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副・救世主は悩ましく  作者: 小山モーゼル
第六章 異世界残侠伝
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第11話 悪戯

 人ごみに混じったままそれっきり姿を見出せないラスナを、相当探したはずだった。ハルトとエミリア、レッタと獣人姉妹で分かれて捜索を続けたが、結果もちろん見つからず、それどころかハルトらはレッタたちとも再会できずにいた。

 広場の端には、僅かな丘陵を成す小さな林があった。ハルトとエミリアは木々の茂みに立ち入り、会場を見下ろせないかと目を皿のようにして探したが、知り合いも一度フイズの顔が見えたきりで、それもすぐに消えた。


「いないね」


 エミリアが息を吐き肩を落とした。ハルトも首を振り、途中で喉が渇いて買ったレモネードを口にする。すっかりぬるくなっていて変に落胆するのは、ラスナが見つからない苛立ちも手伝った。


「スープみたいだ」


 眉を顰めてぼやくと、エミリアはひょいと手を差し出して「貸して」と微笑んだ。ハルトは首を傾げてグラスを渡すと、彼女の白い指先が手に触れて、冷たさに心臓が上ずった。彼女は両手でグラスを包むと目を瞑る。

 それはほんの一瞬であった。エミリアはぼうっと蒼白く優しい光を身体に纏い、短い髪の端がふわり浮かぶ。周囲の空気が途端に涼しくなるのをハルトは感じた。蛍火のような輝きを終えて、彼女はグラスを返した。


「冷えたよ。どうかな?」


 受け取るとハルトは驚いた。グラスはすっかり清涼を取り戻し、手が洗われる水滴が肌に心地よかった。上機嫌に喉を鳴らし、一気に倦怠感も吹き飛ぶ。


「ありがとう!こんなこともできるんだね」

「治療の力を応用するの。一からまた同じ冷たい飲み物を作るのは無理だけど、元に冷やすことくらいなら」

「エミリアも飲む?」

「いいの?じゃあちょっと」


 何気なく渡すと、自分で冷やしたグラスを嬉しそうに掌で感じるエミリア、口をつけるのはハルトの唇の跡が残る場所だった。彼女自身気づかずに飲んでいたのだが、ハルトはすぐに顔を赤らめた。間接キスなんて子どもじみた言葉が、逡巡と彼の頭に流れる。いつしか身体を温めるため酒を飲んだ時もケーイチやラスナとも同じ容器で回したが、今は危機的な状況でもなく、むしろ情緒を求めてもいいような雰囲気が、エミリアの唇を意識させた。


「おいしかった!ありがとうハルトくん。はい」

「う、うん」

「どうかしたの?」


 ハルトが頬を染めているのは照れているからだと、それはエミリアにも判った。なぜ、と一瞬考え始めたが、彼の視線はグラスの縁に注がれている。答えは自ずと出て、今しがたハルトと飲み口を共用してしまったことに赤面する。彼は、どこに口をつけたらいいか迷っているようだった。自分が飲んでいた所を同じくするかそれかわざわざ別の個所にするのか、どちらがエミリアにとって適切なのか、()()を返してもいいものなのか。真剣に悩む様はあまりにも可愛く見えて、彼女は思わず唾を飲み込んだ。男子に対してかわいいという感情は新鮮過ぎて、伸びる手は止まらなかった。もしキスをしてしまった時の反応を見たいという欲望は、グラスの底に軽く当てられた。


「んっ!?」


 エミリアがグラスをそっと押し上げると、ハルトは彼女の跡にくちづけした。目を丸くして驚き、それでもちゃんと一口飲み込む。冷やされたレモネードは、ハルトの中で再び燗につけられた。


「いやだった?」


 嫌なわけがない、少年の淡い心からしたら、ただ単に美少女と間接キスができたというだけでも果報である。それよりも、ハルトの心臓を甘い爪でかき乱そうとするのは、グラスに指を添えてきたエミリアの言葉が「わざとだよ」と言っているに等しいことだった。


「い、嫌なわけがないよ」

「そっか、嫌だったらどうしようって心配しちゃった。どんな味がしたの?」

「えっ!」


 とん、と背で押す格好でエミリアはハルトに身体を当てる。そのまま首を曲げて眼鏡の鼻先が頬にキスした。「ねえ、どんな味?」

 身近な青年であるケーイチならどう言うのだろうと、むやみやたら脳内に彼を作り出そうとするが、出てくるわけがない。実際ケーイチなら「悪ぃ女」と笑っただろう。ハルトはどうしてもエミリアに顔を向けられず、頬の鉄板に汗が弾けて呟いた。唇=甘いと浮かんだのは、唄の歌詞か何かからの連想ゲーム。エミリアが、苦くもなければ辛くもなかったのは確か。


「甘い・・・味かな」

「甘い、ほんとう?」

「ほんとうだよ、甘かったよ」

「そっか、()()()って甘いんだ」


 初めて知った風な口をきく、いや本当に自分の遺伝子を含んだ跡が甘いなんて言われたのは初めてだけれど、如何にもなんでもないということのように復唱したのが、却ってハルトを振り向かせた。小悪魔的な、これまで知る由もなかったエミリアの影だった。紅い舌が唇を舐めて再び口腔内に収まると、心臓が跳ね飛んだ。祭りの火に光る唇への視線は、彼女は当然気づいていた。口紅引いた時の仕草で唇結び、離すと軽く水音をわざと立てて、視線がより熱くなって震える。ハルトが自分に対してここまで血潮をたぎらせているのがたまらなく嬉しかった。ただ惜しいのが、彼のこうした表情を引き出せたのは心のやり取りというよりは自らの仕草であったこと。

