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闇夜の京に鵺二匹  作者: 惜本大祐
第二章 平重盛
9/40

復帰


 春風が蝶をはこんできて、庭先の白い花にとまるのを重盛は見た。

 病をえて政界を離れてすぐのころは、あれをしなければ、これをしなければ、と心が落ち着かなかったものだ。

 しかし時間が経つにつれ、体と心を休めることが先決だと考えられるようになってくると、すこしずつ気が楽になっていった。

 こうして庭をながめている余裕もある。


 あの蝶がとまった花は何という名の花だろうと思った。

 庭を見渡せば、似たような花がたくさんあった。

 色のちがう花もあった。

 しかし重盛にはどの花の名前もわからなかった。


(私は思いのほか物知らずだったらしい)


 それは新しい発見だった。

 戦や政治のことに目を奪われるあまり、これほど身近なことが見えていなかったらしい。


「忠清」


 家来を呼ぶと、この忠実な男はすぐにやってきて、堅苦しくひざまずいた。

 それがいまの重盛にはなんとなくおかしい。

 思わず笑ってしまうと、忠清は不審そうな顔をした。


「何でございましょう?」

「たいした用ではない。あの花がなんというのか聞いてみたかっただけだ」

「あの花?」


 忠清がまるで敵を威嚇するように花を睨みつけた。

 そしてしばらくあとに顔を上げると、また深刻な顔で言った。


「わかりかねます」


 重盛は噴き出した。

 忠清がさっきよりも一層、不審そうな顔をする。


「では、あの花はなんだ」


 今度は黄色い花を指さす。

 忠清はまたその花を睨みつけて、しばらくすると


「……わかりかねます」

「じゃあ、あれはなんだ」


 しばらくそうしてからかっていたが、忠清はついに一つも答えられなかった。

 主従は似るらしい。


「兄上、兄上!」


 日が傾きかけたころになると、弟の宗盛が見舞いにきた。

 重盛にとっては母親のちがう弟である。

 しかし、この兄弟は――というより平氏という一族は――そういうことに頓着しない遺伝子をもっているのか、仲が良かった。

 こうして宗盛が見舞いに来るのも、これがはじめてではない。


「何かあったのか?」

「見舞いの品を受け取りましたゆえ、届けに参りました」

「誰からだ?」

「まずは法皇様より『重盛は堅苦しいゆえ、暇なうちに歌でも学ぶがいい』と、これを」


 重盛は苦笑いした。

 法皇様というのは、後白河上皇のことだ。清盛と同時期に仏道に入ったため、こう呼ぶようになった。

 桐の箱を開けてみると、どうやら法皇の好きな今様の歌謡集らしかった。


「かなり新しいようだが、こんなものを誰が書いたのだ」

「法皇様、自らにございます」


 思わず、手に取っていたそれを落としそうになった。


「あと、これは父上から」


 そう言って宗盛が出したのは、なにかの植物を干したものらしかった。

独特の香りが重盛の鼻を刺激した。


「これは父上が宋の国より取りよせた薬でございます。なんでも煮だしてその汁を飲めば万病が治るとかで」

「父上はなにかおっしゃっていたか?」

「無理をせず、ゆっくり休むがよい、と」

「そうか」


 重盛は父と主からもらった二つの見舞いの品を見比べた。

 どちらか一方だとしても、捨てるなど、とんでもないことだと思った。


「宗盛」

「なんです」

「徳子の入内の話はどうなっている」


 徳子というのは彼らの妹だ。

 近ごろ清盛から働きかけ、彼女が帝の后になるという話が進んでいるのだった。

 実現して子供が生まれれば、かつての藤原摂関家がそうであったように平家が天皇家の外戚となり、その力はさらに強力になるはずだった。


「意外なほどに順調で、徳子が入内したあとに中宮になることまで決まっております。やはり法皇さまが賛成してくださっているのが大きいのでしょう」

「わかっておるとは思うが、この話には平家の未来がかかっている。油断はするな」

「もちろんです。この話が成れば平家は盤石ですからな」

「……近ごろは気分もいい。医者はまだというが、この分なら私も近々戻れるだろう」

「まことにございますか」

「まことだ。父上にも、そう伝えてくれ」


 宗盛は肩の荷が下りたような表情で帰っていった。

 もし宗盛がこのまま平家の当主の座を奪おうとするくらいであったら、重盛はむしろ安心しただろう。

 そのまま宗盛に家督をゆずろうとしたかもしれなかった。

 しかし、そういうわけにはいかないようだった。


 決意を新たにした。

 彼には徳子が入内すれば平家が盤石になる、と単純に考えることはできなかった。

 たしかに権力は強くなるだろう。

 しかし、人は力をもっている人を恐れる。

 どこかで反発があるはずだった。

 その反発がどこであるかは彼にもわからなかったが、その反発が生半可なものではないことは確信していた。




 これからひと月もしないうちに徳子の入内が発表された。

 そして間もなく女御となり、中宮となった。

 まだすこし後のことになるが、数年のあとには無事に帝の子を妊娠し、平家の思惑は成る。

 平家の世は揺るぎないと、ほとんどの公家が考えるようになっていた。

 さらにこの入内に合わせて病で辞していた重盛が政界に復帰した。




 それからの重盛は以前にもまして精力的に働きはじめた。

 清盛が進める日宋貿易の奨励につとめ、院近臣間のつきあいをこなし、もとのように賊の討伐の任もこなした。

 後白河法皇のすむ、法住寺殿で火事があったときには一番先にかけつけて、その忠勤を讃えられた。


 仏教勢力の強訴に対しても大きな活躍をしている。

比叡山にならんで強訴の常連である興福寺が強訴を起こしたとき、ほとんど重盛の独力でそれを阻止したのだ。

 それによって武力的な優越を示すことに成功した法皇は、その所領の大半を没官することに成功し、手を焼いていた仏教勢力の一角の力を削ぐことに成功した。


 このときに法皇の寵妃で、清盛の妻の妹でもあったことから平家と法皇の架橋になっていた建春門院が薨去したが、重盛が変わらず忠勤に励んだこともあって、平家に対する信頼は変わらずに済んだ。

 そればかりか、重盛が左近衛大将、宗盛が右近衛大将に任命された。

 近衛という部署は文字どおり、帝の親衛隊の役割だ。近衛府は左右で二つあり、大将はその部署の長官である。

 その役を兄弟二人で務めるという大変な名誉だった。

 しかも、重盛が翌年の三月には内大臣に任ずるという宣旨が下る。

 太政大臣、左大臣、右大臣に次ぐ四番目の地位だ。

 武士でこの地位についたのは、父清盛をおいて他になく、その清盛も内大臣になったのは四十八歳のとき。

 重盛は三十九歳だから十年近く早いことになる。

 この調子で昇進していけば太政大臣に昇るのは確実だ。

 平家の地位はますます安泰であろうと思われた。


 しかし強い権力は、重盛の予想したとおり反対勢力を育てずにはいなかった。


「さすがに、このくらいで平家には転んでもらわねばなるまい」

「では時がきたら頼みますぞ、多田殿」


 京都のはずれのある場所で、そんな会話をしている者がある。


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