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闇夜の京に鵺二匹  作者: 惜本大祐
第二章 平重盛
8/40

父親



 眉間に深いしわを刻んで、顔をふせながらいく。

 壮年の男であった。

 しかし、その疲れきった様子は実際の歳よりもかなり老けて見えた。

 身につける装束はいかにも貧しい。

 いたる所にほつれが見え、腰にさした刀の鞘は漆が剥げて地の木色をあらわにしていた。

 ただ、馬ばかりは『木の下』と名づけた立派なものに乗っている。

 といっても、彼の身につけているものを考え合わせると、彼の実際の身分である『正五位下、伊豆守』という、れっきとした公家であるなどとは、とても見えなかった。

 彼の名を源仲綱という。

 源四位頼政の嫡男である。

 父に呼び出され、任国の伊豆から京にむかう途中だった。


 憂鬱な気分だった。

 父に会いたくなかった。

 その理由は数えきれないほどあったが、その中でもっとも大きいのは


「父上は、なぜ平家に媚びを売っているのだ」


 ということだ。

 彼の家は先祖が摂津国に拠点をおいたことから、摂津源氏と呼ばれている。

 とくに家祖頼光は大江山に巣食う大盗賊『酒呑童子(しゅてんどうじ)』の討伐などで活躍し、朝廷から『朝家の守護』と呼ばれるという名誉にあずかったほどだ。

 その大江山討伐は俗に大江山の鬼退治と呼ばれ、童でも知らないものはないほど有名な話になっている。

 それほどの家が、伊勢平氏などという数代前には誰も知らなかったような一族の下風にたっている。

 いや、下風に立っているなどという表現は弱すぎる。

 伊勢平氏の犬。

 これであった。


(犬四位とはよく言ったものだ)


