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闇夜の京に鵺二匹  作者: 惜本大祐
第五章 平治の乱
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裏切


 信西を討ち取って政権を手に入れた信頼は得意の絶頂にあった。

 首が送られてきた翌日には論功行賞が行われている。

 最大の功労者である義朝が正五位下下野守・左馬頭から従四位下播磨守に。その息子頼朝が六位蔵人から従五位下右兵衛権佐に。という具合である。

 その他にも参加した武士が恩賞として昇進した。

 前例の少ない朝廷の武力制圧だけに政権の不安定化を危惧していたが、そのような兆候は信頼には見つけられなかった。

 向背を危ぶんでいて平家も、すでに従うと申し送ってきている。

 信頼と義朝の描いた『武士の世』がこれで成ったかに見えた。


 しかし信頼は若く、補佐する義朝は武士であり、宮廷政治の腹黒さを知らない。

 彼らは自分たちの様子を苦々し気に見つめている一団があることに気づかなかった。


「武士の世など片腹痛い」

「信西亡きいまは信頼も義朝も用済みよ」


 彼らは口々にそう言った。

 そんな彼らの中心人物はあろうことか、信西を襲撃する段階において公家たちの承認を得るという重大な役割を果たした藤原経宗なのだった。

 25日、経宗は信頼に言った。


「信頼殿の構想を実現するためとはいえ、帝を押し込め申したままにしておくのは気が重い。今宵だけでも我が屋敷にお招きして無聊をお慰め申したいと思うのだが、どうであろう?」


 反対派の多い公家のなかで、いままで自分を支援してくれた経宗の言葉だ。

 信頼自身、帝にたいして罪悪感を覚えていたこともある。

 彼はうかつにも、帝が外出することを認めてしまった。

 それが信頼の運の尽きであった。

 内裏を後にした経宗と帝の一行は、何食わぬ顔をして六波羅に入ってしまったのである。




 それは清盛としても寝耳に水だった。

 突然の御幸に六波羅は屋敷をあげて狼狽した。

 慌ただしく人が動いて帝を迎える準備を整えようとしたが、せいぜい従三位の公卿を迎えられるくらいの容儀を整えるのが精いっぱいだった。

 六波羅をさらに困惑させたのは、何度要件をたずねても


「いえいえ、それは後ほど」


 と、はぐらかされてしまうことだった。

 しかも、あれよあれよという間に


「帝から直々にお言葉を賜る」


 ということにされてしまったから、さらに困惑は深まった。

 しかしいくら困惑していようと、帝の言葉である以上、清盛としては聞くしかない。

 言われるままに帝の前にひざまずいた。

 そこで帝は急遽設置された御簾の奥から驚くべきことをおっしゃった。


「藤原信頼と源義朝の党類、これらは武力をもって朝政を欲しいままにする逆臣である。平清盛はすぐさまこれを討滅せよ」


 清盛は目を見開いた。

 そして御簾越しに帝を見返した。

 礼を失することであった。

 すかさず横合いから経宗が口を出す。


「これ清盛殿、無礼であろう」


 やむを得ず、頭を下げなおす。

 経宗がさらに言った。


「すでにこのお言葉は、我が手の者を通じて、ほとんどの公家に通告されておる。明日には源氏の武者どもも耳にすることであろう」


 頭を下げながら、清盛の唇が震えた。

 宣旨を受ければ義朝を斬ることになる。

 幼いときから互いを高め合った友を。

 しかし、ここでこの宣旨を受けなければ、朝敵にされてしまう。

 そうなれば平家は滅ぶ。

 それは一族郎党を自分の手で皆殺しにするに等しく、平家をここまで大きくしてきた父祖への裏切りでもある。


「どうされた、清盛殿」


 とどめを刺すように、経宗が言った。

 清盛は迷った。

 義朝と一族郎党、その重さを比べたら宣旨は受けたほうがいいに決まっている。

 自分の身も助かる。

 それでも迷った。

 寒い日だというのに、汗が滝のように流れ、体が震えた。


「清盛殿」


 経宗がまた言った。

 清盛が震える口を開いた。




 二十六日の夜明け前、源頼政があわただしく内裏に駆けこんだ。

 彼はまっすぐに源義朝のところに行くと、眠そうに目をこする彼に耳打ちした。

 たちまち義朝の目が開く。

 それから青ざめた顔で立ち上がると帝がいるはずの清涼殿、上皇がいるはずの一本御所と内裏の中を駆け回った。

 もぬけの殻であった。

 現実を認識すると足に力を入れていられなくなり、そのまま崩れ落ちた。


「すでに帝は六波羅にて、信頼卿に加勢した者の追討を命じられたよし」


 そういう頼政を、義朝は呆然と見上げた。

 そんな彼に頼政はさらに言った。


「義朝殿、その手で信頼卿を捕えられよ」

「……?」


 何を言っているのかわからないという風であった。


「そして六波羅へ行き、すべて帝と上皇の御為にやったことと申し開くのです。さすれば情にあつい清盛殿のこと、むげにはなさるまい。そうしなければ、ご子息、一族郎党、みな逆賊の汚名を着せられ、斬首されることになりましょう」


