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「人間であること」を証明するために私ができることは。

作者: 大島千春


私が私であること、

それを証明するために私ができることは。


******


今まで、普通の人生を歩んできた。

普通の親から生まれ、普通の家庭環境の中で育ち、普通の学校生活を送ってきた。


最初に違和感に気づいたのは中学生の時。

今まで普通に食べていた食べ物の味がしなくなった。

味がしないだけならばよかったが、次第に、まるで粘土を食べているような味がするようになった。

吐くほどでは無いが、美味しく食べることはできなくなった。

最初は食べ物がおかしくなったのかと思ったが、周りの反応を見て、自分がおかしくなったことに気づいた。


次に気づいた異変は痛覚がなくなったことだった。階段から転げ落ちても、血が出るような怪我をしても痛いとは思わなくなった。

ある下校の時、交通事故に遭った。自転車で歩道横を通行していた自分と、左折してきた自動車がぶつかった。

ぶつかった瞬間のことはよく覚えていないが、飛ばされるほどではなくとも、なかなかの衝撃があったと思う。

自転車ごと倒れている私の元へ、道の横に車を避け、駆け寄って来るドライバーに、「一瞬の出来事にびっくりしたが、体はなんとも無い」と伝えると、「そんなはずはない、腕があらぬ方向に曲がっていて、腫れている。骨折しているだろう」と言われ、救急車で搬送された。

診察の結果、やはり腕は折れていた。医師は、交通事故直後では気が動転して一時的に痛みが分からなくなることがあると言った。

事故から何日経っても痛みは出なかったが、医師には黙っていた。

痛みがなくなるばかりでなく、回復力も上がっており、骨折は腕の割と太い骨であったが、1週間で治った。

自分でも正常に戻ったような感覚があったので、医師からは定期的に整形外科に通うよう言われていたが、途中から行かなくなった。

友人には心配されたが、痛くもないし、治ってしまったため、心配されると逆にむず痒かった。


視力は格段に良くなった。自分の住んでいるアパートから10km先のビルの窓の向こうにいる人の顔が判別できるくらいには良くなった。

聴力も上がった。隣の部屋のひそひそ声も難なく聞き分けることができる。


眠らなくなった。眠たくないし、眠らなくても問題なく動けるようになった。夜、1人で自分だけが起きている異常さを知った。

温度がわからなくなった。暑い、寒い、熱い、冷たい、全てがわからない。「今日あちーなー」と言う友人に合わせて半袖になったり、「寒い寒い」と言う友人を見て長袖を着たりした。


心があまり揺れ動くことがなくなった。

泣ける映画を友人と観に行っても、自分だけ泣けない。

担任が面白い話をして、みんなが大爆笑していても、自分だけ笑えない。

どんなに自分に迷惑をかける行為をされても、全然気にならなくなり、怒る気が起こらない。

みんなが「泣けた」と話しているのに、自分だけ「そうでもない」とか言ったりはできないから泣いたふりをした。

1人だけ笑ってないと「お前どうしたの」と言われるんじゃないかと怖くなり、無理やり笑顔を作った。

普通の人は怒るようなことでも、「面倒だなー」とは思っても、キレたりはしなかった。しなかったというより、むしろ、できなかったんだけど。


普通の人と同じ感覚を失い、心の機微もわからなくなった自分は、まるで異世界を生きているような心地だった。


******


「なぁ、お前って無関心だよな。」


そう、言われたのは高校2年生の初夏。クラス替えの後。八方美人な自分は誰にでも優しいとクラスのみんなから言われていた。

友達は多く、一見すれば仲よさそうに見えただろう。

実際には、みんなが心を動かすような出来事に共感できず、周りの顔を伺いながら、うわべを取り繕っていただけとは知らず。


それを見抜かれたのはそいつが初めてだった。

見抜かれたところで、こいつは多弁な方じゃないし、周りのみんなに言ったところで、信じてもらえないだろう。周りのみんなは自分の演技にだまされきっているのだから。

つまり、こいつがこの事実を知ったところで自分は何ともないわけだ。


「だから何?」


だから、私も取り繕わないことにした。

さぁ、なんとでも言え。自分は気にしない。というか、感じる器官が欠落してるから、感じる心もないのと同じだ。気にしないというか、気にする能力が存在しない。


「何も思わないことに、なんとも思わないのか。」

「思うも何も、そう感じることが、自分にはできないみたいだから。」

「ふうん。」


そいつはそう言って少し黙った。

私は何もいうことがないので窓でも見ていた。


「昔は違ったのにな。」とそいつはボソリとつぶやいた。

私は聞かなかったことにした。


******


その日から、そいつが私に付きまとうようになった。といっても、本当についてくるだけである。朝、私が登校する前に僕の家の前で待っていて、私たち2人は何も言わず学校へ向かって歩き出す。