 仲綱は、この誰が最初に言ったのかわからない父の渾名に対して、反感を持ちながらも納得するしかなかった。


 父も昔はこうではなかった。

 物腰やわらかにして武勇あり、和歌の才にいたっては当代の武士において勝るものはない、というのが父に対して向けられていた評であった。

 そんな父を仲綱も誇りと思い、父に追いつこうと鍛錬に励んできた。

 それがどうだ。

 仲綱は忘れもしない。

 平家の位置を決定的なものにした平治の乱のとき、源氏の旗頭、河内源氏の源義朝の側で働いていたはずの父がこう言ったのを。


「源氏は負ける。これより平家の側につく」


 この源氏に置いて第二位の勢力をもっていた父の裏切りで勝負は決したと言っていい。


 なぜ、あのとき父は裏切ったのか。

 それが仲綱にはわからない。

 いま源氏において父だけが勢力を保てているところを見るに、父は清盛と密約を交わしたのではないか、とすら思える。

 しかしだからといって、親子の縁を切るというところまで仲綱は思いきれない。

 だから父から呼ばれると、伊豆からはるばる京までやってくる。

 もうすぐ近江の国にある巨大な湖、現代でいう琵琶湖の姿が見えるころであった。

 そうなれば京まで、あとすこし。

 憂鬱だった。




 仲綱が琵琶湖のほとりで馬に揺られていると、妙な二人組と会った。

 一人はいかにも体力のありそうな若い武士である。

 こちらはいい。こういう男が旅をしていることは珍しくはない。

 しかし、もう一人は幼さすら感じる少女なのである。

 彼女は目に入るものが何でも珍しいらしく、はしゃぎながら


「あれは何」

「これは何」


 と、しきりに質問していた。

 兄妹だろうか、と仲綱は思った。

 しかし幼い妹と旅をすることも珍しい。

 だんだん彼らとの距離が近づいてくる。

 そのうち、男の方が自分のよく知っている者であることに気づいた。

 男は父の家来なのである。


(きそう)ではないか、どうしたのだ」


 それで向こうも気づいたらしい。


「ああ、これは仲綱さま」


 競が娘をつれて駆けよってくる。


「その娘は誰だ?」

「件の鵺でございます。いまは夜鳥と名乗らせていますが」

「ほう、こやつが」


 仲綱はまじまじと夜鳥を見た。

 父が鵺を捕えたことと、それから保護したことを仲綱は聞いていた。

 しかし、これほど幼いとは聞いていなかったのである。


「夜鳥、頼政様のご嫡男、仲綱さまだ」


 彼女は競にうながされて、ぺこりと頭をさげた。


「夜鳥です、よろしくお願い申し上げます」


 教えられた通り、というふうな固い礼であった。

 だが、それでも二年、三年まえには浮浪児であったことを思えば、上等な方であろう。


「うむ、よろしく頼むぞ……それで競よ。なぜこんなところに来ている?」

「この夜鳥が仲綱さまに会いたいと申すので、連れてきました。聞きたいことがあるとか」

「俺にか? いいぞ、何でも聞くがいい」


 馬を進ませながら笑いかけると夜鳥はうなずいた。

 そして仲綱が思っていたよりも遠慮のない質問をしてきた。


「源頼政とはどんな人でしょう?」

「おい、夜鳥」

「よい。そうだな、よくわからん人だが、俺の知っていることなら何でも答えよう」


 ちょうどいい機会だと思った。

 これを機会に、父のことで何か新しくわかるかもしれないと思った。


「なんで頼政様は平家と戦わないんでしょう?」

「よくわからん。だが、平家と戦っても勝てないと思っているらしい」

「仲綱……伊豆守様は勝てると思っているんですか?」

「いま正面から戦っても勝てないだろう。だが、平治の乱のときは違う」

「平治の乱、というと?」

「いまから二十年近く前にあった戦だ、あの戦に勝ったことで平家は権力をにぎり、負けた源氏は勢力を失った」

「源氏が負けたのに、なんで頼政様だけは違うんでしょう?」

「戦の前に源氏を裏切ったからだ」

「裏切った……どうして裏切ったのですか?」


 その問いは仲綱自身が父に問うたことがあった。

 しかし、その答えは返ってこなかった。


「……わからん」

「そう、ですか」


 それからも夜鳥は頼政のことについて色々なことを聞いてきた。

 仲綱もできる限り答えてやった。

 しかし結局、彼の考えに進展はないまま京に着いてしまった。


 屋敷につくと、父は出かける準備をしていた。

 どこに行くのかと聞いてみると、いまの平家の棟梁、重盛が病にかかったので見舞いに行くのだという。


「ちょうどいいところに帰ってきた。お主も来るがいい」


 頼政は、みすぼらしい老いた馬にまたがって言う。

 衣装はほつれが目立ち、腰にさした刀の鞘は漆が剥げて地の木色をあらわにしている。

 それが仲綱には不思議なのであった。

 これが平治の乱のあと、豪奢を好むようになったのであれば、仲綱はこれほど悩まずに済んだであろう。軽蔑して縁を切ればいい。

 しかし、この貧相に耐えている姿が仲綱を迷わせる。


(父はけっして自身の栄華のために源氏を裏切ったのではない)


 仲綱は旅の荷物だけを下ろすと、そのまま父の言うとおりに六波羅に馬をむけた。




 平清盛は政界を引いたあと福原にいる。

 現代の兵庫県神戸市である。

 といっても、この時代はほそぼそと漁をして暮らす寒村だった。

 清盛が移ってきてから栄えてきはきたが、それでも寒村にちがいなかった。

 そんなところで太政大臣にまで昇った男が何をしているかというと、もっぱら港を作っている。

 それも日本の歴史において空前の規模をもつ巨大な港を、である。


「頼政殿から遣いが参ったようです」

「通せ」


 そんな彼のもとに、頼政の使いはよく訪ねてきた。

 頼政は福原のある摂津国を拠点としているから、港づくりの人夫を集めるときなども手伝った。

 しかも彼の配下にある渡辺党は海軍に関する知識を多く持っていたので、たびたびここに招いていた。

 その頼政の使い、渡辺唱(わたなべのとなう)という男がいつも通り貧しい出で立ちでやってくると、上機嫌に彼の手を取って言った。


「重盛が病と聞いて、一時はどうなることかと思いましたが、あとすこしです」


 唱がうなずく。

 彼は清盛が立ち去ったあと、外に出て、この屋敷から港の方を見下ろした。

 闇の中に、ぽつん、ぽつんと明かりが見える。

 それらを繋げたら、おおむね半月状で、船を迎えるのに最適な形になるだろう。

 もともとは小さくて歪な形をしていて、小さな船しか入れないような港だった。

 それをこの形にするのに十年かかった。

 あとはこの地に都を作れば完成だ。

 それで武士の世を作るという長年の悲願が成る。


「あとすこしですな」



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