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闇夜の京に鵺二匹  作者: 惜本大祐
第一章 源頼政
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家人


「おはよう!」

「ああ、おはよう」


 翌朝である。

 頼政が出かけると、夜鳥は屋敷の住人たちと気さくに挨拶を交わしていた。

 夜鳥が来てからほんの数日だが、住人の評判は上々だった。

 彼女の元気な姿に住人たちは元気をもらっている気がしていた。夜鳥がたびたび頼政の話を聞きたがるのも、評判を上げるのを助けていた。

 彼女としては、興味があるから聞いているだけなのだが、住人たちは『この娘は頼政さまに恩返しがしたいんだな、なんと健気な』というふうに解釈して、涙を流す者までいた。

 夜鳥にとっては一石二鳥である。

 自分が知りたいことを聞きまわっているだけで勝手に感動してくれて、その感動ついでに色々な話をしてくれるからだ。




 たとえばこんな話である。




 話をしてくれたのは猪早太(いのはやた)という中年の郎党で、その話は彼がまだ六つか七つのとき。

 早太の家は代々頼政の家に仕えている家柄らしく、彼も長じれば頼政の郎党として戦場に行くことは決まっていたから、当時からこの屋敷で働いていたそうだ。

 そんなある日。

 彼が掃除のために頼政の部屋に入ったとき。

 頼政の愛刀を見つけた彼は興味の引かれるままに刀を抜いて振り回したり、弄ったりしているうちに刀の鍔に傷をつけてしまったのだ。

 彼は恐れおののいたらしい。

 刀は武士の魂である。

 それに傷をつけたのを知られたら怒られるに違いない。

 いや、怒られるだけでは済まないかもしれない。

 しかし、彼が正直に報告したときの頼政の態度は、彼の予想とは違っていたそうだ。

 怒っていないどころか


「怪我はしていないか」


 と、暖かい言葉をかけてくれたうえに


「その歳で武芸を磨こうとするとは見どころがある」


 と褒めてくれて、しかも


「お前が初陣するときには、その刀をやろう」


 という約束までしてくれたのだという。

 実際に十年ほどたって彼が初陣することになったとき、頼政は当の本人がすっかり忘れていた約束を覚えていて、約束通りにその刀をくれたのだそうだ。

 話の最後で、早太は


「これがその刀だ」


 と誇らしげに、鍔に傷のついた――しかし、手入れの行き届いた――刀を見せてくれた。




 こんな話もある。




 これは三十歳くらいの女中から聞いた話。


「何てケチな人だ」


 というのが彼女の頼政に対する第一印象だったそうだ。

 それというのも、十年前に彼女がここで働くことになったときの頼政の食事が米と煮干しと汁物だけという、あまりにも貧相なものだったからである。庶民ですら、もうすこし良い食事をしているはずであった。

 金がなかったのかといえば、そうではない。

 すでに頼政は従五位上(じゅごいのかみ)の位にあり、役職は伊豆守(いずのかみ)であった。

 (かみ)というのは国の長官のこと。具体的な職務は朝廷が定めた税をしっかりと納めさせることだ。逆に言うと、守は朝廷があらかじめ定めていた税だけを納めればよかったので、余った分は自分の物にすることができるという、いわば『割のいい』役職であった。