 頼政が手をとって立たせようとした。

 しかし、意外にも強い力で義朝は抵抗した。


「何をなされておる!」

「信頼殿は大恩ある御仁、その方が追い詰められているなら、それを助けるのが人の道というもの」

「武士の世はどうなさる! 義朝殿なくして誰に作れましょうか!」


 義朝は首を横にふった。


「早すぎたのでしょう、結局は信西入道と同じだったということです」

「では待てばよい。清盛殿の下でならそれができましょう」


 また首をふる。


「いまさら清盛の下にはつけません」

「誇りなど捨てられよ! 貴方はこの国の未来を背負う人! これしきのことでつまずかれてどうなります!」


 それからも頼政の説得は続いた。

 しかし、義朝は首を縦にふらなかった。

 頼政は内裏を去った。

 日が昇って、ようやく絶望的な喧騒が起こってきたのを背中越しに聞きながら。




 六波羅への来客は引きも切らない。

 藤原経宗と与党の公家ばかりでなく、情勢を観望していた小身の武士、前関白藤原忠通と、その子の現関白基実も来て六波羅方に味方することを宣言した。

 源頼政がやってきたのは、そんな折である。


 六波羅はざわついた。

 経宗などは、この頼政が内裏と院御所を襲撃した段階において知恵袋のような役割をはたしていたのを知っている。

 そんな男がいまさら何をしに来たのか。

 頼政は六波羅方の首脳が一堂に会している場に、罪人のように座らせられた。


「謀反の張本たる貴殿が何をしに参られた」


 経宗の言葉を受けると、頼政はまっすぐに経宗を見返した。


「滅相もないこと、私はひとえに帝と上皇様のために働いたまでのこと。謀反など、思いもよらぬことでございます」


 頼政の言い分は苦しい。

 すでに内裏を襲って朝政を牛耳った者を討て、という宣旨が下されている。

 そして頼政が深く関与していたのは誰もが知っている。

 天皇の言葉を最大の倫理とするこの時代の公家にしてみれば、すでに頼政は謀反人なのである。

 謀反人が戦の前に味方を申し出ても、やはり謀反人であることに変わりはない。


 しかし一座の中で、そういう公家たちとは気分を異にする男が一人だけいた。

 彼は頼政の無表情の中に自分と同じものを感じた。

 いわば裏切りもの匂いとでもいうものであろうか、と彼は自嘲気味に思った。

 そして糾弾されている頼政と自分を比べ、何も変わりはしないと思った。

 彼は大きく息を吸い込んで、雷のような大音声をあげた。


「あっぱれなお言葉!」


 たちまち一座の注目が彼に集まる。

 その視線の先にいたのは平清盛であった。

 彼は、さらに言った。


「源氏一の知恵者が味方してくださるのであれば戦は勝ったも同然! いや、めでたい!」

「しかし、清盛殿……」


 清盛はいっそう声を励ました。


「宣旨に応え速やかに参られた頼政殿を罰するなど、それこそ宣旨を軽んずることにございましょう! まさか宣旨を無視し、座して形勢を観望することが道義だとは経宗殿も仰せになりますまい?」


 パン、パン、と二度手を叩いた。

 すぐに武装した平家の武者が入ってくる。


「源義朝は勇猛な男、その麾下の武者は関東で戦にあけくれた一騎当千の荒武者ばかり。勢は少なけれど、戦に慣れているということでは我ら平家の武者に数倍します」


 一座の公家たちは白刃が自分に振り下ろされるのを想像し、その自分自身の想像に鳥肌を立てない者はいなかった。


「その荒武者がこの六波羅に押し寄せます。そのときに頼政殿の御助力なくば、私も貴殿らの身の安全は保証しかねるが、いかが」


 一座は沈黙している。

 彼らは政治は巧みでも戦は素人である。

 清盛の話を真とも、嘘とも判断しかねた。

 しかし、生々しい恐怖はある。

 頼政が味方につくことで、その恐怖が小さくなるなら、と考えはじめていた。

 だからだろう。


「何をしている、頼政殿の席を用意せんか」


 と、清盛が命じても、誰一人反対する者はいなかった。

 その間に武者たちは素早く清盛のとなりに新しい床几を用意してしまった。


「では、評議を再開しようではありませんか」


 清盛がもう一度、そう言うと、頼政を交えた軍議がはじめられた。




 それからしばらくして清盛の嫡男重盛と、弟頼盛、同経盛がそれぞれ千騎を率い、内裏にむかって出陣した。

 頼政の話では信頼勢の総数は多くても八百騎、しかも他にも裏切りの気配があるという。



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