電車に乗る。人混みに紛れ、しかし無言。

駅から学校まで歩く。

無言。

教室に到着し、自分の席に着く。

無言。

私達に表情が現れるのは他の人間と話す時のみだ。

「昨日のテレビ見たー?〇〇が出てるやつ!」

あー、あれね。今話題の俳優の。新しいドラマの主演なんだって?すごいよね。

終始笑顔。その人間が笑えば、自分も笑う。その人間が驚けば、驚いたような顔をする。モノマネしているようなものだ。

そんな私の様子を、そいつはじっと見ていた。


******


「お前の表情は嘘ばっかりだ」


そいつは私についてくるようになった1週間後ぐらいの放課後、そう言った。


「嘘をつかないとやっていけない」

私は言った。


「痛くない暑くない寒くない眠れない匂いもしないし味もわかんない。花を見て綺麗だなんてわかんないし、感動する話を聞いてもなんとも思えない。こんな状況ではみんなと同じように笑ったり、泣いたりなんてできるわけないじゃない!」


彼は無言で私の話を聞いている。


「私がみんなと違うことを思い知らされる!私もみんなと一緒がいい!なんで違うの!?なんで私は自然に笑えないの!?1人は嫌!嫌なのに!!」


その言葉を聞いた彼は口元に微笑をたたえながら、

「嘘なんかつかなくても、感情はあるじゃん。」

と言った。


「他の人と話す時に全部正直に自分の気持ちを出せっていうわけじゃない。だれだって、他の人と同じ気持ちになれない時はある。ある芸能人の結婚だの離婚だので一喜一憂できる奴がいても、その芸能人を知らない奴には笑えないし泣けないだろ。お前以外のみんなもそんなもんだよ。その時に、馬鹿正直に『そんなことどうでもいい』って言ったら反感買うのは俺もわかってるよ。だけど、お前はあんまりにも嘘をつきすぎだ。つらいんじゃねぇの?…まぁ、俺もまさか、お前が熱いとか冷たいとかが分からないなんて思わなかったから、少し言いすぎたのは謝るけど。」


むかつく。なんだこいつ。

…でも、こいつにいうことにも一理ある。

けど、けど!


「そんなこと言って、仲間はずれになるのは嫌っ…!私はみんなと違う。違うじゃない!嘘をつくしかないじゃないか!」

「じゃあ、全部。俺に話せ。」


は?


「みんなに話せば仲間はずれになるかもな。でも、俺に話したって仲間はずれにならないぞ、俺、口堅いし。ほれ、話せ。」


なんだこいつ?(2回目)


泣いた涙の筋が頰にまだ残っている状態で、私は、開いた口が塞がらなくなった。

そんなアホ面をしているだろう私をみながら、彼は「ほれ」と両手を広げてみせる。


まるで、私に抱きつけと言わんばかりに。


しばらく言葉を失ってた私だけど、「きっと、そんなこと大したことじゃないぞ、話せ」みたいな態度をしてる彼をみていたら、我慢するのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。

思いっきり助走をつけて抱きつく。

「ぐえっ」と汚い音のうめき声をあげた彼を無視して私は叫ぶ。


「…言ったな!だったら、私の今までの愚痴に全て付き合え!前言撤回はできないからな!泣いても飽きて眠くなっても、話してやらないから覚悟しろ!!」


******


赤色が少し差し始めた澄み渡る晴空の下、私は今までの鬱憤を全て彼にぶつけた。彼はうんうんと、適当ではない相槌を話の要所ごとに打ちながら、聞いていたのだった。


彼は私の気持ちをわかってくれたわけではない。つらい気持ちをただつらいと受け止めてくれただけ。下手な同情もない。


それがどれだけ私にとって救いになったか。


眠れない夜はひとりぼっちになった気がしてとても寂しくなること。


冷めて冷たくなったコーヒーを、湯気も出ていないのに周りのみんなにつられてふーふー冷ましながら飲んでしまい、みんなにからかわれて悔しくなったこと。


流行りのテレビドラマの安っぽい展開に、「何が面白いんだろ、これ」とつぶやいたら、母親が「そうねぇ。現実にはあり得ないわね。」と同意してくれたこと。


語っていくうちに、だんだんとただの愚痴のようになり、悪いことばっかりでもなかったという気になる。


最終的には彼も「それは誰でもそうだ」と笑いながらツッコミを入れ、「それもそうだね」と私も笑い返す。


気がつけば暗くなって足元が見えづらくなるような時間帯になっていた。


******


「よく考えてみたら、ちょっと他人と違うくらい、気にすることじゃなかったわ」


そろそろ帰ろうかと立ち上がったとき、私は彼を見ながらそう言った。


「何言ってんだ、気にして当然のことも多かったじゃねぇか。」

「いやまぁ、そうだけど。でも、気にしなくてもいいやと思ったら、気にならなくなったわ。」

それでいいや、とあっけらかんと言う私に、彼は頭をボリボリかきながら、ため息をついた。


「お前がそれでいいなら、いいけどよ。」

「うん。もういいや。」


今日はありがとうと彼に言って、別れた。

また嫌になったら彼に聞いてもらおう。


それでいいや。






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