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闇夜の京に鵺二匹  作者: 惜本大祐
第二章 平重盛
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強訴

 鴨川の水、双六の賽、山法師。

 その昔、院政をはじめた白河法皇が自分の思い通りにならないものとして挙げたのが、この三つだ。

 鴨川が氾濫するのは天災で、人為ではどうにもならない。

 双六の賽も運任せで、どうにもならない。

 最後の山法師というのは、当時の仏教と学問の聖地、比叡山延暦寺の僧侶たちのことだ。むかしの延暦寺は純粋に修行と学問の場だったのだが、このときには変質していた。


 盗賊への対策するため。

 領主の強引な介入に対抗するため。

 内部抗争に使うため。


 などと理由をつけて武力を持つようになり、時代を経るごとに強力になってくると、気に食わぬことが起きるたびに朝廷を脅す『強訴(ごうそ)』と呼ばれる行動に出るようになったのである。

 具体的には僧兵が神輿を担いで京に乗り込んでくるのだが、それで要求が通らないと、神輿を御所の門前に放置してしまう。

 迷信深い公家たちは、それで神罰が下ることを恐れた。

 武力があるだけならば、武力をもって潰すことができる。

 だが、比叡山が仏教の聖地であり、その神聖を盾にとってそういうことをしてくるだけに白河法皇もどうにもできなかった。


 その強訴が、また起こるという報せが朝廷にとどいた。

 今回の要求は


「上皇の近臣、藤原成親の弟の家来が延暦寺の者に乱暴を加えた。許しがたいゆえ、その近臣を遠流にし、事件の当事者を牢にいれよ」


 というものであった。

 事件はごく小さい。

 当事者を牢に入れることはともかくとして、上皇の近臣という政治上の要人をを遠流になどというのはまったく不当である。

 こんな要求を聞けば上皇の権威に傷がつく。

 日ごろから延暦寺を


「一山の利のみを追求する悪僧ども」


 と批判していた上皇は意気込んで対応に乗りだした。

 対応するには武力がいる。

 武力といえば、武士。

 武士といえば平家であり、平家の棟梁は重盛である。

 院御所を守れという命令が重盛にくだった。

 重盛は一門の武士に召集をかけ、御所に駆けつけた。

 しかし、その顔色は冴えない。


「おお、来てくれたか重盛!」


 重盛が院の御所につくと、上皇は自ら彼を出迎えた。

 満面の笑みだった。

 平清盛が延暦寺と協調する姿勢をとっていたため、その息子の重盛が来てくれるか不安に思っていたのである。

 上皇だけでなく、その近臣たち全員が安堵に包まれた。


「はっ、遅くなりまして申し訳ありません」


 重盛が頭を下げると、上皇は顔のまえで手を振って


「よいよい」


 とおっしゃられた。


「おおかた清盛が反対したのだろう、それなのに重盛は来てくれた。嬉しく思うぞ。いまは公卿どもが評議をしているから、お主は休んでいるがいい」

「……では、お言葉に甘えまして」


 重盛はまた一礼して、武装したまま武者所に下がった。

 そこへ弟の宗盛と侍大将の忠清が駆けよってくる。


「兄上、どうするつもりなのです。戦えば父の考えに反することになりましょう」


 これが重盛の顔をくもらせる原因であった。

 つい先日、清盛から


「延暦寺と平家は今後、協力していく。たとえ強訴があったとしても、平家の武者は手を出してはならん」


 と、言いつけられたばかりなのである。

 手は出していないが、いま重盛が兵を率いてここに来たことすら清盛の意向に反していると言えなくもないのである。

 しかし、重盛は言った。


「父の命令は、こちらから手を出すなということだ。もし向こうから手を出して来たのなら、その限りではあるまい」


 すかさず宗盛が反論する。


「それは詭弁にございましょう、父上は延暦寺と協調するために手を出すなと言っているのです。どうせこちらも手を出すなら、仮に向こうが先に手を出したのだと言い訳しても、何の足しになりましょう」


 無論、重盛も宗盛が言ったようなことはよくわかっている。だが、平家がここで引いたら誰が上皇を守れるのか。

 なるほど源頼政など、源氏の武士はいる。

 しかし、彼らは平家と比べると弱小で、山法師たちの勢いを止めることはできない。


「宗盛」

「何でございます」

「私が廃嫡されたら、平家のことは任せるぞ」


 宗盛は何も答えず視線を下にむけた。

 彼がこうするときは、不安を感じたときだ。


「なに、こちらから手を出そうというのではない。山法師どもも我らに対して無茶なことをしようとは考えておるまい。協調を考えているなら、なおさらだ」


 そう言うと重盛は、無言で近くに控えていた侍大将の伊藤忠清にむき直って言った。


「忠清、そういうことだが油断はするな。備えは万全にしておけ」

「無論でございます」


 忠清はそれだけ言ってうなずいた。

 それを重盛は頼もしく思いながら、いま開かれている評議はどうなっているかと考えた。


(もしも、逆にこちらから出むいて山法師どもを打ち払えなどという結論になれば……)