 ハルトとの心の交流からなる赤面を求めているのは明白で、告白だってしてもよかったかもしれない。だが現時点においてそれは、こうまでしてなお確実で揺らがない根拠を持ちえない恋愛の成就ではなく、ただ彼の新鮮な少年としての発露を味わいたいからだった。心を動かすためになんでもしてあげたいと思うのは、裏を返せばエミリアのわがままでもある。大胆でもあった。告白したってきっとハルトは自分を悦ばしてくれる反応をくれるだろうと、こればっかりは確信できた。

 戯れに手を取ってみる。大胆故にいとも簡単に手に触れられた。ハルトの腕はされるがままに持ち上げられ、唇に指が当てられた。


「私の形は?」


 ハルトはおそるおそるエミリアの唇をなぞった。潤いの艶を持って、彼の指をベッドに寝かせるみたいに沈める、熱く濡れる吐息が何もかも溶かしていくように、溶けかけた氷の雫を欲しがって彼女は指をくわえた。夏風邪に見る夢のように背後の風景は陽炎に揺れ、ハルトの中でエミリアの顔ばかり鮮やかに色づいた。


「柔らかい。焼き立てのパンみたいだ。温かくて濡れてる」

「焼き立てのパンか。おもしろいこと言うね」

「外より中の方。ほら、湯気が立ってふかふかしてて。噛むと、じゅわって」

「じゃあ噛んでみる?」


 指に少し歯を立て爪を舐める。汗のせいか感じられる塩気ごと唾を飲み込んで、白い喉を鳴らした。


「噛んでいいよ、そしてこんな風に飲み込んでも。ハルトくんはちょっとしょっぱいね」

「・・・嚙むってことは」

「メガネ、外そっか」


 眼鏡を外しくわえていた指を離した。僅かに引いた銀糸が弾けて光る。裸眼でぼやける像に、彼と彼女を重ねやすいようにと眼鏡を外したことを後悔しかけたが、それはうんと近づくことで解決された。相手も後ずさることなくじっと待っていた。できるだけ真剣にクールに保とうとする姿があまりにも可愛くて、ほころぶ頬は惚けた。

 ハルトの瞳いっぱいに広がる自分の姿がよく見える。戸惑いながらファーストキスへの期待を込めた色に銀髪が染まっていた。彼が初めてであると確信して、しめた!と思ったことは、少し覗かせた舌に出ていたかもしれない。自分だって唇交わすのは初めてなのに、すっかり忘れてまるで意識していなかった。


 ただ、あんまり舌が煌びやかに美しく、紅かったから、ハルトは同じく美しい紅を思い出してしまった。舌が時折見せる秘密なら、それはもっと普段から自身の側にある象徴で、風にたなびく。


「だめだよ、エミリア」

「え?」


 主導権を取られたエミリアは、急に素面に戻って目を丸くする。自分のしようとしたことを後悔はしていないが、途端に恥ずかしくなった。ハルトは彼女の肩を掴むと少し身体を離して下を向いた。


「ごめん、こんなことしようとして」

「え、あ、いや、その、ハルトくんは悪くないよ」

「いや、悪いのは僕なんだ。だって、付き合ってるわけでもないのに」


 ハルトは取ってつけたような理由を発した。それは間違いではないし筋の通ったことであるが、唇拒んだ最もたる理由は、ラスナが頭の片隅に現れたからだった。もし彼女がいなかったら、おそらくエミリアとの現在の関係性には目を瞑って初めてのキスを交わしたことだろう。

 ケーイチにからかわれたってはぐらかすばかりだが、レッタはともかく、ラスナとエミリアを意識していることに相違ないのは解ってる。だからこそ然るべき立場でそういう経験をしたいというのは、ハルトのプライドなのか純情なのか。しかしバストが弱冠気になる程度に下心がないとはいえないから唇受け入れそうになって、冷静になると自己嫌悪。

 エミリアは、ならば告白でもして反応確かめればいいのに、先までの自信も大胆もどこやら、却って縮こまり慌てて隠した頬から湯気が立った。


「エミリアが嫌いなわけじゃないんだ、ほんとうに」


 レモネードの残り半分が飲まれる。ハルトは先から同じ個所に口を付けたが、急激な紅潮はなかった。熱さ残る頬で困ったように笑い、グラスを差し出した。


「かっこつけて、愛してるって誰かに言えたりなんかできたらね。その時が僕の初めてになるよ」


 エミリアもレモネードを飲み干す。今度は彼女の中で燗につけられた。彼の反応より、高鳴る胸を手で押さえてしまう、自分自身のこの反応が嬉しかった。ハルトがかっこつけるなら、自分はどんな態度でいればいいのか、その先はとても考えられなくて、クールにはいられないのだけは確か。


「ラスナやレッタたちを探して、ケーイチも起こしに行こう」


 そう、ラスナやレッタ、二人はこの場にいない。ハルトが彼女の紅い髪を思い出したのをきっかけにキスを留まったとはつゆ知らず、エミリアは卑怯だとは感じつつも、しばし彼を独占できた幸福にニタリとして隣に立った。

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