主君
頼政は馬に乗っているとはいえ、急いでいるわけではない。
その上、あの老いぼれた馬である。夜盗で足を鍛えた夜鳥はすぐに追いついた。彼女は頼政の顔を見つけると、話しかけようとした。
が、やめた。
他の男と頼政が話していたからだ。
夜鳥は隠れて、聞き耳を立てた。
その男は頼政とはちがい、立派な馬にまたがって、綺麗な衣装に身を包み、家来たちをたくさん引き連れていた。
「小松殿、今日は何用で?」
「すでにご存じのことでしょうが、先日の宣旨について御礼を申し上げに」
「東山道・東海道・山陽道・南海道の山賊、海賊の追討……でしたな、申し遅れました、古今無双の大権を任されましたこと、執着至極と存じます」
「……そうですが、非才の身には過分な役目です」
なんだか、元気のない話し方をする人だ。
夜鳥がそう思ったとき、頼政がいった。
「どうやら、ご気分がすぐれない様子ですが、平家の後継者といえど、さすがに激務は堪えるものと見受けられますな」
驚いた。
小松に居を構える平家の後継者、平重盛という名は京では知らぬ者はない。
しかし、近ごろ威張りちらしている平家の人間にしては、彼の態度はあまりにへりくだり過ぎていた。平家の後継者などとは、とても見えなかった。
その重盛が力なく笑って言った。
「どうやら、そうらしゅうございます」
頼政は心配そうである。
「今日は帰られては? 言伝でもありますなら、この頼政が承りますぞ」
「いえ、畏れ多くも治天の君に骨折りいただいたこと、言伝で済ますわけには参りません」
「……あの方なら気になさらぬと思いますが」
重盛は首を横に振る。
「そうであっても、平家の跡継ぎたる私が上皇をないがしろにすれば、一族みなそれに倣いましょう。お言葉は嬉しいですが、やはり私自身が行かなければ」
「さすがは小松殿、見事な心がけ」
頼政は感心したというふうに何度もうなずいた。
そして重盛のうしろに控えている家来に
「忠清殿も鼻が高うございましょう」
と、親しげな軽さのある調子で言った。
その家来も軽く受け答える。
「まさしく平家自慢の若殿にございます」
「よさぬか、忠清」
ずいぶん親しいみたいだ。
鵺が不審に思っていると、ちょうど院庁とやらについたようだ。
「では、失礼を」
頼政は重盛に先をゆずられると、そう断って中に入っていった。
夜鳥は院庁を見上げた。
さすがに政治の中心というだけあって大きい建物である。
警護役の武士もたくさんいた。
(忍び込めないほどじゃないが、この昼間にいくにはちょっと危ないな)
夜鳥は当初の予定を変えて、このまま外で頼政が来るのを待っていることにした。
さて、頼政である。
彼が行くと、後白河上皇はすぐに出てきた。
満面に笑顔を浮かべている。
この方は頼政が挨拶しようとするのも遮って、いきなり言った。
「鵺の正体は何であった」
気になって仕方がない、という様子なのである。
それで頼政が
「鳥にございました」
と答えると、露骨に悲しそうな顔になって
「なんだ、盗賊ではなかったのか」
と、おっしゃった。
笑顔は消えているが目じりは下がったままだ。元からこういう、温和で人のよさそうな印象を与える相貌なのである。
頼政は動揺した様子もなく
「恐れ入ります」
とだけ言った。
「まあよい、これへ」
上皇が言った。もうケロリとしている。
近臣は一度下がって、すぐに一振りの刀をもって再び現れた。
「これは?」
「鵺退治の褒美だ。抜いてみよ」
押しいただいて、刀身を抜いてみると、なるほど見事な刀である。頼政がいつも身に着けている刀とは比べ物にならない。
「ちかごろはまた山法師がうるさいゆえ、強訴があればそれで内裏を守れ」
頼政はもう一度、平伏した。
そこで上皇は急に押し黙った。
それから何やら考えるようにジッと頼政の顔を見て、おもむろに歌いだした。
よく響く声だ。
「ほととぎす名をも雲居にあぐるかな」
頼政もすかさず歌う。
「弓はり月のいるに任せて」
上皇は大笑いした。
しばらく笑ったあと、よしとうなずいて、また歌った。
「五月闇名をあらはせる今宵かな」
もう一度、頼政も下の句を継いだ。
「たそがれどきも過ぎぬと思ふに」
上皇、また笑い出す。
笑いながら、ときおり
「まて、まてよ」
と声にだし、また上の句を考えている様子であった。これは長く付き合わされそうだと思ったのか、頼政は話を変えた。
「小松殿も参っておるようにございます」
「ほう、重盛が」
瞬時に真面目な顔になる。
感情が素直に顔に出る方なのだ。
「なにやら気分が優れぬ様子でございました。私はこれで退出させていただきます。 おはやく会って、今日は休むようにと言葉をかけてさしあげるべきかと」
「そうか、ならば仕方がない」
上皇は名残惜しげにうなずくと、近臣に
「重盛を呼べ」
と命じた。
頼政は退出した。
行きちがいに、まだ気分が優れない様子の重盛と会った。
頼政が軽く頭を下げて行き過ぎようとすると、呼び止められた。
「近ごろの平家を、どう思われます?」
「どう、とは?」
「……いえ、これは平家の問題でございました。お忘れくださいますよう」
それだけ言うと、今度は重盛のほうから
「では」
と頭を下げて、そのまま行ってしまった。
頼政はしばらくその後ろ姿を見送ったあと、何もなかったように再び歩き出した。
院庁を出ると、夜鳥が待ち構えていた。
「来ておったのか」
「上皇と何を話してたの?」
「上皇様といいなさい」
「……で、上皇様と何を話したの?」
「お主を退治したことで、お褒めにあずかったのだ」
「へえ、なんて答えたの?」
「月の方向に弓を射たら、たまたま当たったと答えておいた」
「なにそれ」
夜鳥はコロコロと笑った。