 それもまた、ありえなくはないのである。

 重盛は人知れず、頭を抱えた。




 ところが事態は、誰も予想していなかった方向に動いた。

 山法師たちは、実際にすべてを決める権限をもつ院の御所ではなく、幼い天皇がおわす内裏を襲ったのである。

 内裏には源頼政などが警護についていたが、彼らには山法師たちを打ち払うだけの力はなく、押し寄せる山法師たちを内裏に入れないだけで精いっぱいだった。

 結局、しばらく押し合いが続いたあと、山法師たちも内裏に乗り入れることは断念したが、今度は内裏を取り囲み、喚声をあげはじめた。

 これでは内裏に入ることはできず、それによって政は停止せざるをえない。


「これが聖なる仏法の徒がすることか!」


 その報せを聞いた後白河上皇は激怒した。

 内裏にいる帝は、この方の息子である。まだ齢は十にとどかないという幼さであっただけに上皇の怒りは大きかった。

 すぐに院御所から内裏へと使者がむかった。

 その使者の口上は


「内裏に集まって幼主を驚かせ奉るのは不当である。院御所に来れば要求を聞く」


 というものである。

 それに対する山法師の答えは


「幼主であっても内裏に参って天皇に訴え、勅定を承るのが先例である」


 というものであった。

 それからも二、三度使者の行き来があったが、山法師の言い分は変わらない。

 ついに上皇は業を煮やし、重盛に直接、山法師を打ち払うよう命じた。

 重盛は窮した。

 命令通りに山法師を打ち払えば、父に背くことになる。

 命令を無視すれば、今度は上皇に背くことになる。


「どうした、重盛」


 上皇の声音に不信の色がでてきたのが、平伏している重盛にもわかった。

 これで立ち上がって、そのまま内裏に向かうことができたら、どれだけ楽だろうと思った。その空想と比べて、いまの自分の不忠な姿を呪った。


「命令が聞けぬと申すか?」


 どちらも選べるわけがない。

 それで重盛は沈黙するという選択をした。

 しかし、重盛にとって幸いだったのは、こう命じているのが後白河上皇という方だったことだった。

 この方は返答を聞いたときこそ目を見開いて怒りをあらわにしたが、重盛の苦渋の表情を見ると、すぐ事情を察したようだった。

 上皇は一度、大きく息を吐くと、重盛の肩にそっと手を置いて


「お前の不忠とは思わぬゆえ、安心せよ」


 と、それだけ言って、あとは何も問わずに立ち去ったのである。

 同時に重盛の窮地も去った。

 地面につけていた腕に力を入れていられなくなって、つぶれるようにその場に崩れた。


「重盛様!」

「兄上!」


 慌てて宗盛と忠清が駆けよってきた。

 重盛は、その二人に抱え起こされながら、上皇に対する恩の大きさを思った。

 ついで、父から受けた愛情の大きさを思った。

 その昔に母が死んだとき、力強く抱きしめてくれたときの暖かい感触は、いまだ鮮明に思い出すことができる。


「……どうしたらいいのだ」

「兄上、なんとおっしゃりました?」

「なんでもない」


 重盛は起き上がりなら、いましがた自分が呟いた言葉を胸の奥にしまった。




 重盛が動かなかったことで事態はさらに紛糾した。

 上皇は近臣から知恵を集めて、そこから複雑な策を採用したのだ。

 その策とは、こういうものだ。

 いったん山法師の求めに応じて問題の近臣、藤原成親を配流とする。

 そのあとで平家から独立した公的な武力を招集し、山法師を打ち払うだけの力を蓄えたうえで配流を取り消してしまうというものであった。

 それにともなって『平家から独立した公的な武力』である検非違使を掌握するため、検非違使別当――当時の警視長官のような官職――であった清盛の義弟、時忠を


「奏上したことに嘘があった」


 と、強引に解官し、その職に配流を取り消されたばかりの成親をいれた。

 成親の配流が決まったことで、いったん比叡山に帰っていた山法師は、それが覆されたと聞いて激昂した。

 再び強訴をという話になった。

 京は戦場になるのではないか、という不安が広がった。


 重盛は苦しい。

 彼はこの事態を自分のせいだと思った。

 自分が父の命令に逆らってでも山法師を打ち払っていれば、それで済んでいたのだと自分を責めた。

 しかし現実問題として、彼は父に逆らえないのである。

 そんな彼に


「清盛様を頼りましょう」


 と言ったのは、家来の忠清だった。


「この事態を収拾できるのは清盛様をおいて他におりません」


 その通りだと重盛は思った。

 すくなくとも、自分にはどうしようもないことは、聡明な彼にはよくわかっていた。

 しかし、それを認めることは、自分の力不足を認めるのと同じであった。

 忠清がさらに言葉を重ねる。


「おそれながら重盛様はまだ若い。清盛様も、いまの重盛様と同じくらいの歳に祇園社で事件を起こしましたが、そのときも重盛様には祖父にあたる忠盛様が対応にあたっております。何も恥じるべきことではございませぬ」


 その表情は普段どおりのまま変わらなかったが、言いにくいことを言ってくれているというのも、重盛はよくわかっている。


「……わかった。福原へ参ろう」


 重盛は、やっと言った。


「よく、ご決断なされました」


 忠清がそう言ったとき、顔に苦渋の色が浮かんだのを重盛は見逃さなかった。

 そんな顔をさせている自分を皆が棟梁と立ててくれているのが申し訳なかった。

 自分を後継者に選んでくれた父に申し訳なかった。




 それから数日後、清盛が京の六波羅の館につくと、すぐに二人の使者が館を発った。

 一人は院御所へ、もう一人は比叡山へ。

 すると、公卿議定において、成親が改めて解官されることが決まり、山法師は比叡山に帰っていった。

 たったそれだけのことで、京の危機は去った。

 三カ月もすると、成親は政界に返り咲いた。権中納言・検非違使別当という高位にだ。解官は形だけのものだったのである。

 しかし、もう比叡山から文句を言ってくることはなかった。


「上皇様も、どうにもできなかった山法師どもを、ああもやすやすと……」

「いったいどんな魔術を使ったのやら」

「あんなものを敵に回せば、我らの首などすぐに吹き飛んでしまうであろう」

「それに比べて嫡男の重盛の頼りないことよ」


 公家たちは、そう囁き合った。

 重盛は、苦しい。


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