ならいいわ。ケーイチ、ハルトに無理やりさせなかったから今回は許してあげる。でも、今後絶対ハルトを盛り場に誘わないで。いい?」
「わかってる、すまなかった」
「ハルトも!ついて行かないでよ!」
「わ、わかってるよ!」
許してあげる、とはご挨拶だと思ったが、ケーイチはラスナにショックを与えてしまったことは確かだからもう反論はせず、許したか許してないかよくわからない態度でいられるよりはよっぽどマシだった。巻き込まれたハルトには心からすまないと思い、彼が横目で見てくるのに対して顔の前に手を伸ばし謝る姿勢。
これでこの騒動は終いだったが、何か一つ忘れている気がする。
「あ、大事なこと言い忘れてた」
「なに?」
「さっきの店で、ドントール幹部に偶然会った」
上がる驚嘆、女主人から迷惑だと叱りを受けるほどだった。それに謝ると急な険しい顔を寄せ合って、緊張にそれぞれ唾を飲んだ。夜は更けていく。