 それに加えて、源氏全体がいまとは比べ物にならないほど勢いがあったし、彼の所有する荘園からの収入もあった。

 食べ物くらい、もっと良い物が手に入らないはずがない。

 そう思って意見をしてみても頼政は首を横に振るだけであった。

 そんなことがあって、彼女は頼政のことを


「ああ、要するにケチな人なのだ」


 というふうに理解していたのである。

 それからすこし経って、彼女は同じく頼政に仕える郎党の一人、渡辺省(わたなべのはぶく)という男と恋をして結ばれ、息子が生まれた。

 しかし、その子は不幸にも体が頑丈ではなく、生まれてすぐに大病を患ってしまった。

 彼女と夫は懸命に看病した。

 だが、昼夜を徹した看病の甲斐もなく、息子は衰弱していった。

 彼女くらいの収入では腕のいい医者にはかかれない。仕方なく“自称医者”というような者に診てもらったが効果はなく、なけなしの金を取られただけに終わった。

 夫婦は途方に暮れてしまった。

 いつの間にか、看病するどころか自分たちが食べる物にさえ困る状態になってしまった。


「いっそのこと、息子がこれ以上苦しまないように三人で心中しようか」


 いつしか夫婦の間でそんな話すら出るようになっていた。

 そんな時期の、ある日


「なにか、あったのか?」


 仕事を何とかこなしていると、突然、頼政から声をかけられた。

 むろん何かあったのである。

 しかし、それを言うのは夫から


「頼政様にご迷惑をかけてはならぬ」


 と口を封じられていたし、彼女自身も


「ケチなこの人に話したところで」


 と諦めていたから、当たり障りのないことを言って誤魔化そうとした。

 日ごろから、うるさいことを言わない主だ。

 疲れているだけです、とでも言っておけば話は終わるはずだった。

 しかし、この時の頼政は納得しなかった。


「いや、そうではなかろう」

「悩んでいるなら話してみるがよい」


 などと、めずらしく問い重ねてきたのだ。

 それでも三度まで


「いえ、いえ」


 と否定していたが、なおもしつこく聞いてくるので、ついに彼女も、もしかしたらという気持ちになって、息子の病気のことを話すことにした。

 ところが、頼政の反応は


「病気、か」


 そう呟いたきりであった。

 それきりで頼政は行ってしまった。

 彼女の失望は一通りではなかった。

 しかし、それからしばらくして、深夜に二人の住まいを訪ねて来た者があった。


「御頼み申す」


 一体、こんな時間に何の用だろう。

 彼女は不審には思ったが、無視するわけにもいかなかったので応対した。看病のために夫婦交代で起きていることにしていたから、すぐに応対できた。


「何でしょう?」


 玄関先に顔を出してみると、客人は丁寧に頭を下げ返してくる。

 客人は、こう名乗った。


「手前は典薬寮(てんやくりょう)にて医師をしている者」


 彼女は驚いた。

 典薬寮といえば、朝廷に置かれている医療を専門とする部署だ。

 そこの医師と言えば、日本一の医者ということになる。

 なぜそんな医者が庶民の家に来るのか。

 そう思っていると、彼は「四位殿より」と頼政のことを呼んで、こう続けた。


「御子息が病と聞いて参上しました。あげていただけますかな」


 彼女は、もう仰天して、自失の体で医師を家に上げた。

 医師は脈をとると自信ありげにうなずいた。


「大丈夫、薬を飲めばよくなりましょう」


 その言葉を聞いたとき、夫婦はそろって何度も頭を下げた。

 この医師に来てもらうため、頼政のふところから庶民が一生かけても払えないような大金が動いたのだと知ったのは、これからしばらく経ってからのことだったそうだ。

 ちなみに息子は一月もすると見違えるように元気になり、いまでは頼政の郎党の一人として戦場で手柄を立てるまでになったそうだ。




 さて、二つ話を紹介したが、こういう話を持っているのは彼らだけではない。

 ここに住む者は、みんな似たような話を二つも三つも持っていて、頼めばいくらでも話してくれた。

 夜鳥と同じように、子供のとき頼政に拾われてきたという者もいた。

 屋敷の人間ではないが、ことあるごとに屋敷に来る仲家(なかいえ)という男は、先の兵乱のとき、敵味方にわかれた叔父に殺されそうになったところを頼政に助けられたそうだ。

 彼などは話しているうちに興奮してきたのか


「世間は平家、平家というが、平家に四位殿ほどの器量人が一人でもいようか。四位殿が謙虚な御気質ゆえに平家も威張っていられるが、そうでなかったら……」


 などと、誰かに聞かれたら首を切られてもおかしくないことを口走った。


 噂に聞いていた貴族達からの評価とは、ずいぶんと違ったものだ。

 ここまで家来たちから尊敬される人間が“犬四位”などと呼ばれる男と同一人物なのだろうかと、疑わしくなった。この屋敷で話を聞いている限りでは、どこをどう切り取っても“よき主”であり“人格者”でしかなかった。

 夜鳥の興味は強く、深くなった。


「ねえ、頼政はどこへ行っているの?」


 夜鳥は近くにいた男に話しかけた。

 例の、頼政をケチだと思っていた女中の息子である。

 名前は渡辺競(わたなべのきそう)という。


「院庁へ行かれたはずだぞ」

「院庁?」


 当時の政治形態は『院政』と呼ばれている。

『院』というのは、天皇の位をゆずった方、つまり上皇や法皇のことをいう。

 この上皇や法皇が実権をにぎって政治を動かしたから『院政』と呼び、それを執り行う『院』のおわす場所を『院庁』と呼ぶ。


「本当に何も知らないようだな」


 競は笑いながらそう言って、夜鳥の頭をなでつけた。


「知らないものは仕方ないだろ、それで何なの?」


 競は訳知り顔で、教えてやると請け合った。


「いまのこの国で本当に一番偉い方、後白河上皇がいらっしゃる場所で、この国の政治の中心だ。頼政様はかの御方からのご信任が篤く、こうしてたびたび召し出されるのだ」

「ふーん?」


 夜鳥は競から院庁とやらの場所を聞き出すと、こっそりと屋敷を抜け出した。

 その足は頼政を追って院庁にむかった。



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